イセキさんのジュエリー雑記帖

ロンドンを拠点に
アンティークや
ヴィンテージの
ブローチを探し、
ご紹介していた
イセキアヤコさんの
人気コンテンツ

リニューアルして
かえってきました。
雑記帖という
タイトルにあるように、
ジュエリー全般に
まつわるあれこれを、
魅力的なエッセイと
写真でお届けします。
不定期更新です。

profile

イセキアヤコさんプロフィール

京都出身。2004年よりイギリス、ロンドン在住。
アンティークやヴィンテージのジュエリーを扱う
ロンドン発信のオンラインショップ、
tinycrown(タイニークラウン)
を運営している。

Vol.26 遺灰の壺(後編)


19世紀初頭の金製モーニングジュエリー。
絵の部分は、象牙に細かく切った人毛を接着しペイントを施している。
© Sotheby's

イギリスのアンティークジュエリーのなかでも、
18世紀後半~19世紀初めのジョージアンジュエリーには
ネオクラシシズム(新古典主義)の影響が見られる。
ネオクラシシズムは古代ギリシャや古代ローマの様式美に
再び目を向けるムーヴメントで、
イギリスのジュエリーデザインでは
1760年代以降にブームが到来した。


たとえばこの時代の、亡くなった人を偲ぶための
「モーニングジュエリー」には
urn(アーン)と呼ばれる壺モチーフがたびたび登場する。
urnという言葉の起源は「燃やす」という意味のラテン語uro。
ひいては、火葬した遺灰を入れる壺、である。


けれども、イギリスの火葬協会のウェブサイトによると、
イギリスで火葬が本格的に広まり始めたのは1950年代から。
火葬自体はさかのぼれば紀元前から存在していたが、
イギリスで初めて公に火葬場が作られたのが
1885年だというから、まだ火葬が一般的ではなかった
18世紀のイギリスで、遺灰壺モチーフが人気だったのは
どうしてなのか、という話になる。


じつは、古代ギリシャでは火葬が一般的で
遺灰は壺に入れられていた。
前編で触れたplinth(プリンス)という四角い台座と
その上に乗った遺灰壺は、18世紀の人々に
いかにも古代ギリシャなスタイル、
つまり新古典主義的なエレガンスを匂わせるもの
として好まれていたのだ。


ロンドンの墓地で私が見た墓石の遺灰壺は、
ふたの部分が開かないデコレーションとしての彫刻だった。
私は、目の前のネオクラシカルな墓石と、
記憶の中のジョージアンジュエリーの墓石の絵が
ふいに重なった。


上の写真の品々にあしらわれている文字の部分は、
亡き人へのメッセージであり、
遺された者が自分自身に向けたなぐさめの言葉だ。


‘NOT LOST BUT GONE BEFORE’
(あなたを失ったわけではありません。
私よりも先に逝っただけなのです。)


‘ALTHO GONE YET TO ME NOT LOST’
(あなたはもう逝ってしまったけれど、私にとってそれは、
あなたを永久に失ったということではありません。)


どちらも言いたいことは同じである。
「失う」という言葉を使いたくない遺された者の気持ち。


マイケルの棺にショベルで少しずつ土が被せられていった。
そうだ、先に逝っただけなのだ。
私に向けて彼が最後に言ったひと言 ' Let's keep in touch. '
を心の中で繰り返しながら、そう考えることにした。

2020-11-06-FRI

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