ほぼ日の学校

行ってみたほぼ日の学校

古典をテーマとする「ほぼ日の学校」では、
多くの先生方が情熱をたっぷり注いだ、
白熱の講義をしてくださっています。
この、ただならぬ熱気を伝えたいと、
いろんな方に参加してもらい
体験レポートを描いていただきました。
講義の様子は「ほぼ日の学校オンラインクラス」
だれでも、いつでも、みられます!
一緒に「ほぼ日の学校」を体験してみませんか?

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千葉望さん

橋本治さんの作品に「ガツン」と
やられたというライターの千葉さん。
でも、『草薙の剣』は
まだ読めていないそうです。
編集者であり作家である松家仁之さんの
読み解きをどのように
聞かれたのでしょうか。

千葉望さんのプロフィール

「橋本治をリシャッフルする」第11回
「昭和三部作のことなど」
松家仁之さん

橋本治さんの「ハレの時代」と「ケの時代」

私は今回の講師である松家仁之さんとはほぼ同世代。
「橋本治」といえば真っ先に
全共闘のポスターデザインや『桃尻娘』シリーズが
頭に上る世代といってもよいでしょう。
その後の『ひらがな日本美術史』『窯変源氏物語』
『双調平家物語』で橋本さんの知性と懐の深さに
ガツンとやられたものの、
昭和三部作『巡礼』『橋』『リア家の人々』に至っては、
「橋本さん、ここに着地したのか……」という驚きが
先に立ちました。正直、想定外でした。

新潮社の編集者として長く橋本さんとおつきあいのあった
松家仁之さん(作家)が橋本さんをどう見ているか。
松家さんの作品『火山のふもとで』や
『光の犬』が大好きな私としては、
とても楽しみな講座となりました。

松家さんは橋本治という作家を、
前半の「ハレの時代」と後半の「ケの時代」に
分けて考えます。
華やかだったイラストレーターや
『桃尻娘』シリーズの「ハレの時代」は、
日本の高度成長期からバブル崩壊までと
軌を一にしています。
ちなみに橋本さんは85年のプラザ合意と
それに伴う超円高が93年のバブル崩壊に
つながっていったと見ていたそうですが、
大いに肯けます。
そして迎えた「ケの時代」に、
橋本さんは時間をかけて「過去」と出合い、
古典の再構築に取り組みました。
もともと東大国文科出身で
古典芸能にも詳しい橋本さんのお仕事としては、
不思議ではなかったでしょう。

松家さんは次のように語りました。

「僕は橋本さんの『ハレの時代』、カルト作家だった時代に
仕事をしたことはなく、『ケの時代』にご一緒しました。
『ハレの時代』に仕事をしたことのある編集者の中には
『今の橋本さんはちょっと違う』と思っていたり、
『消えちゃった人』と思っていたりする人が
いるかもしれません」

キラキラしていた、いわば「サイケ」(これは死語かな?)な
雰囲気をまとっていた橋本さんが
「本卦還り」ともいえる転身を遂げたことを
残念に思っている人たちも、それなりにいるんですね。

『巡礼』の書き出しの見事さ

確かに、松家さんが関わった橋本さんの
お仕事にはキラキラしたところはありませんでした。
主なものを挙げてみます。

『宗教なんかこわくない』(96年)
『「三島由紀夫」とはなにものだったか』(2002年)
『蝶のゆくえ』(04年)
『小林秀雄の恵み』(07年)
『巡礼』(09年)

このほか編集長を務めていた雑誌『考える人』
創刊第2号では、「橋本治と考える『女って何だ?』」も
特集されています。
私はこの時期の橋本作品をもっとも好んで読んできました。

ただ、『巡礼』には驚きました。
だって、ゴミ屋敷に暮らす老人が主人公なのですから。
東京郊外の荒物屋に生まれ、
後を継ぐために住み込みの修業に入って
勤勉に働いた一人の男。妻は地方公務員の娘で、
自分たちの店を営むようになってからも
つつましいながら安定した家庭を営めるはずでした。
それが崩れていった背景を
橋本さんは共感を持って丹念に書いていきます。

松家さんは、菓子店の長男として育った橋本さんの
経験と視点が生かされていると語ります。
住み込み店員と家族がごっちゃになって暮らしている生活感。
確かにとても生き生きとしていて、
作品にリアリティがあふれているのです。
また、導入部分でゴミ屋敷の取材にきた
テレビのレポーターを登場させるところは、
まさに映像が目に浮かぶようです。

「普通の導入じゃない。
レポーターを登場させると深みは出ないんです。
ただ、あの描写は画家でないと書けない名シーンですね」

なるほど。これ以外にも映像的と思われる描写が
何度も出てきたように思います。

「荒物屋を舞台にしたのは、
時代の変化を盛り込みやすかったから」

というのも慧眼です。
時代の変化によって売り上げが上がったものの、
今ではホームセンターやAmazonなど
もっと便利なものにとって代わられ、
営々と積み重ねてきた努力が価値を失っていく業態。
その果ての家庭崩壊、老いた母との二人暮らしから
ゴミ屋敷の住人へと転落していく様は迫力があり、
読んでいくうちに思いがけず、
最初は嫌悪の対象だった主人公への
共感が膨らんでいくのです。

賞は「要らなそうだった」

松家さんが新潮社を辞めたのちも、
橋本さんは昭和を描く小説を書き続けました。
『草薙の剣』は10歳違いで
62歳から12歳までの6人の男を主人公に、
「男の子がいかに生きられないかを書いた作品。
世代が下るに従ってどんどんキツくなっていく」(松家さん)

という小説です。
正直なところ、私はまだこの作品は読んでいません。
ひどく落ち込みそうな気がするからです……。

これ以外にも松家さんは
たくさん橋本さんの思い出を話してくださいました。
『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で
小林秀雄賞が授賞されると決まり、
松家さんが電話をした時には、
こんな反応が返ってきたそうです。

「橋本さん、唸りました。要らなそうでした(笑)」

いかにも、という気がします。
参宮橋にあった事務所を訪ねると
毎回用件は15分で終わり、
2〜3時間はいろいろな話をしていたこと。
『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』について、

「三島はかわいそうだから鎮魂してあげたかった」

と言ったこと。
三島好きとしてはグッとくるエピソードでした。

こうして書いているとキリがありませんが、
当日の松家さんの講座にもちょっと
時間切れの雰囲気がありました。
それほど、松家さんにとって
橋本さんは大きい存在だったし、
橋本治という作家はいろいろな「尻尾」を
持っていた人だったのだと思います。
松家さんが最後に言われた通り、
私たちには「作品」があります。
これからも繰り返し
橋本作品を読んでいきたいと思います。
『草薙の剣』が読めるようになるかどうかは
わからないけれど。

(おわり)

これまでの体験レポート