第8回 生意気な演劇部員。

糸井 ケーブルとケーブルの間をくぐる
テレビドラマ創成期の通行人役って、
まるで、踊りの話を聞いてるみたいですね。
そういうむずかしさは想像していなかった……。
石坂 主役たちも
途中で着替えにいったりするから、
喫茶店のシーンだと、
出てくるまでの間、
お客さん役をやっているぼくたちを
撮ってくれたりするんです。
それはうれしかった。

まぁ、生放送のドラマというのは、
その時に、やっちまえば終わりだったから、
そういう意味でははっきりしてましたけど。

時々、ワンシーンしか
出ていないヤツがいたりするんですけど、
そういうやつに限って出トチるんです。

自分でモニターを見ていて
「あ、これ、俺出てるところなのに。
 すいません!」
と帰っちゃったりしたやつがいました。
ワンシーンしか出番がないのに出なかったから、
アルバイト料の四〇〇円は、もらえないよね。
糸井 生放送だから、
放送してるやつが
そのままモニターに出るんだ。

おもしろいなぁ。
それが高校時代ですか?
石坂 高等学校から
大学1年ぐらいまではそうでした。

大学に入ると
いわゆる大学の劇研というところに入るんです。
芥川比呂志さんという
慶応の先輩が作った
新劇研究会というものに入りまして……。
糸井 演劇ばかりしていて、
慶應には、どうして入れたんですか?
石坂 もう、下から(高校から)入りました。

高校を卒業するのだって、
あぶなかったんですけどね。

高校の卒業試験で
大学の学部やなんかが決まるんだけど、
私、出席日数が少ないんですよ、忙しくて。
糸井 忙しいですよね。
電車賃が足りないくらい
忙しかったみたいですからね。
石坂 学校へは行くんだけど、
疲れ果てて寝てるわけだよね、部室で。

そんなわけで、
「八割有効」とかいうふうに
掲示板に貼り出されたことがありますよ。

どういう意味かというと、
ぜんぶの試験の成績を
二割引にされちゃうという……
六十点だと四八点になっちゃって。
糸井 生意気なヤツだったんですか?
石坂 学校にとったら、
扱いにくいやつでしょうね。

高校の演劇部の連中というのも、
非常に生意気でしたから。

硬派ぶっていたり……
体力が要るんだなんていって、
網島までマラソンなんかしていた。
変わりものたちというか、
今の市川猿之助さんが
盛んにした部でしたからね。

部室に当時はあまりなかった
ソファやコーヒーメーカーを
持ってきて入れこんだりして。

一方の隣が野球部だし、
もう片方の隣がアメリカンフットボールで、
運動部のどまんなかに部室があったんだもん。
それは、
ヘンだったといえばヘンだったよね。

これで不良で学校に行かないやつは
学校に来もしないんだけど、
ぼくは、学校に行くんだもん。

学校に行かないと、みんなと連絡がとれない。

今日の稽古は何時かもわからないし。
当時は、携帯電話もないから。
  (つづきます)


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2005-01-02-SUN


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