第4回 ところで、ジャズの話を。

高平 ‥‥ところでさ、こういう話もいいけど
ジャズのことも話しといたほうがいいんじゃないの?
── ああ、そうですね!
あんまりおもしろかったので、つい‥‥。

じゃ、高平さんとジャズの出会い、みたいなところから
あらためて、お聞きしてもよろしいですか?
高平 植草甚一さんというジャズ評論家が
雑誌『スィング・ジャーナル』で書いていた文章が、
大好きでさ。

で、植草さんが紹介しているレコードを追っかけたり、
ジャズ喫茶に行ってリクエストしたりしてたんだ。
── はじめて買ったジャズのレコードって‥‥。
高平 チャールズ・ミンガスの『Oh Yeah』ってやつ。
‥‥いま思うと、つまんないアルバムだったなぁ。
── あ、そうなんですか!?

はじめて買ったアルバムだけに
思い入れがありそうですけど‥‥。
高平 つまんなかったね、いまからすると。
クオリティ的にも、サウンド的にも。
── そのアルバムを買ったのは、なぜなんですか?
高平 たまたま、古本屋で見つけたんだよ。
廃盤レコードを大量に売っててさ。
「ミンガス」って名前は
植草さんの評でよく見てたからさ、買ってみたんだ。
そしたら、なんだか奇妙きてれつな音楽で‥‥。

そうやっていくうちに、
ミンガスの素晴らしいアルバムは
どのあたりなんだとか、
だんだん、わかってくるんだけどね。

そうやって、中三から高二ぐらいまでのあいだに
80枚くらいになってたなぁ、レコード。
 
── 当時は、いまみたいに
「ジャズって敷居が高そう」なんて意識は
なかったんですか?
高平 そうだね‥‥たぶん、なかったと思うよ。
クラシックよりはわかりやすいしさ。

中学三年から高校生くらいの時期って、
知識欲があるでしょう。

近代美術館に行って、
「小津安二郎」とか「黒澤」を
かたっぱしから観たりとかもしたんだけど、
ジャズの場合も、
とにかく、ジャズの喫茶店に通いつめて。
── 高平さんのまわりには
ジャズ同好の士、みたいなおともだちが
たくさん、いらっしゃったんですか?
高平 いや、そんなにはいなかった。

だって、当時の世間は「ビートルズ」だから。
クラスのなかでも、数人だよね。

三橋美智也が好きなやつと、
同じくらいの比率だったんじゃない?
── ははあ。三橋美智也さんと‥‥。

でも、ジャズが輝いていた時代だったことは
たしかなわけですよね?
高平 うん、つまりね、
まだ「サブカルチャー」としてのちからを
持ってたんだよ、ジャズが。

ミュージシャンだって、
毎年のようにアルバム出してたし。
ジャズ喫茶だって、そこらじゅうにあった。
── なるほど‥‥。
じゃ、高校生の高平さんは
「植草甚一」と「レコード」と「ジャズ喫茶」で
ジャズに親しんでいったわけですね?
高平 うん‥‥高円寺にジャズ喫茶ができたときには
あまりにもレコードが少ないから、
60枚くらい、俺が持っているやつを貸したことがある。
── ジャズ喫茶に貸すって、すごいですね(笑)。
高平 だんだんレコードがそろってくると
少しずつ返って来るんだ(笑)。

でも「ジャズ喫茶のオヤジと親しくなる」って、
当時のジャズファンの夢というか、
なんか目標みたいなところがあったんだよね。

「ちょっと、高平さん、
 こんなアルバムが入りましたよ」なんてさ。
── でも、ジャズ喫茶でありさえすれば
どこでもいいってわけでもないですよね、やっぱり?
高平 うん、いろんな店があったからね。

俺は高校三年のとき、ぜんぶ回ったんだ。
都内のジャズ喫茶、ぜんぶ。
── え! どのくらいの数なんですか、ぜんぶって!?
高平 うーん、100軒以上はあったかなぁ。
<続きます>
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2007-11-05-MON