亡命ロシア人から借りた築400年のアパルトマンで壁の電話回線が火を噴き、中から盗聴器が出てきた件。
ぼくの7日間戦争、勃発。
── 24時間体制で汚水の漏れに対応しながら
ゾンビの踊りの振り付けも考え
ゾンビの衣装も手づくりし‥‥という
絶望的な状況を、どうやって打破したんですか。
TOBI 水漏れの発生から7日目の月曜日、
管理人さんを部屋に招き入れ
床や壁やピンクの衣装のスソ等に
ベットリと
油や生ゴミがへばりついた悲惨な状況を
見てもらったんです。

すると、
それまで「自分でどうにかしてよ」的な
態度に終始していた管理人も
ようやくヤバすぎる状況を理解したのか
裏から手を回し
その日じゅうに、水道管工事の人を
手配してくれることになったんです。
── おお、ついに。
TOBI でも、その日はちょうど
外国人滞在許可証の更新日だったため、
管理人に工事の立ち会いを託し、
ぼくは警察署へ出向くことにしました。
── はい。
TOBI どんなに全身を拭き清めても
異臭‥‥いや、腐臭が消えなかったため
思い切って
ファブリーズを身体じゅうに振りかけ
家を出ました。

警察には12時には到着したのですが
夕方5時まで待たされた挙句、
「ハイ、時間切れです。次は3カ月後」
と言い放たれました。
── これまたひどい!
TOBI でも、そんなことは気にしません。

だって家に帰れば、
待ちに待ったシャワーを浴びられる!
ああ、なんてぼくは幸せなんだろう!

スキップするくらいのテンションで
自宅に戻ると
水道工事の人が、まだ来ていない‥‥。
── 嫌な予感がしますね。
TOBI これは‥‥と思って電話してみると
案の定
「本日の営業は終了しました。
 平日の朝9時から17時までの間に
 おかけ直しください」
という
冷たい音声アナウンスが流れました。
── さらに、ひどい‥‥でも、
このあたりの細かいひどい目については
もはや、
まだまだひどくない気すらしてきますね。
TOBI 翌日の火曜、つまり水漏れから8日目は
ゾンビ踊りの当日だったので
もう絶対に、本番までに来てもらおうと。
── 水が溢れ出してから
すでに「まる一週間」が経過しています。
TOBI 身体は、完全に限界に達していました。

そのころになると、
24時間ひっきりなしに水が溢れていました。
ベッドに臭いが移ると嫌なので
洗面所にダンボールを敷いて寝ていました。
── 家の中で家を失った人が、ここに‥‥。
TOBI しかも、洗剤をたっぷり含んだ汚水に
しじゅう触れていたので、
手足の指がカサカサにアカギレを起こし、
うっすら血がにじんでいます。
── よくぞ、気をたしかに保ちましたね。
TOBI いや、このままいったら
精神の崩壊も近いという予感がありました。

なので、何が何でも明日の日中、
ゾンビ踊りの会場入りの夕方5時までに
水道工事の人をつかまえ、
しっかり直してもらわなければ、と。
── はい。
TOBI せめてもの防衛的措置として
その日は、
アパルトマンに帰ってくる住人たちを
玄関先で待ち伏せ、
「ちょっと、
 この悲惨な部屋を見てってください」
と、拾い集めた各種生ゴミや
毎晩ここまで水浸しになるんだという
「水の跡」を
ひとりひとりに見せたんです。
── このナスのヘタやキャベツの切れ端に
見覚えはないかと。
TOBI そしたら、その日の夜から翌朝にかけて、
上の住人たちが、工事会社の留守電に
「緊急事態!
 下の階に住んでるアジア人がヤバい!
 死ぬかもしれない!」
と、録音しまくってくれたんです。
── いわゆる「電凸」ってやつですか。
TOBI そう。
── 真夜中に洗濯機をまわす銀行員風の男も、
ハト胸のボリビア人女性も、
ココナッツのボディソープを愛用している
朝7時10分にシャワーを浴びる人も、
でっぷり肥えて
みごとに禿げ上がった泡風呂のオッサンも?
TOBI はい。
── いい人たちじゃないですか。
TOBI いいえ。
気兼ねなく水を使いたいからですよ。

自分たちのパリ暮らしを
おかしな野郎に乱されたくないだけ。
── あ、そう‥‥。
TOBI その証拠に次の日の朝も、いつもと変わらず、
コーヒー豆のカスやらパンの屑などは
容赦なく、排水口から流れ出てきましたから。
── 下の階で水漏れしてても
モーニングコーヒーくらいいいだろうと。
TOBI そこはパリジャン、パリジェンヌです。
じつに多種多様な
コーヒー豆のカスとパン屑が流れてきます。

アフリカ系の苦い豆とクロワッサンで
朝食にする人もいれば、
中南米系の酸味の強い豆に
シリアル入りバゲットの人もいたり‥‥。

粗挽き、中挽き、細挽き、
ありとあらゆるコーヒー豆のカスが、
バゲット、ブリオッシュ、
パンオーショコラの屑と一緒に、あふれてくるんです。
── おフランスの朝の「カスと屑」が
排水口から溢れ出してくる家‥‥。

それで、水道工事の人は?
TOBI その日のお昼くらいに、電話が来ました。

なにか、汚水が漏れていて
アジア人が死にそうになってると聞いたので
午後2時を過ぎてしまうけど行きますと。
── ゾンビの会場入りまで、ギリギリの時間。
TOBI はたして、水道工事人はやって来ました。

前回の男とくらべたら
じゃっかん、さわやかに見えなくもない、
ハードパンク青年でした。
── おお、ともあれよかった。
TOBI 日本のマンジュウをみっつも平らげて
「不味くないね」と言ってくれたし、
ぼくの口からは
「その髪型カッコイイね!」
という
彼のモヒカン・ヘアーを褒める言葉が
わりと自然に出てきました。
── おべっかなどではなく。
TOBI 聞けば、アジア人が好きだそうで、
「ぼくはね、アジアの人のこと大好きで
 リスペクトしているから
 アジアの人には
 工事代をボッタクリとかしないんだ!」
と言っていました。
── ‥‥‥‥。
TOBI じゃあ他の人にはボッタクってるのかと
軽く衝撃だったんですが、
そんなことより、
そのときは修理のことで頭がいっぱいで。
── ‥‥ええ。
TOBI まず、モヒカンのボッタクリ青年は
アパートの1階まで届くほど異様な長さの、
手元のはるか先に
小さなタワシをつけた器具を持ち出し‥‥。
── そんな器具が出動されねばならないほど、
手強い「詰まり」でしたか。
TOBI シャワールームの入り口で
対戦車用バズーカでもぶっ放すかのように
どっしりと腰を据えるや
神妙な面持ちで、その器具の先端部を
ゆっくりと慎重に、
細〜い配管へ差し入れていったんですが‥‥。
── 職人技ですね。
TOBI すぐさま「コン」と。
── え?
TOBI すぐ手前のところで詰まってたんです。
そんなに長い棒、必要なかったんですよ。
── それじゃ、むしろ作業しずらいでしょう。
TOBI ボッタクリ青年は、堂々とした顔で
ゆっくりと、その器具を床に置きました。

そして、さらにゆっくりと
巨大なフォークのような器具に持ち替えて
大きく深呼吸をすると、
配管の穴を
一気呵成にガバガバと刺しはじめたんです。

すると、ついに‥‥。
── ‥‥はい(ゴクリ)。
TOBI 直径にして40センチはあろうかという、
丸くて巨大な黒い物体、
それはまるで
「中年男性の濡れた頭部」ともいうべき
漆黒の塊が、
「ゴボゴボゴボゴボーッ」という轟音とともに
あらわれ出たんです。
── おおお! 
TOBI その「漆黒の塊」には、
水垢や石灰のようなものが付着しており
それがまた、
「中年男性の濡れた頭部に浮いたフケ」
のような雰囲気を
ますます、醸し出していました。
── 聞いているだけで、すごいカタルシス。
ものすごいデトックス感‥‥。
TOBI ただただ、ひたすらに感動的でした。

その、中年男性の濡れた頭部の後ろから
まばゆい光が射し、
キラキラ輝いているようにも見えました。
── 仏教かなんかの説話みたいな感想ですね。
で、水漏れは直ったんですよ‥‥ね?
TOBI 直りました。長くつらかった
「ぼくの7日間戦争」が、終結しました。

ぼくは、目の前で
4つ目のマンジュウに手を出すモヒカン青年を
心の底から尊敬しました。
頬に大粒の涙が伝っていた気もしますが
手が汚すぎて拭えませんでした。

見れば、時計の針は4時10分を指しており
今から急いで出れば
会場入りの時間にギリギリ間に合うタイミング。
── そうか、そのあとゾンビの踊りがあるんだ。
TOBI そう、本番はすぐそこに迫っていました。

だから、水漏れが直ったとはいえ、
シャワーを浴びている時間はありません。
── 急がないとね。
TOBI ぼくの身体からは、
お花畑の芳香と下水の腐臭が入り交じった、
何とも形容しがたい「強い」匂いが
漂っていたのですが、
そんなことも言ってられませんでした。
── 待ってますものね、オーディエンスが。
TOBI そう、エレクトロ好きのトンガリキッズが
フロアでぼくを待っている‥‥。

そう気を取り直して、
ゾンビの衣装を手に会場へ急行したんです。
── プロです。
TOBI 当初、見た目もゾンビらしくするために
両目のまわりを黒く塗ろうと
思っていたのですが
ひどい「クマ」のおかげで
もはや、その必要はありませんでした。
── 素顔でイケるぞ、と。
TOBI 顔色はコケの生えた老木のように
生気を失い、
アカギレでカサカサに荒れ果てた
10本の指先からは
じんわりと血がにじんでいます。
── なるほど、そうか‥‥!
TOBI 「今日は、世界でも有名な
 プロのゾンビダンサーを呼んでいます。
 レ・ロマネスク!」

そう呼ばれて出て行ったステージでは
連日連夜の
汚水汲み出しによる筋肉疲労のおかげで
ゾンビ踊りの動きが、
異様に「カックンカックン」している。
── ようするに‥‥‥。
TOBI クワーッと両腕を上げても
引力に抗いきれず、パタリと落ちます。

途中からは悪寒で全身が小刻みに震え、
舞台に倒れて
誰かの名前を呼ぶ場面では
「ドゥロー(水)‥‥ドゥロー(水)‥‥」
と、うわ言のようにつぶやいていたと、
あとから
アシスタントのMIYAさんに聞きました。
── わかりました、トビーさん。
つまり「ステージは大成功」だったんですね?
TOBI そうです。オーディエンスからは
割れんばかりの、拍手喝采を受けました。
── なにしろ
『レイジング・ブル』のデ・ニーロも顔負けの
完璧な役づくりですものね‥‥。
TOBI そう、そのとおりです。

あの日、ぼくは、
「ゾンビを演じた」のではありません。
「ゾンビになった」んです。

あの、恐ろしい汚水事件のおかげで‥‥。
<終わります>
2014-09-19-FRI

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©hobo nikkan itoi shinbun