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第0回イッチロー! 2016-06-02-Thu

1981年生。
東京生まれ、宮城育ち、東京住まい。
日本農業経営大学校専任講師。
イチローファン歴20年超。
活字と漫画を読むのが好き。
「ほぼ日」で好きなコンテンツ:おれボテ志、恋歌口ずさみ委員会、連ドラチェック、見たぞシリーズ。

私の好きなもの
イチロー選手

担当・オノフミ

イチロー選手はすごい。
これほど言わずもがなの話もない気がします。
ほぼ日に何度か登場された方でもあります。
それでもあえて、アスリートでも評論家でもない、
1ファンの記憶に残るイチロー選手のお話をお届けします。

名言もトレーニングのコツも出てきませんが、
長くファンでいるからこその喜びや感慨は、
いろいろな分野の「ファン」に共通かもしれません。

さあみなさんもご一緒に、「イッチロー」のコールを。

イッチロー!

イチロー選手は、私が観にいくと必ず打つ。

もちろん、私が行ったから打ったわけではない。
でも、こううぬぼれさせてくれるのが、
首位打者9回、リーグ最多安打12回の
イチロー選手の真骨頂だ。

野球で、打者に打席が回ってくるのは
1試合でだいたい3回から4回。
イチロー選手の平均打率は、プロ通算で3割強、
いいときは3割5分を超えていた。
このくらいの打率で打っていれば、3打席に1回は打つ。
つまりはほぼ毎試合必ずヒットを打つ。
試合を観にいけば、
いつでもあの美しいヒットが見られる。
これは、ファンにとって最高にうれしいことである。

中学生でイチロー選手のファンになって以来、
何度か野球場に試合を観にいった。
そのたびに、イチロー選手は本当に打つのである。

私がはじめて生でイチロー選手のプレイを観たのは、
1998年の夏のことだ。
今は楽天Koboスタジアム宮城となった宮城球場での
千葉ロッテマリーンズ対オリックスブルーウェーブの試合。
仙台市内の高校2年生だった私は、
文化祭実行委員会のチーフとして
放課後は文化祭の準備に勤しんでいたが、
その日だけは準備を休んで
高校の最寄駅から3駅先の球場に向かったのだった。
県北部の実家から車でやってきた親きょうだいと合流して、
思えばそれがはじめて観たプロ野球の試合だった。
少年野球をしていた弟や、
イチローイチローときゃあきゃあ言う私のために
母親がわざわざ取ったチケットだったのだと思う。
スタンドから、イッチロー!と叫んだ。
イチロー選手は、打った。
かっこよかった。
文化祭の準備でがんばっている自分へのごほうびだと思った。

東京の大学に進学した2000年、
お父さんが日本ハムに勤めている地元の友だちが、
誕生日に野球のチケットを送ってくれた。
東京ドームでの日本ハムファイターズ対オリックスの試合。
知り合って日も浅い
大学のクラスメイトと数人と観にいった。
イチロー選手は、打った。
野球に詳しくない新しい友だちも、
「イッチロー」と叫んで盛り上がった。

同じ年の夏、家が電器店の友だちが、
浪人中にもかかわらず
「サンヨーオールスター」のチケットとともに上京してきた。
数人で連れ立って、東京ドームでオールスターを観た。
みんなで「イッチロー!」と叫んだ。
前の席のおばさんは「新庄、いい男!」と叫んでいた。
妹は巨人・工藤のサインボールをゲットした。
イチロー選手は、打った。
翌年、イチロー選手はアメリカに渡った。
メジャーリーグに行く前に観ておけてよかった!
とあとから心底思った。

2002年秋、大学3年生の私は妊婦になっていた。
11月、日米野球でイチローが日本に来るという。
これは私へのエールに違いないと決めて、
高い席しか残っていなかったがチケットを買った。
高校時代からの親友と2人で、
東京ドームの上のほうの、食べものの注文を
席まで聞きに来てくれるような場所で観戦した。
日本でプレーしていたときと同じように、
イッチロー、イッチローというコールがドームに響いた。
相変わらずのしなやかな身のこなしで、
イチロー選手は、打った。
まあ、先のことは正直分からないが、
イチローは揺るがずすごい選手だということに安心した。

2005年、ワールド・ベースボール・クラシックなるものが
開催されることが決まった。
前のシーズンに、メジャーリーグ歴代最多の
262安打を打っていたイチロー選手は
もちろん代表に選ばれた。
日本での予選リーグのチケットを取るべく、
電話をかけまくった。
なんとか取れたのは中国対日本の試合で、
野球好きの弟に苦笑されるその微妙なカードを
いそいそと観にいった。
スタンドのイチローコールは地鳴りのようで、
イチロー選手は、打った。
息子も眠そうだし、早く帰らなくちゃいけないけど、
あと1打席だけ見させて!と粘ったことを覚えている。
世界制覇の瞬間は、大学院の修了旅行先の松山空港で観た。
節目の年に、オリックス時代以来の
イチロー選手の優勝シーンを見て力が沸いた。

2009年3月、
二度目のワールド・ベースボール・クラシック。
もちろんまたチケットを取って予選を観にいった。
大学院博士課程3年目の私は、
いろいろと手がついていない課題もあったが
行かねばならぬと出かけていった。
イチローコールはますます大きくスタンドを飲み込み、
はじめてイチロー選手は打たなかった。

不調だと言われていた。
でも多分、打たなかったのは、
課題に目をつぶって観にいった私のせいである。
このとき打たなかった分が、
決勝戦の10回表にタイムリーとして
爆発したのである(きっと)。

2012年、久しぶりに
イチロー選手のプレイを観るチャンスがやってきた。
シアトル・マリナーズが日本で開幕戦をおこなうのだ。
読売ジャイアンツ対シアトル・マリナーズの
親善試合のチケットが取れた。
イチローが打席に立つたびに、
イチローコールで空気が震え、
たくさんのカメラのフラッシュがスタンドで明滅した。
イチロー選手は、なかなか打たなかった。

9回表、2アウト。
リードしていた巨人が
あと1アウトで勝つというところまできた。
ネクストバッターズサークルには、イチロー。
東京ドームはなんとも形容しがたい空気に包まれていた。
ピッチャーがストライクを取るたび、
歓声とため息が混ざった奇妙などよめきが起きた。
イチローファンの私は、
「次の打席につながれ!」と念じた。
しかし、あの日スタンドにいた人の多くは、
どちらかといえばジャイアンツを応援していたと思う。
だが、球場には、
「イチローの打席が、見たい」
という期待が満ち満ちていた。
結局試合はイチローの打席の前で終わった。

お気づきの通り、「私が行くと必ず打つ」というのは
いささか誇張した表現だ。
直近2回の観戦時、イチロー選手は打っていない。
最近はテレビのメジャーリーグ中継でも、
解説者から「年齢を重ねると」とか「加齢に伴う」、
なんてコメントされている。
出場機会も多くない。
けれども、ひとたび出場すれば、
軽やかに二塁を陥れ、華麗な返球をする。
ニンジャと言われるプレーを繰り出す。
そして、なんだかんだ言って今も打つ。
打率は3割3分8厘だ(2016年5月30日現在)。

中学生時代、イチロー選手が出ていた
「変わらなきゃも変わらなきゃ」なんてCMを観て
きゃあきゃあ言っていた私が、今年、中学生の親になった。
イチロー選手は、チームやフォームを変えながら
変わらずプロ野球選手である。
プロ野球選手の平均引退年齢は30歳前後、
今イチローはメジャーリーグ最高年齢の現役プレーヤーである。
20年間、1人の現役1軍選手を
応援し続けられる幸運がどれだけあるだろうか。

来年は夫と息子と3人、でアメリカを旅する計画を立てている。
私が観にいくから、イチロー選手は打つと思う。