カッパに惚れた、 牡蠣の一代さん。
 
第5回 与えられた運命を愛せよ。
ほぼ日 一代さんは、お父ちゃんのカッパ姿にピンときて、
気仙沼にお嫁に来たわけですよね。
その一瞬の、ご自身の「惚れ心」によって、
何十年間を過ごしてきているわけです。
振り返って、どう思いますか。
一代 私が嫁にきたときに
じいちゃん、つまり舅から
「与えられた運命を愛せよ」って言われたの。
私は、それにすごく反発してて、
ずっと大嫌いな言葉だった。

私には違った人生があったかもしれないし、
なんでここで、苦しい思いを
しなくちゃいけないのか。
こんなのが「与えられた運命」だったら、いやだ。
ずーっと、そう思ってました。

ところがね、いま、その言葉が
まったく別の方向から
見えてくるようになりました。
与えられた運命は、これか。
愛するって、こういうことか。
それはほんとうに、いまの自分が
「なるほどな」と思うところがあるのです。

これまで、牡蠣むきや養殖はすごくたのしい、
充実した毎日でした。
でもいまは、また違った生き方を
するようになっちゃいました。
それこそ、私に与えられた運命です。

うちの従業員さんにも、
この津波にのまれて亡くなった人たちが
たくさんいます。
家もみんな流されたから、
働いてくれる人たちがなかなかいなくて。
そのときにボランティアの人たちが
7〜8人、交代で来てくれました。
北は北海道、南は九州の人も来てくれて。
私もその土地の人たちになれたような、
いろんな話を聞くことができました。
それはそれは、ほんとうにたのしい日々でした。
被災地で、ちょっとでも役にたちたいって
来てくれるんですよね。
ちょっと負けてられませんよね。
たぶんね、みなさんもここにいたら、
そうだと思います。
負けてられないし、って思うと思います。

気仙沼や陸前高田の海沿いにはね、
ほんとうに家がたくさんあったんですよ。
だいぶがれきを片づけたから、
見られるようになりました。
歩いていると、焼けたにおいと、
重油のにおいと、亡くなった方のにおいがしました。
遺体はかんたんに探せなくて、腐ってきていたんです。
家の近くでも、手が見えていたんですけど、
誰も気づかないで歩いていたんです。
夏、においでわかって、
近所のおじさんが見つかりました。
でも、見つかっただけでもいいんです。
海に持ち出されると、体は見つからない。
においのおかげで探しだして
見つかった人がいっぱいいます。

海沿いは、なんにもないように見えますし、
地盤沈下で海になってしまったところもあるんですが、
これね、ほんとうに街だったんですよ。
うちも地盤沈下で海につかっちゃいそうなんです。
でも、海の仕事をしているので、逃げられない。

街が消えて、思い出がなくなるって、
ほんとうにつらいですよね。
流された家にあった茶の間とか、キッチンがなくなる。
写真がなくなる。
だからいま、一生懸命写真を撮ってます。
ちっちゃいときの写真を、親戚に電話して
「持ってない?」と聞いてまわったりもしました。

波を見ながら思います。
福島から私の実家の岩手県の久慈のほうまで、
ずっとこの状態です。
三陸海岸、ずっと、ずっと。
ちょっと考えられないよね。

でも、こうしてまわりに応援してくれる人がいるから
苦しいとかしんどいとか思わないよ。
今回、最悪の状況の中でも
助けられたという経験は、ほんとうに大きかった。
だからね、人間として生まれて、ほんとによかったと、
あの津波が皮肉にも感じさせてくれました。
自分の運命を愛せるからこそ、
こうやってできることがたくさん湧いて、
自分のやりたいことがふくらんでくるんだよ。

震災後思ったんだけど、
自分の思いとか、自分の夢って、
口に出して言うべきだと思う。
声に出して言えば、どこからか誰かが来て、
実現させてくれるんだよ。

「唐桑まで来てくれた人に
 牡蠣を焼いて食べてもらいたいんです!」
とポロッと言ったら
愛媛のボランティアの人たちが
「焼く台を作ってあげる」と手を上げてくれました。
ほぼ日 得意な人達が、いるんですね。
一代 うん、いるんだよね。
夢は、言うと実現できる。
言ってよかった。
私は言わないとだめなんです。
なかなかね、心が折れちゃうのです。
言ってしまったら
「あ、私はウソつきになる」
と思って、
ない知恵をふりしぼることができるんだよ。

牡蠣を焼く台ができてみんなが来たら、
泊まってもらうのに布団を用意しなくちゃ、
と言ってたのを聞いた人が、
「ホテルをやめるんだけども、
 布団があるので、よかったら」
と声をかけてくれました。
すごく立派な布団なの。
クリーニングもしてあって、20人分。
ほぼ日 すごいですね。
一代 私はあちこちで、「布団いるなぁ」って
言ってたんだろうね。
私はなにもお返しできなくて、
やっぱり牡蠣と帆立とわかめを作るのが
商売だから、それを一生懸命やる。
お世話になった人たちが来たら、
おもてなしをするしかありません。

でもね、私は、人が来てくれないと、
こう見えて、ほんとに寂しいです。
シュンとなるよ。
こんなに「イヤァ」なんておどけてても、
みんなが来てくれないと、
ドッて落ち込んで何もしたくなくなる(笑)。
ただ遊びに、お茶飲みにだけでもね、
来てほしいよね。

だから、バスガイドのときにも言ったけど、
体験民泊、やるからね。
みんなの前で言っちゃったので、
やらなくちゃいけないなって思う。
絶対やります。
(エピローグにつづきます)
2013-08-22-THU
 
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(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
 
ようやくお目にかかることができました。『アンパンマン』の生みの親である、やなせたかしさん、94歳の登場です!