イジワルなふたり。浅生鴨 × 糸井重里
第4回 「あっち側」にいたかもしれない。
- 糸井
-
そういえば、神戸の震災の時はどうしてたんですか。

- 浅生
-
揺れたとき、神戸にいなかったんです。
- 糸井
-
あ、そうですか。
- 浅生
-
高校を卒業して神戸をはなれていたので。
震災の時、ぼくは神奈川にある大きな工場みたいなところで働いてました。社員食堂のテレビで、ただただ燃えている街を観てたんです。
- 糸井
-
テレビ越しに。
- 浅生
-
でも、すぐ神戸に戻りました。
なんというか、周りの異様な盛り上がりに耐えられなくて。
- 糸井
-
異様な盛り上がり。
- 浅生
-
亡くなった人の数が二千人、三千人と増えていく度にまわりで盛り上がるんですよ。「やったー!」といった感じで「三千人いったぞー!」みたいに。
まるでゲームを観てるような感じで盛り上がっているのが、ちょっと耐えられなかったんですよね。

- 糸井
-
それで神戸に戻って。
- 浅生
-
そこからしばらく水を運んだり、避難所の手伝いをしてました。
- 糸井
-
ご家族は大丈夫だったの?
- 浅生
-
家は山のほうなので、大丈夫でした。祖父母の家がつぶれちゃったりはしたんですけど。
とにかく帰ったときは、まだ街が燃えてる状態でした。友だちもずいぶん下敷きになって燃えたりとか。
神戸の場合は下敷きというより、火事がひどかったんで。
- 糸井
-
場所が神戸じゃなかったら、また違ってたかしらね。
- 浅生
-
被害に関しては、時間も季節もあると思うんですけど、夏の…
- 糸井
-
いやいや、浅生さんとの関係で。
もし被災したのが実家のある場所じゃなかったら。
- 浅生
-
たぶん、ぼくは手伝いに行ってないと思います。
- 糸井
-
ほう。
- 浅生
-
それどころか、もしかしたら「二千人超えたぞー!やったー!」と盛り上がる側にいたかもしれない。
- 糸井
-
うんうん。
- 浅生
-
ぼくが常に「やったー!」と盛り上がる側にいない、とは言い切れないんで。いやむしろ、一緒になって盛り上がっていただろうなと。
- 糸井
-
ああ、ここはすごく大事なことのような気がします。

- 浅生
-
人間は誰でも良いところと悪いところと、両面あると思うんです。なので、自分の中の悪いところがフッと顔を出すこともある。ぼくはそこに対する恐怖心がすごくあるんです。自分は悪い人間だっていう怖れというか。
- 糸井
-
ええ。
- 浅生
-
だけど、その悪いところは無くせないんです。だから「ぼくはあっち側にいるかもしれない」というのは、わりといつも意識してます。
- 糸井
-
その時、その場によって、どちらの自分が出るかというのは、そんな簡単にわかるもんじゃないですよね。
- 浅生
-
わからないです。
マッチョな人がよく「何かあったら俺が身体を張ってでもお前たちを守ってみせるぜ」とか言うじゃないですか。
でも、いざその場になったらその人が一番目に逃げることだって十分考えられるし。多分それが人間なんですよね。
- 糸井
-
うんうん。
- 浅生
-
だから、いま僕は食堂の異様な雰囲気に耐えられなかったと言いましたけど、神戸に実家がなければ一緒になって盛り上がっていただろうし。
- 糸井
-
ええ。
- 浅生
-
きっとそれが人間なので「もしかしたらぼくは盛り上がっていたかもしれない」という不安を持って生きてるほうが、いざという時に踏みとどまれるような気はするんですよ。
- 糸井
-
「どっちでありたいか」というのを普段から意識しておく、ということまでが、きっとギリギリなんですよね。
- 浅生
-
そう思います。
- 糸井
-
どこまでいっても一色には染まらないですよね、人間は。
- 浅生
-
染まらないです。
