イセキさんのジュエリー雑記帖

ロンドンを拠点に
アンティークや
ヴィンテージの
ブローチを探し、
ご紹介していた
イセキアヤコさんの
人気コンテンツ

リニューアルして
かえってきました。
雑記帖という
タイトルにあるように、
ジュエリー全般に
まつわるあれこれを、
魅力的なエッセイと
写真でお届けします。
不定期更新です。

profile

イセキアヤコさんプロフィール

京都出身。2004年よりイギリス、ロンドン在住。
アンティークやヴィンテージのジュエリーを扱う
ロンドン発信のオンラインショップ、
tinycrown(タイニークラウン)
を運営している。

Vol.23 歪なパール(後編)

前編に続き、もうちょっと可愛らしい雰囲気の、
動物単体だけのシリーズもある。
同じく20世紀初頭のもので、写真の品は
リスとウサギのお腹にブリスターパールが使われているが、
オウム、ツバメ、フクロウ、ハクチョウ等も見たことがある。
たいていは1匹/1羽のみがバーに乗っているデザイン。
ハクチョウだけは、10年ほど昔にペンダントになったものも
買い付けたことがある。


長い間、私はこのシリーズからインスピレーションを得た
ブリスターパールのジュエリーを制作したいと思っていた。
けれども、どれだけ宝石問屋をリサーチしても、
同じ形とサイズのパールはなかなか見つからなかった。
知り合いのジュエリー職人たちに聞いても、
皆首を横に振るばかり。
現代ではもう手に入らない類のものなのだろうか。


そんな折、お世話になっている
ロンドンのジュエリー工房の所長が、
「パール専門の問屋を一軒知っているから訪ねてみたら」
と紹介してくれた。
紙に書かれた住所を頼りに、
私は小さな雑居ビルにたどり着き、
防犯カメラに見下ろされながら呼び鈴を鳴らした。
インターホンに「ハロー」と言うと、返事はなかったけれど
正面扉がビーッという音とともに解錠された。


中に入ると、廊下をはさんで問屋の名前が書かれたドアが
いくつも並んでいる。
そのうちひとつが例のパール問屋だった。
ドアの横のボタンを押すと、またブザー音が鳴った。
が、入ると再び扉があった。さすが厳重だなあ、と感心する。
その扉にはガラスの入っていない小窓がついていて、
恰幅のよいイギリス人のおじいさんが椅子に座り、
事務机に向かっているのが見えた。


「こんにちは。あの、こういうブリスターパールを
探しているんですが」
私がブリスターパールのついたアンティークブローチを
小窓から見せると、おじいさんは
机の横についているボタンを押し、
今度はガチャンという重々しい音がして最後の扉が開いた。
だんだん襖が開いていって、
最後に将軍が登場する時代劇みたいだな、と思った。


御歳80近いと思われるイギリスの将軍は、
私を招き入れ、向かいに座らせてブローチを受け取ったあと、
しばらくそれをいろんな角度からじろじろと観察した。
私はお告げを待つような気持ちでドキドキした。


「あなたは日本人か?」
「そうです」
「わしは若い頃、何十年も神戸で
真珠のディーラーをやっておった」
「なんと。そうでしたか」
「このパールはうちにはない。もうめっきり見かけない。
心当たりはレイクビワくらいじゃ」
「へっ?」
「レイクビワじゃ。日本人なら知っておるだろうに」
「滋賀県の琵琶湖ですか?」
「それじゃ」


こんな地球の裏側まで来て、まさか実家から
一番近い湖の名前が出てくるとは思わなかった。
おじいさんは話の締めくくりに、
ものすごく真面目な顔で私に ‘Go to Lake Biwa.’ と言った。

私は家に帰るとさっそくインターネットで琵琶湖周辺の
淡水パールの業者を探してみた。
けれども、そこには悲しい情報が出てくるばかりだった。


レイクビワのパールは、最盛期の1970年代には
海外にも大量に輸出されるほどの人気だったが、
1980年代になると湖の水質汚染で
母貝となるイケチョウガイが激減し、
中国国産の安価なパールの市場にもおされて、
すっかり下火になってしまった。
パール問屋のおじいさんが神戸にいたという「若い頃」とは、
おそらくまだビワパールの全盛期だったのだろう。


私は結局ブリスターパールの問屋情報を
何一つ見つけることができずに、しょんぼりしながら
「まあ、気長に探そう」と諦めて、ノートパソコンを閉じた。


それから6年経ったある日のこと。
私はロンドンの町なかにある宝石問屋で
仕入れ作業をしていた。
問屋には宝石が入った引き出しが山のようにあって、
ジュエリー職人や、私のような小売店の人間が
出入りをしている。
あるクオーツを探していて、
商品の引き出しを次々と開けていたら
偶然パールの引き出しに行き当たったのだ。
そして、思わず目が丸くなった。
例のブリスターパールが見つかったのである。
まさに、探し求めていた形とサイズだった。


ジュエリーづくりは、デザインの核となるパーツ
(とくに、天然の素材)が手に入らず、
プロダクションを開始できないことが多々ある。
けれども、諦めずに探していると、
急に目のまえにぽとんと落ちてきたりもする。
それの繰り返しだと私は感じている。

 

2020-05-18-MON

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