ぼーっとしたミーハー通信。

「ほぼ日」創刊からいちども休まずに毎週連載されていた
『ぼーっとした女子高生通信』のゆーないとさんが、
大学生になってしまった時には、
『ぼーっとした青春』と改題しましたが、
学生を卒業したので、またまた改題いたしました。

人間には、ミーハー欲というものがあるような気もします。
大統領やら総理大臣でも、タレントと会ってる写真は、
完全にひとりのミーハーになってるもんねー。

いいのわるいのじゃなく、どうやらいつも
「ミーハーめがね」をかけてるらしいゆーないとさんが、
その視線で見える世界を、毎週報告してくれます。

下を向いて歩こう。(ポジティブに)

1月も終わるにちわ〜。早っ!
携帯にカメラがついて、
気軽に写真を撮れるようになってから、
(そうじゃなかった時代のことが、思い出せないほど、
それが当たり前になっていることに、
びっくりしている!)
手袋の片っぽが落ちてると
写真を撮ってコレクションしていた、わたし。
わたしの報道魂?
よくわからないけど、そういう癖があってね。
持ち主は、きっとすごく困っている。
だって、この片っぽをどうしろって言うんだい。
もしかしたら、大切な贈り物だったかもしれないし、
くれた人はサンタさんだったかもしれない。
片方だけで使うのもナンだし、
そのままにして、新しいのを買うかもしれない。
残された片方の気持ちも考えてみる。
「あいつ、どこいったのかなぁ。
このままじゃ、捨てられちゃうよぉ」
なんて思ってるかな?
じっさい、わたしも片っぽになってしまった手袋は、
気に入って使ってたということもあり、
なかなか捨てられないタイプでさ・・・。
だから、そんな色んな気持ちで、
つい、撮りたくなっちゃう。
わたしの冬のライフワークのように撮り集める。


▲だれかさんが拾って、照明のあたるところに
置いてくれたやさしさ、勝手に感じて
じんわり心があたたまっております。
拾得者は、夜に拾ったものと思われる。

そういえば、わたしは小さいときから、
よく下を見ながら歩いていたってことを
思い出した。
しかも『上を向いて歩こう』を
「下を向いて歩こう〜」って
替え歌しながら歩いてたわ。
下を向いて歩いたら、涙ボロボロこぼれちゃうけどね。
ま、そこはいいとして。
イヤなものを踏みたくないという気持ちと、
すてきなものを見逃したくない気持ちで、
よく下を見てるのさ。

これは1月のお正月頃。
年賀状の名残が・・・
束ねる輪ゴムが散らばってる。せつな〜。

ミッキー発見!なんかいいことありそう。

一番感傷的になるのは、キーホルダーだなぁ。
自分がキーホルダー好きだったこともあって、
気に入ってるからつけてるのに、
かならず落とす、なくす、キーホルダー。
落としたくない場合には、つけて外に出なければいいんだけど、
それだとつまんないよねえ。
キーホルダーの存在意義を無視するような気持ちになる。
でも、必ずどこかに落とす運命。
だから、道に落ちてるキーホルダーを見つけると、
「どこかのだれかが気に入ってたものなのに、
かわいそうにねぇ」
と思いながら、せつながる。
でも、写真は撮らないんだけど。

それはそれで忘れてて、
赤子と出かけれるようになって、
初めて靴下が地面に落ちてたとき、
「あ、これさ撮らないと!」
と思ったのよねー。
やっぱり「片っぽ」のせつなさがミソだよね。

出先でなくなってることに気づいて、
来た道をていねいに下を向いて探しながら歩いて、
家に帰ったら、部屋の真ん中にポツンと落ちてたり。
しかも、出かける前に一度落として、
「もう脱げてる!」って履き直して、
「はい、もう大丈夫だね」って言った、
その部屋でまた落としてた・・・おいっ!

あと、雨の日、車を停めて、
わたわたしながら色々やって、車に戻ってきたら、
車のドアの前に、泥だらけで落ちてたり。
せつな!
(さすがに写真撮る余裕なかった)

そういうことに目をやりだすと、
やっぱり出会う回数が増えるのがふしぎね。
自分ちのじゃなくても、見つけて、

横の植え込みに移動させてみたり。
植え込みじゃない方がきづくかなー?と思いつつも。


▲サファリ感。

そしてこれは、予備軍。


▲この日はとくにかく、
右足がはまらない日だったな・・・。

かんたんに脱げないように、
ちゃんと履かせてるつもりでも、
ポロリポロリと落ちていく、片っぽ。
これからも、片っぽ集めをライフワークにしよっと。

わたしたちが落とすものと言ったら、
お尻から出た「U」のかけらくらいなもんです。
どうもすいません。


▲どこでもおなかを出すコになっちゃった。


▲この図は、どうなんだ。

ま、みんなげんき。
寒いけど、がんばってこ!

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