こんどの「JAZZ」、どうする?

第2回 ダイナミックな‥‥激突みたいな。

糸井 ジャズの歴史っていうのは、
年表に書けるようなものなんですか?
山下 中洲産業大学のタモリ教授による
『教養講座・日本ジャズ界の変遷』って
レコードによれば(笑)、
そもそもの出は「アフリカ」だと。
糸井 アフリカ、ええ。
山下 アフリカの人たちが
太鼓で通信しているということから
はじまったと説明するんですね。
糸井 あのタモリ教授の講義は、
なんだかふざけてるようでいて
じつにちゃんとした講義なんですよね。
山下

ええ、あってるんですよ。

つまり、ジャズというのは、
アフリカとヨーロッパが
新大陸アメリカで出会って生まれた。

奴隷貿易の歴史とも関わってくるんですが、
そういうふうに捉えるとね、
ジャズっていう音楽は
人類史に起きた、
ものすごく大きな歴史的事件、
悲劇と言っていいのですが、
それが原因でもたらされた芸術ですね。
ヨーロッパとアフリカの、融合というよりは
もっと「ダイナミックな出会い」というか‥‥。

糸井

はあー‥‥。

山下

‥‥激突みたいなものですね。

そういうものをいまだに音の中に残してるような、
そんな、じつに
興味深い音楽形式であると思うわけです。

糸井 なるほど。
山下

発祥はニューオーリンズだと言われてます。
そこには
アフリカ系の人たちがたくさんいて、
軍楽隊の楽器を手に取ったり、賛美歌を歌ったり‥‥
ヨーロッパの音楽に触れながら、
忘れていた自分たちの音感を
あらためて獲得したときに、
非常におもしろい音楽が生まれたんですね。

で、そのおもしろさを理解した
白人たちが、黒人たちの真似をした。
それをまた、黒人たちが真似をして。
それが、相互に‥‥。

糸井

お互いに、影響していったんですね。

山下

どんどん混ざっていったんですよね。

だから、ものすごく芸術的なものから
楽しく踊ったりするためのものまで、
いろんな音楽が生まれた。
現代のポップスなんかも、ジャズがなければ
生まれていません。

糸井 ロックだって、そうですね。
山下

いまの娯楽音楽をたどっていくと、
ぜんぶニューオーリンズへつながっちゃう
かもしれない。

で、そのなかからどのへんを切り取って
お見せするかっていうことを‥‥
いま、とっさに考えはじめましたけどね。

糸井 どんなふうにやろうっていうのを
もう、構成しはじめてると。
カレー、煮込まていれる合間にも(笑)。
山下

まず、「アフリカ」がありますよね。
で、ニューオーリンズが登場して
ジャズという名の音楽が生まれた。

そこには、すでにブルースは
あったかもしれない。
ピアノだけのラグタイムっていう音楽も生まれていた。

糸井 ええ、ええ。
山下

ドビュッシーのピアノ曲集「子供の領分」にある
「ゴリウォークのケイクウォーク」という曲なんかは、
あきらかにラグタイムに影響されているんです。

つまり、それらがあって、器楽曲として
「ディキシーランドジャズ」が生まれ、
それがシカゴに行って「シカゴジャズ」が誕生し、
そういうことが方々でおきて、
やがて「スイングジャズ」として集大成される。
ベニー・グッドマンなんかの時代ですね。
時代は第二次世界大戦へ突入していく‥‥と。

糸井 まだ「モダン」は出てきてない?
山下 いや、じつはね、戦争中に。
糸井 戦争中に、モダン?
山下 できたらしい。
糸井 どういう加減でできてきたんですか?
山下

うーん‥‥そのころ、
レコード会社がストライキをやってて、
リアルタイムの記録が残ってないんですけど‥‥。

直後の音は聴けますし、いずれにしても、
第二次世界大戦の前後に、ニューヨークのとある店に、
いわば前衛的なミュージシャンが、
毎晩集まっては、実験的なことをやって、
モダンジャズが生まれ始めていたらしいですね。

< 続きます >

今日のジャズ語。

教養講座・日本ジャズ界の変遷
タモリさんの伝説のアルバム
『TAMORI』に収録されたネタのひとつ。
「クラシックの専門家」という設定の
「中洲産業大学芸術学部器楽科・タモリ教授」が
「ジャズなんてたかが民族音楽ですから」などと
皮肉を言いながらも、
その発生から進化を、歌やピアノの実演を交えながら
独特の語り口で説明する。
ただし、その内容はそうとう「きちんと」していて、
単におもしろおかしいだけでなく、
山下洋輔さんが
大学の授業で使ったこともあるほどだとか。
今回の「はじめてのJAZZ 2」のステージで
復活するというウワサも‥‥ある!?

2007-09-26-WED
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