おめでとうのいちねんせい 再販記念企画  のんびりした神様に。 日比野克彦+糸井重里
第4回 若い芽は摘みたくなる。
日比野 イラストレーターでいうと、
ペーター佐藤さんとか、山口はるみさんの
スーパーリアルなエアブラシで描く絵が、
ガーンと出て、
そして、湯村輝彦さん、
河村要助さんのヘタウマで、
「ペンギンごはん」が出てきて、
というあたりに僕がいて。
糸井 いいねぇ、
露払いが、そんなにいて。
日比野 次のおもしろいもの、なに?
次のおもしろいもの、なに?
っていうときに、
「ダンボール、なにそれ?」
みたいな感じで、歓迎してもらえたんです。
糸井 しかも、立体のデカイやつね。
みんなびっくりしたもん。
グラフィック展でグランプリ取ったんだよねぇ。
ダンボール並べた日比野くんの個展、
オレも観に行ったなぁ。
オレはあのとき、はじめて美術作品を
ひと目見て「欲しい」と思ったの。
それは、すごく印象深い出来事だったんだ。
絵や美術を、すごく簡単に
「欲しい」という気持ちで見たのが
自分にとって新しかった。


日比野 ここに似合うようなもの、
なんか持ってくればよかった(笑)。
糸井 その作品つくってる人の気持ちを
超えちゃう欲望が生まれちゃったんだから、
あれは、不思議で衝撃的な感覚だったなぁ。
グラフィック展あたりがいちばん最初?
日比野 いちばん最初は雑誌です。
「イラストレーション」という雑誌に
チョイスというコーナーがあって
その第1回の選者が
湯村輝彦さんだったんです。
「イラストレーション」読んで
「へえぇ、こんなのがはじまるんだ」
「湯村さんに作品見てもらえるんだ」
と思って(笑)、応募したんです。
イラストとダンボールの立体ものを持って
飯田橋あたりの、昔の玄光社まで行って、
作品を置いて来ました。
そしたら編集部から電話があって、
「選ばれました」
「やったー」
糸井 「やったー」と(笑)。
日比野 掲載された「イラストレーション」には
湯村さんの選評が書いてありました。
そのとき、ぼくは、
まだダンボールの平面を描いてなくて、
べニヤに絵を描いていました。
それがチョイスで選ばれたけれども、
湯村さんは、
「ダンボールできた立体のほうがおもしろい」
と書いていました。
糸井 うん、うん。
日比野 公募の1回目だったから
平面に限るというルールがあるのが
よくわかってなくて、
僕は作品を立体で出してしまったんです。
ページには立体作品も紹介されてて、
「これは受け付けません」
とか書いてある。


糸井 ははははは。
日比野 「このような作品は受けつけませんので、
 よろしく。でも、おもしろい」
あ、けっこう、湯村さんはウケてるなと思って、
そのあと代々木で展覧会をやったときに、
湯村さんに来てもらおうと思って
DM出したけど、
ぜんぜん来てくれませんでした。
糸井 湯村さん、実は
ひっこみじあんだからね(笑)。
日比野 そうなんです。でも、最終日、
「イラストレーション」の編集部に
湯村さんの電話番号を訊いて、
直接電話してみました。
「ああ、そうか、今日までか。
 じゃあ、いまから行くわ」
って、来てくれたんです。
僕は、搬出の時間をちょっと遅らせて、
待っていました。
そしたら、湯村さんが、
(奥さんの)タラちゃんと一緒に来てくれて。
糸井 うん、うん。
日比野 もう、あのときのうれしさは、
なんだろうな‥‥すっごくね、
応援してくれる、というのがわかったんです。
「やってくれるよな、これいいぞ、
 おまえ、大丈夫だ」
というようなことを湯村さんは言ってくれて、
あ、いいんだ、湯村さんも喜んでくれた、
と、自分が思うことができたんです。
これは、すごく大きなできごとでした。
糸井 湯村さんは、基本的に
褒めない人だからでしょうね。
まず、イラストレーターでも
コピーライターでもお笑い芸人でも
無意識のうちに、
新しい芽をつぶしたいというのは
おんなじであって(笑)。
職人は、みんなそうです。
日比野 ああ、そうですね(笑)。
糸井 もちろん応援したいとか、そういう気持ちは
ちゃんとあるんだけど、
「無意識で」そう思ってるところが
どうしてもあるんです。
いいなと思えるものに出会ったときには、
ものすごく複雑な気持ちになるんだ、たぶん。
それを、超えていくのは
なかなかないことだからね。
しかも、湯村さんは、厳しい人です。
だから、とってもめずらしいことだと
感じますよね。



(つづきます。)

2009-02-10-TUE





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