HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

飯島奈美さんの、このごろのお仕事。3 365日の献立日記 女優・沢村貞子さんの食卓

映画やCMに登場する料理をつくる
フードスタイリングという仕事。
設定は現代のこともあれば、昔のこともあり、
家族構成も、経済状況も、気持ちも、まちまち。
そのシーンで料理がどんな意味をもつのか、
そしてそれはどんな料理なのかを考え、つくり、
器やテーブルセッティングをふくめて提案する──。
そんな仕事を、飯島奈美さんは続けています。

そんな飯島さん、じつは、
NHK・Eテレのミニ番組
「365日の献立日記」に出演しています。
何度も再放送のある番組ですから、
ごらんになったかたもいるんじゃないかなと思いますが、
顔がうつることはないので、
飯島さんだとは気付かないかも?
この番組でうつるのは、
料理をしている飯島さんの手もと。
それでも、映像作品において
「裏方」に徹してきた飯島さんには、
とても珍しいタイプの仕事です。
料理は、いまはなき昭和の大女優・沢村貞子さんがのこした
26年半にわたる「献立日記」をもとに、
飯島さんが「自由に」再現したもの。
なぜ「自由に」なのかというと、
「献立日記」には料理の名前が書かれているだけで、
レシピはほとんど書かれていないから、なのだそうです。
きっと、沢村さんだったら(そして、いま、生きていたら)
こんなふうにつくるかもしれないな、という、
いわば、沢村さんと飯島さんの、
時を超えたコラボレーションなのですね。

写真=大江弘之(飯島さん撮影)/ 画像提供=NHK「365日の献立日記」
ききて=「ほぼ日」武井

365日の献立日記

沢村貞子さんの献立日記は、
以前から、書籍化されているものを読んでいました。
いまの私のスタジオと、
沢村さんがかつてお住まいだった家が、
歩いて10分ほどの距離にあることを知って、
まったくお目にかかったことがない方なのに、
親近感のようなものも、感じていました。
そのこともあったのかもしれませんが、
直観的に「これは必ず引き受けよう」と感じることが
ときどきある、これはまさにそんな仕事のひとつでした。

沢村貞子さん
▲沢村貞子さん(1908〜1996)。女優・エッセイスト。

番組の企画は、制作会社・テレコムスタッフの
根岸弓プロデューサー。
妻であり母親でもある根岸さんは、
家事と忙しい仕事のなかで「5分くらいで癒されたい」と、
映画やドラマのなかの料理シーンを見ることが多く、
それが発想の原点になったという。
あらゆる料理エッセイを読むのが好きな根岸さんは、
もともと、沢村貞子さんのファン。
通勤電車でよく読む本のなかに、
文庫化された沢村さんの著書
『わたしの献立日記』があったことが、
この企画にむすびついたという。
役者ではなく、飯島奈美さん自身に登場してもらったのは、
役者を立てることでフィクション性がつよくなることを
避けたかったから。

「献立日記」に書かれているのは、
ほとんどが、料理の名前だけです。
たとえば、この日記がはじまった最初の日、
昭和41年4月22日金曜日の献立(晩ご飯)は、

と、あります。
もうこれだけで、おいしそうなのですけれど、
具体的なつくりかたは書かれていません。

表紙 芹沢銈介「型染カレンダー」

沢村さんは、この献立日記を始めた経緯を、
「仕事をもつ主婦のほんのちょっとした思いつき」
と、エッセイに書かれています。
夫婦ともに忙しく、健康でいるために、
おいしく食べることが大事。
そこで日々の献立を考えるにあたり、
忙しさにかまけて、うっかり、同じ料理が続かないように、
「そうだ──前の日の走り書きのメモを
チャンと残しておけば、参考になる‥‥」と、
無地の大学ノートを買い、横4段に仕切り、
毎晩の献立と日付を、
2冊目からは朝晩の献立と日付を
書くようになったんだそうです。

沢村貞子さんの「献立日記」は、
57歳のときから84歳のときまで綴られた。
大学ノートがすべて埋まると、
愛用していた民芸カレンダーの
芹沢銈介の絵の部分で表紙をつくり、
表紙の右端に日付を書いた。

表紙  芹沢銈介「型染カレンダー」

最初の打ち合わせで制作のみなさんが
「飯島さん、自由につくってくださいね」
と仰ってくださいました。
わからない部分を私なりにおぎなってよい、
それごと、番組として放送しましょう、と。

そこで、私がふだんしている仕事と同じように、
その料理の背景や、季節を考えながら、
レシピを組み立てていきました。

私が大事にしたのは、
見た人に「わたしもやってみよう」と
思ってもらえるような工夫を入れることです。
沢村さんのような大女優だったら
さぞや贅沢をなさっていたんじゃないかと思うと間違いで、
沢村さんは、女優である前にひとりの生活者で、
ご自身を「庶民」と位置づけている。
撮影のときもほとんど家でごはんをつくり、
撮影所にはお弁当を持って行き、
外食することはあまりなかったと聞きます。
宝石のような贅沢品を買うのだったら、
たまにでいいから、いいお肉を買いたい、と、
そんな感覚をずっとお持ちだった。

どの献立をとりあげるかは、
番組のプロデューサーやディレクターと
相談しています。

番組のスタイルは、ナレーションを担当する
鈴木保奈美さんが「主人公」として進む。
料理をしているのも「主人公」。
沢村貞子さんの献立日記を参考に料理をしている、
というかたちになっている。
ですから、飯島さんならではのレシピや食材、
調味料のくふうも、番組にはたくさん登場する。
ちなみに──、鈴木保奈美さんは飯島奈美さんの料理のファン。
番組に登場した料理を実際に作ることもあるそう。

メニューが決まったら、試作です。
撮影前には何度かつくります。
たとえば、「牛肉のバタ焼き」。
沢村さんだったら、きっと、
ヒレ肉を使われると思うんだけれど、
それじゃちょっと贅沢すぎるから、
やわらかめのモモを使うことに。
だいこんおろしも、消化にいいから、
つけてたんじゃないかな、と想像したり、
メニューには書いていない部分を、
かなり、自由に、補っています。

「ほぼ日」といっしょに『LIFE』をつくったとき、
飯島さんは事前に「みんながおいしいと感じる味」を
研究し、何度もレシピを精査した。
また、映画やCMを手がけるときの参考になること、
たとえば近現代の人びとが日々の暮らしのなかで
なにをどんなふうに食べてきたのかということについて、
つよく興味をもって、文学作品、映像作品、
あるいは戦前戦後の婦人雑誌を集めたり、
日本のみならず海外にでかけての情報収集をしている。
そんな「スタイリスト」と「研究者」の
交通整理のような仕事が、
この「365日の献立日記」なのかもしれない。

調理の手順や、ちょっとした工夫については、
テレビのいいところで、
見ていただければ、すぐわかるようになっています。
料理番組のように詳しく説明はしていませんが、
映画のワンシーンのように切り取られています。

たとえば「牛肉のバタ焼き」で
バターを溶かしてお肉を入れるタイミングは、
熱したフライパンの上で、
バターが半分くらい溶けて、半分くらい固形の状態で、
お肉を入れています。
これは、溶けきってから入れると焦がすことがあるので、
溶けかけのときに入れるといいですよ、という提案です。

失敗したかな? というところも、
そのまま放送されていたりするので驚いてしまうんですよ。
沢村さんは、にぎりずしを家庭でつくっていたというので、
私も本番前にけっこう練習を積んだんですけれど、
「上手にできる」ところまでは行かなかった。
そのまま収録に入ったんですが、
最初の方はなんだかぎこちなくて、
でも最後のほうはちょっとさまになった。
きっと放送では最後のほうだけ使うんだろうな、
と思っていたら、
主人公が「だんだん上手にできるようなった」
という説明で、最初から使われていました。

番組のロケは、飯島奈美さんのスタジオ。
道具類は、ほとんどが飯島さんがふだん使っているものだ。
制作チームは、収録のためにセットを組むことも考えたが、
番組のイメージにぴったりということで、
飯島さんのスタジオが選ばれた。

もともと持っていた北欧の道具や家具と、
私が住宅建築で有名な建築家、
吉村順三さんに憧れて、
昭和のテイストに改築をした
キッチンまわりの造作が、
番組のイメージに合うということで、
選んでいただきました。
何年か前から伝統工芸品の仕事をさせてもらっていて、
おひつとかお重、お椀なども揃っていたのもよかった。

調理道具や器のことは、
沢村さんの生きた時代を再現するのではなく、
「いま、沢村さんだったら、どうなさるかな」
というふうに考えています。
庶民として生きられたかたですから、
いかにも作家もの、というよりは、
作家ものではないけれど、ちゃんと作られたものを
中心にえらびました。
献立日記には、料理名だけでなく、
物の値段やお客さんの記録が短く書かれているんです。
そういう言葉も、参考にしています。

放送は、春夏秋冬でテーマを分けています。
いま、ちょうど「夏」のメニューを、
9月下旬からは「カレーライス」や「栗赤飯」など
「秋」のメニューを放送するので、
のんびり、リラックスしながら
ご覧いただけたら、とても嬉しいです。

2019-08-30-FRI
  • 飯島奈美さんの、このごろのお仕事のこと。
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