その3 ぶれない「私」でいること。

糸井 伊藤さんは「憧れ」はありませんか。
伊藤 全然ないです。
糸井 遠い遠い何かへの憧れも?
伊藤 全然ないです。
糸井 ないんだ。
面白いね、そこも。
憧れに届いてるのかな、もう。
伊藤 あんまり目標もないです。
憧れも目標も。
糸井 ぼくは男のつくるもののなかに混じる
ロマンティックな憧れに
照れちゃうタイプなんだけれど、
そんなぼくにも憧れはもちろんあるんですよ。
だけどその憧れってやっぱり、
表現するときには表現になってなきゃいけない、
「オレの心のまま」じゃダメだと思うんです。
だから、撮影するテーブルにコップのシミがあったとき、
そのままにするか、見せないかっていうところで、
伊藤さんはすごくジャッジをしているわけですよ。
「いいや、それで」っていうんじゃなくて、
「このシミはあるべきだ」って決めてるんです。
伊藤 それを聞いていて思いました、
今、私は自分のことを本にしているので、
「自分」を演出しないよう、常に気をつけています。
常にそれ以上でもそれ以下でもない「普通」であろうと。
糸井 「私のまんまで、顔が一つでありますように」。
伊藤 そうですね。あんまり卑下するのも変だし、
でも、気取っちゃうのも何なので、
そのへんのところだけ注意して。
糸井 「私の一本化」だね。
それはぼくもすごく望むところなんです。
どこにいても同じ人でありたいと思います。
そうすると、なにかを決めるときの根拠って、
やっぱり普段考えてることだったり、
普段いいと思ってることだったり、
普段やんないようにしてることだったりってなるから、
「憧れ」の要素というのは
ちょっと笑いながらやるしかないですよね。
宮藤官九郎さんが、どんなラブシーンでも
必ず邪魔入れるじゃない。
もうちょっとでうっとりする場面で、
笑いの要素を入れる。
あれを、やっぱりぼくは信じられる。
伊藤 そうか、だから、私、
広告の仕事をしないんですよ。
糸井 なるほど、なるほど、なるほど。
してないんだ、本当に。
伊藤 はい。自分が使っているものや
好きなものの広告ならいいんですが、
「仕事」として広告する商品に愛情がわかなくて。
もちろん過去に何度か広告の仕事をしたことはあります。
その度「でも全然合わないな‥‥」と思うんです。
合わないものをやめてきたら、
今の仕事のスタイルにいきついた‥‥という感じなのかな。
糸井 はい。だから、伊藤さんの文体の私小説を
ずーっと読んでんだよね、ぼくたちは(笑)。
伊藤 恥ずかしい(笑)。嫌だー(笑)。
糸井 いや、そういうことでしょう!
伊藤 (笑)
糸井 詩だとは言わないけど、やっぱり私小説。
伊藤さんは今までずっと、
本人はどう思うか知らないけど、
作家性でやってきた。
「私、こういうのしか書けないから」って、
「私」で文章を書いてきた。
そこを曲げまいぞってしてるところが表現者なんですよ。
だって、「曲げてもいいや、俺のテクニックで」
っていうのだってあると思うもの。
私小説じゃない他人のドラマを作ってみましょう、
というのも、やってもいい時期が
何回もあったと思いますよ。
誰かと組めばできるのかな。
例えばいわゆる大女優と組んで、
一緒に台所の何かをするとか、
そういうことはこれから先あるかもしれない。
大女優は役者に徹して、
伊藤さんがその大女優のふりをしてセッティングして、
2人で1冊を作っていくっていうのだったら。
伊藤 そうですねえ。
料理家さんに成り代わって、
この人の料理だったらこうだろうなという
世界を作り上げることも好きです。
糸井 ああ、なるほど、なるほど。
それはだから違う「私」。
じっさいにやったことはあるんですか。
伊藤 はい。じつは今も料理家さんの本を作っています。
糸井 なるほど、なるほど。
そこでは、「歌だけ歌います」っていうか。
シンガーソングライターじゃなくて。
伊藤 ただ、広告の仕事は苦手です。
糸井 使ってるものが偶然一緒だったら
できるかもしれないってことですね。
どうしてもアニメーションの話と
スタイリングの話って重なっちゃうんですけど、
「私が探してきたものをここにいっぱい並べました」
っていうのがスタイリングで、
「私の頭の中から描き出した絵を動かしてみます」
っていうのがアニメーションですよね。
すごい似てると思ってるんです。
「愛・地球博」のときに、
「サツキとメイの家」というのがあって、
『となりのトトロ』の中にあるサツキとメイの家を
大工さんが作ったんですね。
それを見に行って、
「全部、時代はこうなるな」と思ったんです。
大もとは、そこにある書類から本からお茶碗から畳から、
宮崎駿さんの頭の中にあるものです。
それを、これだろうか、あれだろうかと言って
みんなが集めて、触れるものにしたんですけど、
お母さんが入院してるというのが『トトロ』の設定だから、
お母さんのタンスもあるんですよ。
で、「お母さんのタンスかぁ」と思って何気なく開けたら、
お母さんの身につける、それこそ下着まで入ってたんです。
そのなまめかしさにぼくは飛び退いて、
あわてて、見てはいけないものだと思って閉めた。
それで思ったんです。
「時代はこういうことになるんだな」と。
つまり、誰かが頭で考えたものが
全部そこに置いてあるわけですよね。
で、物を置くだけでその人の生活が見えてきますよね。
オリジナルで何かつくるというよりも、
集めてきて世界を表現する。
だから、役者さんを使うときの映画だったら、
その役者さんがどうしても持っている訛りだとか
体の形だとかっていうのは変えようがないんです。
でも、アニメーションだったら、
「俺が思ったとおり」のことができるんですよね。
で、どんどん今そっちに行ってて、
映画の撮り方も絵コンテに合わせて
何台ものカメラで撮ったりしてるんですよ。
つまり全部がアニメーションになっちゃうな、
と思ったのが、あの愛・地球博の時代でした。
もう一つは、小室哲哉さんが絶頂のときに、
ドキュメンタリー番組を見ていたら、
かならずそこにスタイリストがいたんです。
一緒に買い物してる場面も、
これがいいよ、あれがいいよっていうのは、
そのスタイリストがしゃべってる。
それを身につけて小室哲哉さんが出来上がるわけです。
伊藤 で、オシャレな人として見られている。
糸井 そう。だから、買い物をするというのは
「私」を表現することであるし、
それを着て、みんなが見てる「小室哲哉」を
表現してるわけだから、
実は「小室哲哉」の世界のものすごく大きな部分は
スタイリストが作ってる。
お笑いの芸人さんたちもテレビに出てるときの服は
全部スタイリストが作ってますよね。
「その人」だと思ってるものって、
実はスタイリストの脚本でできている。
そんな時代にもうなっちゃったんで、
じゃ、その人らしさってどうするんだろうと思ったら、
逆に今日、伊藤さんとしゃべったら、
伊藤さん自身は私小説しか書いてなかった(笑)。

(つづきます)


2013-10-16-WED
 

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(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
写真:有賀傑