…ま、それも「学校」の話。伊集院光✕糸井重里 …ま、それも「学校」の話。伊集院光✕糸井重里
面白くて笑ってばかりだったんですけど、
伊集院光さんと糸井重里の対談があったんです。
公開対談でね、そう、「ほぼ日の學校」の!

テーマが一応「学校」なんですけど、
関係なさそうな話がどんどん出てくるんです。
円楽師匠の話や『粗忽長屋』の話になったり、
伊集院さんの奥さんと糸井の共通点が語られたり、
謎の旅の話をしたり、窓ガラスに鳥がぶつかったり、
だいぶ下品なたとえ話が登場したり。
‥‥でもふと気づくと、いつのまにかそれが
「学校」や「学び」の話にもなっていて。

ふたりが掛け合わさると、こんなふうに話が
広がっていくんだ!という驚きのある全15回。
ま、どうぞ、ごらんください。
13.もともと何だっけ?
写真
糸井
ある種の言葉って、それだけで
すごく力を発揮できちゃうんですね。
一部分を強調したずるい言い方とか、
ひどい言葉を使うことで、
相手の力を弱めることができちゃうんです。


で、それを人間がやる場合には
「お前それ、言っただけのことを
やるんだろうな?」
って、自分自身が問いかけられるんです。


だけど、なんとコンピューターは、
どんなに力を持った言葉を発揮しても
「反作用」がないんですよ。
コンピューターっていじめられないんですよ。
伊集院
あーー、そうか。
そういうことか。
糸井
力って、使った分だけ、責任とか、
自分もそれだけの反作用を受けるんですよ。


「バカ」って言ったら、「バカ」っていう。
「バカって言うもんがバカじゃ」という
言い方もありますけど。


だけどコンピューターは、べつにそのまま
「バカと言う者がバカですね」って、
また言い返してればいいわけで。
痛くも痒くもないんですよ。
生活とか、命がないから。
伊集院
そうなんだよなあ。
言葉を発せられるけれども、
べつにコンピューター自体に責任がない。
ほんとにそこが、まずいですね。


だけど、不思議なもんで、
「責任がないやつが発してるものなんだから
気にしなければいいじゃん」
ってわけになかなかいかないんですよ。


なんか我々は、普通に点が3つあるだけで、
そこが愛くるしくなっちゃうような、
そこを擬人化しちゃうような動物なんですね。
糸井
「力そのもの」はあるんですよね。
伊集院
「責任がなくて、力があるやつ」
いちばん怖いですね。
写真
糸井
昔だったら「表現」というのも、
先に本物のコップがあって、
そのコップについて、
文章を書くとか、詩にするとか、
コップを歌ってみようとか、
そういうものだったんだけど。


いまは、そこにコップがないところで、
コップの絵や情報から、詩を作れちゃうわけで。


「二次元オタク」とかいるじゃないですか。
それって、それがべつにダメとかじゃなくて、
もととなる女の子がいなくて、
「絵で誰かが描いたもの」なのに好きってことでしょ?


で、いまはさらに、そこにまたべつの誰かが、
「それを思ってるあなたが好き」
ということまであって。
伊集院
だからそうなんですよね。
その想像は、いいほうのベクトルにも行くし、
逆に暴走しはじめちゃうと、
どうしたらいいかわかんないところにも行くし。


逆に言うと、ああいうキャラクターを
ちゃんと頭のなかでリアルな存在として認識できる
人間の能力の高さって、
いいこともいっぱいありますけどね。
糸井
あります、あります。
伊集院
ましてや、その自覚を持ってやってる分には
趣味としていいんだけれども。
糸井
ええ。
伊集院
ただ、いまSNSとかだと、
人から聞いた断片的な伝聞に急に腹を立てて、
「そう言やさ、そういうやつ
ほかにもいるよね」
みたいに話が広がっていくことまで起きてて、
「‥‥え、もともとなに?」みたいな。


「伊集院ってこういうやつなんだよね。
会ったことないけど」
っていう人が現れて、
「ラジオを聞いたことがある」までは
まだ共有できても、
「俺、その伊集院っていうやつ、
知らねえけど許せねえな」
みたいな話にもなってきて、
「そういうやつって、
きっとこういうこともするんだよ」
となってくのって、ちょっと不思議っていうか
‥‥止まらないですよね。
写真
糸井
つまり人間が
「情報には実体がある」と思って
生きていた時代には
「人を殴ったら、自分が殴られるよ」とかが
実感できてたんだと思うんです。


でも、たとえばいま、
「2億人を殺すボタンがここにあるとします」
って言ったら、
みんな「ああ、2億人」とかって
想像できちゃうわけですよね。
で、痛くも痒くもないわけですよね。
頭のなかでそのボタンを押すのは。


その設定でみんなが考え合ってるところに
世界が成り立ってるわけだから、
それは、乱暴なことっていうのが、
痛くも痒くもなくできるようになるし。
伊集院
きっと、ぐるぐる回るテーマだけど、
「効率的である」ってことが
振り落としてきたなにかだと思うんです。


わざわざ「もの」を見なくても「像」で見れます。
もはや「像」でもなくて、
もっとリアルに見えるけれども。


じゃ、そこで「効率」の代わりに
振り落としてきたものが、
下手すれば「責任」だったりとか、
本物から感じなければいけない
「恐怖」みたいなものとかで。


「恐怖なく近寄れたほうがいいじゃん」
といったことのかわりに、
たぶんなにか削ぎ落とされてて。


でも、ほんとはそういうところを
ちゃんと補充した上で、
同時に効率化が上がってるやつみたいなものが
どんどん出てこないと、ダメなんだろうな。
写真
糸井
いちばん簡単なのは、さっき伊集院さんが言った
「もともと何だっけ?」を
わかるかどうかだけだと思うんですよね。
伊集院
「もともと何だっけ?」
糸井
たとえばいま、
「東京のマンションは4億5億らしいよ」
みたいな話を聞いても、誰も驚かないんですよ。
「4億5億らしいよな。
このあいだは7億って言ってた」とかって、
何にも自分に関係ないじゃないですか。


でも「うちのアパート5万円なんだよ」
という話のときには、
「5万円」も観念だけど、
少なくとも5万円の感覚がわかってましたよね。
いま、そういう感覚がどんどん離れていってて。


「殴れば血が出る」とかもそうで。


さっきのあのハトの話がすごいのは、
「血が出た」っていうのを。
伊集院
それも自分の目で見てるし、
音から何から実は全部感じてたんですよね。
糸井
で、「つぶれ」っていう。
伊集院
的確な。
糸井
全部、その存在してるものとの
距離があるから、それが
「歌」として聞こえるんだと思うんですよね。
伊集院
これはすごい、もう掛け軸に書いとくべき。
「もともと何だっけ?」。
俺ら、いろんなところで
小利口になりすぎているから。
糸井
そうですね。
写真
伊集院
いや、お笑いやってても、
「もともと何だっけ?」を忘れて
忙しくなっていくんですよ。


で、自分のギャランティが
どれぐらいだと適切なのかとかも、
もはやわかんないんですよ。
「松村邦洋くん、いくらもらってんだって?」
なんつって
「じゃ俺いくら!」ってやってくうちに、
「もともと何だっけ?」も、全然わかんなくなってて。


だからその、
「もともと自分が最初にお笑いを
やりたかった理由は、やっぱり落語家になって、
おしゃべりやりたかったんだよな」
みたいなことを、たまに固め直さないと、
「いい暮らしがしたい」
「お金が欲しい」みたいな、
お金の額面みたいなものに
上手にすり替わっちゃいますよね。
糸井
つまり、
「価値があるとされること」に
自分を寄せていってしまうという。
伊集院
で、そこに言葉ができちゃうから、
なんとなく漠然としてきて、
「あ、なんなんだろう?」となってくるという。
(つづきます)
2024-02-12-MON