ほぼ日の学校

行ってみたほぼ日の学校

古典をテーマとする「ほぼ日の学校」では、
多くの先生方が情熱をたっぷり注いだ、
白熱の講義をしてくださっています。
この、ただならぬ熱気を伝えたいと、
いろんな方に参加してもらい
体験レポートを描いていただきました。
講義の様子は「ほぼ日の学校オンラインクラス」
だれでも、いつでも、みられます!
一緒に「ほぼ日の学校」を体験してみませんか?

7

辻󠄀和子さん(後編)

Hayano歌舞伎ゼミで
講師を務めてくださった辻󠄀和子さん。
その様子は第3回で大高郁子さん
渾身のマンガにしてくださいました。
今度はその辻さんによる
矢内賢二さんの授業レポートです。

辻󠄀和子さんのプロフィール

「小説は義太夫をめざす−浄瑠璃熱のこと」矢内賢二さん
ゲスト
竹本越孝さん(女流義太夫太夫)
鶴澤寛也さん(女流義太夫三味線)

まずは浄瑠璃を「聴いて」みる

歌舞伎作品の多くが人形浄瑠璃がルーツであり、
有名なフレーズは歌舞伎ファンにも身近です。
歌舞伎にも多くの著作を残した
橋本治さんの考える浄瑠璃とは?
しかも実演もあるとあっては、
行くしかないでしょう!

浄瑠璃は「かたり」の芸能です。
ちなみに「ゆすりたかり」と言いますが、
実はこれは「ゆすりかたり」の誤用。
「まことしやかな事をかたって
人をその気にさせて欺く」の意味なのです。

いつもやさしく歌舞伎をひもといて下さる矢内さん。
講義は越孝さんと寛也さんの
「寿式三番叟」の演奏からスタート。
五穀豊穣、天下太平の願いがこめられた
目出たい曲です。

「かたり」は人間にとって
プリミティブな行為

そもそも浄瑠璃って何?
百科事典的には「物語に節をつけて語り聴かせる
<語り物>のひとつ」。
なるほど、耳無し芳一が
平家物語を琵琶で語るのも、
その一種なのですね。

色々な語り物があるなか、
浄瑠璃部門で一世を風靡したのが竹本義太夫。
その斬新さで義太夫節と
ネーミングされるに至りました。
物語とは読むものではなく、
元々は「語るもの」「聴くもの」だった
という矢内さんの説明に大納得!

「物語が字になったのはそんなに古くない」
と矢内さん。
江戸期までは書き言葉(文語)と
話し言葉(口語)は別物でした。
「話すように書く」言文一致体は、
二葉亭四迷や落語家の三遊亭円朝らの
奮闘の末に確立されたもの。その頃までは
「芸能と文学が近しいものであったと思うんです」
と矢内さんは考察します。
つまり橋本さんは「かたり」としての浄瑠璃の中に、
文章のあるべき姿を見いだしていたのではと……。

三味線と太夫のかたりで節がつく事で、
はじめて立ちあがってくる「ものがたり」。
「日本の近代小説の先祖は浄瑠璃」という
橋本さんの説が新鮮です!

女子高生的なパワーに引かれて

後半は橋本さんを浄瑠璃に引き寄せる
キッカケとなった「仮名手本忠臣蔵」八段目
「道行旅路の嫁入」の演奏からスタート。

本作は複雑な状況下、少女・小浪が
許嫁・力弥を慕って「押し掛け女房」になるべく、
義理の母と京都へ向かう旅路を描いた作品。
橋本さんが初めて買った
義太夫のレコードがこれだったのです。

後に寛也さんの演奏を聴いた橋本さんが
「うっかりアドバイス」したのがキッカケとなり、
義太夫を音楽としてよみがえらせる
「道行の会」がスタート。
実は意外な展開だったと寛也さんは言います。
「道行は大きな物語の中の繋ぎのような部分で、
曲としては素晴らしいがメインではない」
と考えていたからだと。
でも橋本さんの「義太夫を純粋に音楽として
楽しんで良いのでは」という提案で
「三大道行」と呼ばれる作品
すべてを上演するに至りました。

講義中に橋本さんの録音音声も紹介されました。
葛藤の末に
「力弥さんが好き」という気持ちだけで
東海道を爆走できる女子高生的パワーが
熱く語られます。
その時代の人に同化し、
目の前の出来事のようにとらえる
橋本さんの感性に驚き、
寛也さんも弾くたびに
胸が一杯になっていた理由が
明確になったと言います。

「あなたの音は近代的だよね」。
橋本さんにそう言われて
ショックを受けたエピソードも、
寛也さんは語って下さいました。
自分では古典の王道と思っていたのにと……。
でも橋本さんの「あなたの弾きたい音を
弾いてみてから古典に戻ってみては」との言葉に
「かえって自由になれました」。

そして橋本さんは、
寛也さんに合わせて新作義太夫を書き下し、
次に会った時には
「寛也の三味線になっていた」と言われて
「泣けました」。
橋本さんに救済されて
「私は私の生きて行く道があるとわかりました」
という締めくくりの寛也さんの言葉に
ジーンとなったのでした。

(おわり)

これまでの体験レポート