挿絵の 地図の 絵本の雑誌の ロゴの 写真の宣伝の 先輩の お家のパリの 東京の 旅人の   堀内さん。──デザインを旅したひと。──
はじめに。

堀内誠一さんの長女である花子さんに会ったのは、
2015年の初秋のことでした。
「ラオスの布」の谷由起子さんについて取材するため
岩立フォークテキスタイルミュージアムに伺い、
館長の岩立広子さんにお目にかかったときのことです。

たくさんお話を聞いたあと、岩立さんから
「ちょうどお客さんがいらっしゃるのよ。
 よかったら一緒にお茶をいかが?」
とお誘いがありました。
「女学校時代からのお友達なんです」と。

そのお客さまは、髪の真っ白なご婦人。
「彼女はね、女学校時代に
 新入生のビューティーコンテストで
 優勝したことがあるのよ!」
と岩立さんが言う、かわいらしいかたでした。
「ごめんなさいね、耳がすこし遠くて、
 よく聞こえないんですけれど」
と言いながらも、そのご婦人と岩立さんは、
横にいらした娘さんらしき女性を介して、
まるいテーブルをかこんで近況報告をしあい、
たのしそうに笑って、お茶を飲んで。
このふたりは、きっと
女学生のときからこうなんだろうなぁ!
そんなことを思いながら、
私たちもいっしょにお茶をいただきました。

そして、ご婦人のそばにいた女性が
「こんど父の展覧会があるので──」と、
くださったチラシを見て、おどろきました。
「ぐるんぱのようちえん 誕生50周年 堀内誠一展」
と書かれていたからです。


▲これがそのチラシ。

堀内誠一さん?! あの堀内さん?

そうだったのです、その白髪のご婦人は、
堀内誠一さんの奥さまである(旧姓内田)路子さん、
そして路子さんのそばにいた女性は、
長女の花子さんだったのでした。

堀内誠一さん!! やっぱり堀内さんだ!

ぼく(武井)は堀内さんのファンで、
とくにその「手描きの地図」や
「パリに住んで欧州あちこちを旅していた」という
ライフスタイルに憧れつづけています。
パリ時代につくっていたミニコミの集大成である書籍
『いりふねパリガイド』は宝もの。
読むだけではあきたらず、
マネして地図を描いたりするようになりました。
ここにあるTOBICHI周辺マップは、
そんな趣味がこうじて描いたものです。
影響を受けましたなんて堂々と言うのは
かなりはずかしいんですけれど。)


▲パリ時代に参加していた日本語新聞『いりふね・でふね』76年1月号。
セーヌ川沿いの古本屋を地図にしてレポート。
ロゴやレイアウト、イラストも(ときには記事も)堀内さん。

このとき、ひとりで興奮していたのだとばかり
思っていたのですが、ちがいました。
同席していたチームの渡辺弥絵が、
「ぐるんぱ!! ぐるんぱの!!!」
と、興奮を隠し切れずに叫びました。
彼女にとって堀内誠一さんは、
すばらしい絵本作家のひとり。
谷川俊太郎さんが訳し堀内さんが絵を描いた
「マザーグース」シリーズなども含め、
堀内さんの絵本系の著作物はほとんど揃えていて、
いまもだいじにしているというのです。


▲『ぐるんぱのようちえん』は初版が1965年。いまはなんと149刷を超えたロングセラーです。

さらに、ぼくや弥絵よりも若い、
山川路子も静かに興奮していました。
彼女は「ほぼ日」に来る前、
マガジンハウスの雑誌のレイアウトを
手がけるエディトリアル・デザインの事務所で、
仕事をしていたことがあるのです。
マガジンハウスの雑誌といえば、
an・an、POPEYE、BRUTUS、olive‥‥
いずれも堀内誠一さんが立ち上げのときにかかわり、
そのロゴをつくり、ページをデザインしています。
つまり堀内さんは、山川にとって
「デザインの」大先輩。
ちょっとおそれおおい存在です。


▲『POPEYE』創刊号表紙。最近復刻されて話題になりました。

▲創刊号はカリフォルニア特集。
ふつうの人たちの(でもステキな)ライフスタイルを紹介するというのは、
なかなか、なかったのです。憧れたーっ!

▲こちらは『BRUTUS』創刊号。ロゴもデザインも堀内さん。

▲創刊号は「BRUTUSの提案する理想の男性像」がテーマ。
いま見ても、とても斬新なページデザインですし、
でもそんなことがよくわからなかった当時の男子が「なんてかっこいいんだろう」
「こういう大人になりたい」と思ったのでした。

さらにそのとき一緒にいた、
ライターの武田景さんという女性も、
堀内さんの大ファンでした。
ぼくよりすこし年上の武田さんは、
堀内さんが手がけたan・anを同時代で読んでいます。
(ちなみに、ぼくはPOPEYEを
創刊号から読んでいる世代です。)
堀内さんの著作はほぼすべて初版を持っているし、
雑誌も大事にとってあるし、
堀内さんのオリジナルの地図作品は額に入れて
壁に掛けている、というほどでした。


▲an・an創刊号表紙。

▲創刊号の特集は、パリ&ロンドンでした。まだまだ、そう簡単には海外に行けない時代です。
そんななかan・anの紹介する外国は、ほんとうに「うっとりするくらい」格好よかったんですね。

▲『an・an』26号のインド/ネパール特集に掲載されたイラストマップ。もちろん堀内さんの手によるもの。
女性誌でインド/ネパールって、それだけでもすごいです。

つまり、その場にいた全員が

「堀内誠一さん!!!」

と思っていたのでした。

そして、この取材チームは、
「やさしいタオル」と同じメンツです。
花子さんと、やや興奮気味に話をしつつ、
「堀内誠一さんの絵でやさしいタオルをつくりたい!」
という気持ちが高まっていきました。

ぼくらの提案に花子さんは
「タオルに、父の絵を?!」とずいぶん驚かれましたが、
ぼくらが思い描くようなぴったりの絵が見つかるかどうか、
まずはアトリエにどうぞ、と誘ってくださいました。
そこから今回の
「やさしいタオル」づくりがはじまったのでした。

▲若き日の堀内さん。

堀内誠一さんのことは、
タオルを販売するときにあわせて
ページでプロフィールを紹介しようと
考えていたのですけれど、
岩立ミュージアムからの帰路、みんなでワイワイと
それぞれの「堀内さん」のことを話していると、
おもしろいように
みんなの知識がばらばらなことがわかりました。
地図の堀内さん。
絵本の堀内さん。
デザインの堀内さん‥‥。
それもそのはずで、堀内誠一さんの活躍って、
ひとつのジャンルにしばられず、
いろんな興味と行動力をかけ算にしたもの。
ひとつひとつのエネルギーが大きいのに、
それがいくつもつらなっているようすは、
まるで惑星があつまって天体をつくっている、
みたいなことです。
堀内さんの宇宙は、あまりにも大きいので、
とてもじゃないですが「かんたんなプロフィール」で
まとめるのは難しいぞ、と思いました。

さらに、アトリエにお邪魔して原画を見ながら
花子さん、そして妹さんの
紅子(もみこ)さんたちの話を聞いていると、
ぼくらの知らない「お家の堀内さん」の姿もまた、
とても魅力的に思えました。
ああ、こういうことを、紹介したい。
「こんなに、すごいひとがいたんだよ」
ということがすこしでも伝えられたら‥‥。

堀内誠一さんが亡くなられて
もうずいぶん長い時間が経っています。
当時を知る人も少なくなったどころか、
堀内さんの名前を知らない人だって、
きっといっぱいいると思います。
あるいはこのコンテンツを通じて
「よく知らなかったけれど、
自分のこういうところは、知らないうちに
堀内さんに影響されていたんだ!」
なんていう人もいるかもしれません。

そんなふうに考えて、じっくりと、
このコンテンツをはじめることにします。
次回は「絵本の堀内さん。」を
10月26日(水)に更新する予定です。
どうぞ、おたのしみに!

2016-10-19-WED
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN