0
プロローグ
濱口秀司さんと話した、6時間。
1
教えるのは難しくて、何度も失敗しました。
そうして学んだのは「ナレッジとはなにか」を
正しく理解していないと、
下に教えられないということです。
2017-11-22
2
虎の巻の穴の空いた部分を想像して、
ロジックをつくって、失敗して、学んで。
深く、正しく、おもしろい
自分で虎の巻をつくるんです。
2017-11-23
3
欠損は創造力を喚起する
2017-11-24
4
チームで最高の答えを出すためには、
ひとりで責任を持って考え切ることが大事。
つまり、静かな時間が必要なんです。
2017-11-27
5
問題解決のヒントはすべて現場にあるので、
僕らが知識や経験で
クライアントに勝てることはないんです。
なので、チームを組んで仕事をしないと成功しない。
僕はそのチームに入って、
バイアスを見極めて壊すという仕事をします。
2017-11-28
6
「ほな、まずは歴史から話そうか。
えっ?4時間しかないの?」って。
これは掃除機の道を極めた
「掃除機道」なんです。
これはやっぱり、
日本のカルチャーを作ってきたと思います。
2017-11-29
7
アドレナリンが出る瞬間は5段階。
一番好きなのは、
最初の答えを思いついた瞬間。
2017-11-30
0
プロローグ
濱口秀司さんと話した、6時間。
1
教えるのは難しくて、何度も失敗しました。
そうして学んだのは「ナレッジとはなにか」を
正しく理解していないと、
下に教えられないということです。
2017-11-22
2
虎の巻の穴の空いた部分を想像して、
ロジックをつくって、失敗して、学んで。
深く、正しく、おもしろい
自分で虎の巻をつくるんです。
2017-11-23
3
欠損は創造力を喚起する
2017-11-24
4
チームで最高の答えを出すためには、
ひとりで責任を持って考え切ることが大事。
つまり、静かな時間が必要なんです。
2017-11-27
5
問題解決のヒントはすべて現場にあるので、
僕らが知識や経験で
クライアントに勝てることはないんです。
なので、チームを組んで仕事をしないと成功しない。
僕はそのチームに入って、
バイアスを見極めて壊すという仕事をします。
2017-11-28
6
「ほな、まずは歴史から話そうか。
えっ?4時間しかないの?」って。
これは掃除機の道を極めた
「掃除機道」なんです。
これはやっぱり、
日本のカルチャーを作ってきたと思います。
2017-11-29
7
アドレナリンが出る瞬間は5段階。
一番好きなのは、
最初の答えを思いついた瞬間。
2017-11-30
7
実行よりも0から1をつくるところが大事。
「栄光のダイヤグラム1号」をみつけて、
僕の人生が変わりました。
2018-02-08

濱口秀司さんのアイデアのカケラたち。

USBメモリやマイナスイオンドライヤーなど、
数々の商品を企画された濱口秀司さん。
松下電工を経て、現在はポートランドを拠点に、
世界中を飛び回られています。
元々Twitter上で交流があった、濱口さんと糸井。
お互いにはじめて会う日を楽しみにしていました。
そして夏の終わりのある日、
ふたりは笑顔で握手を交わします。
濱口さんはこれまでのことや、これからのことを、
たくさん話してくださいました。
なんと、対談は、6時間オーバー。
「あの場所にいれたことが、うれしかった」
そう思った、あのワクワクドキドキした対談を、
たっぷりとお届けします。

> 濱口秀司さんプロフィール

濱口秀司さん

ビジネスデザイナー。
京都大学卒業後、松下電工(現パナソニック)に入社。
研究開発に従事したのち全社戦略投資案件の意思決定分析担当となる。
1993年、企業内イントラネットを考案・構築。
98年から米国のデザインコンサルティング会社、Zibaに参画。
99年、USBフラッシュメモリのコンセプトを立案。
2009年に戦略ディレクターとしてZibaにリジョイン(現在はエグゼクティブ・フェロー)。
2014年、ビジネスデザイン会社monogotoをポートランドに創設。

濱口秀司さんの
アイデアのカケラたち。

8
実行よりも0から1をつくるところが大事。
「栄光のダイヤグラム1号」をみつけて、
僕の人生が変わりました。
2018-02-13
糸井
若いころから濱口さんはいまのように、
問題解決がお好きで
よく働く人だったのですか?
新入社員として松下電工にいたときの、
濱口さんが気になります。
濱口
問題解決が好きなことは、
ずっと変わらないです。
あとは、まあ、
問題解決云々の前に問題児でしたね。
知らない部署に遠慮なく飛び込んでいくし、
意見はバンバン言うし。



僕自身の「価値」は入社してから、
頑張って5年くらいで認めてもらえるかなぁと
うぬぼれていたんですけど(笑)、
20年くらいかかりましたね。
糸井
最初の会社を松下電工に決められたのは、
どうしてだったんですか?
濱口
たいして深い理由はなくて、
ロボットでも文房具でも
ジャンルはなんでもよくて、
とにかく「企画」がやりたかったんです。
それで、当時ウォークマンなど
おもしろい製品が流行っていて、
なんとなく家電業界が
カッコいいなと思ったんです。
糸井
そんな時代でしたか。
濱口
いろんな家電メーカーを調べていたときに、
松下には2つ会社があることを知りまして。
パナソニックの前身である2社なんですけど、
対照的な会社だったんですよ。
テレビやビデオなど華やかなものを
つくっている「松下電器産業」と、
照明やコンセント、
キッチンやお風呂などの家の建築部材、
シェーバーやドライヤー、マッサージチェア、
電子材料や制御部品など
地味なものばかりつくっている「松下電工」。
糸井
はい。
濱口
松下電工は様々なカテゴリーのものをつくっていて、
従業員数1万人に対して
商品品番数が22万品番だったんですよ。
単純計算すると、1人あたり22品番を担当。
受付のお姉さんとか、取締役クラスとか、
企画をしない社員の方もいらっしゃいますよね。
そうすると、実質的にはおそらく1人あたり
50とか100くらいの商品に関わっていることになる。
糸井
それは、すごい数ですね。
濱口
すごいですよね。
対して松下電器産業は、
商品品番数が少ないのに社員数は多い。
テレビの品番数て、1000タイプもないですから。
これだと企画のチャンスも少ないし、
必然的に意思決定がタイトになり、
松下電工よりも動きにくそうやなと思いました。



他の会社も調べたのですが、
調べるほど松下電工が気になってきて。
ここで、僕は2つ仮説を立てました。
1つ目は「これだけ商品数があれば、
さすがに企画の専門家でない僕にでも
企画をするチャンスがあるぞ」と。
2つ目は「こんなに多かったら、
社内の意思決定は分散しているのじゃないか」、
すなわち「ゆるい会社ではないか」と思ったんです。



このよみがね、大当たりだったんです。
糸井
へえー!
濱口
最終的には企画をたくさん任せてもらえたし、
自分のような問題児も受け入れてくれたし、
いろんなことを学ばせてもらえました。
糸井
はじめはどんな仕事を?
濱口
所属は「住設建材部門」という
キッチンやシステムバスなど、
住宅に関わるものを扱う部門やったんですけど。
扱っているものだけ聞いたら横文字ばっかりで、
カッコよさそうでしょ?
糸井
モデルハウスみたいですね。
濱口
そうなんですよ。
僕も単純やからワクワクして。
人事に出した希望はもちろん「企画職」です。
そうしたら人事部長から
「君にぴったりの仕事がある」と言われまして。



妄想めちゃくちゃ膨らんだんです。
そうしたら部長が
「濱口くん、セメント知ってるか?」
「セメントってコンクリートの壁とかのですか?」
「そうや。君にぴったりなのは、セメントや」と。
僕は入社してすぐ、
セメントでできた瓦の材料の
研究開発をすることになりました。
糸井
えー(笑)!
濱口
僕も「えー!」って叫びましたよ。
当時はまだ若いから、友だちに、
「何開発してんの?」
「システムキッチンです」
とか言いたいじゃないですか。
でも現実は「セメント瓦」。
糸井
それは、嫌ではなかったんですか?
濱口
むっちゃ嫌でしたね。
同期は新型のシステムキッチンやウォシュレット、
ジェットバスとか、
カッコいい企画に携わってたのしそうなのに、
僕は会社の研究所のガレージドア近くの実験室で
セメントこねているんですよ。
最初はね、辞めようかと思いました。
でも、企画をしたくて会社に入ったのに
やらずに辞めるのは嫌やし、
会社とはいったいなんなのか実体験で理解したいし、
「石の上にも3年」だから
「セメントの上にも3年おらなあかんな」と。
真面目に取り組みました。



これが、結局はすごくいい経験でした。
工場に行って実際に現場で交渉して動かしたり、
実際の生産ラインで夜中に実験して失敗して怒られたり、
トライアンドエラーができたんですね。
それも、材料開発から生産まで。
糸井
セメントの上にも3年いるものですね。
濱口
はい(笑)。
あとは上司もいい人で、
僕が研究能力はあっても
研究自体を好きではないことを、
早くから見抜いてくれたんです。



それで「君は本当は研究以外のものが好きなんだから、
なんでも自由にやっていいよ」と言ってくれて。
きちんと仕事をしつつ、
自分で自由に考える機会をもらえたことで
考える癖がつきました。
糸井
それは救いのひと言でしたね。
濱口
そうですね。
そうして2年間、
会社のいろいろな会議に参加させてもらって、
上司や仲間たちを客観的に観察していたんですね。



そこで気がついたことは
企業で行われているプロセスには4段階、
1コンセプト(concept)、2戦略(strategy)、
3意思決定(decision)、4実行(execution)があると。
糸井
コンセプト、戦略、意思決定、実行。
濱口
1、なにかコンセプトを決めます。
2、コンセプトを実現するための
魅力的で実行可能な戦略をいくつか出します。
3、候補となった戦略から
どれがどういいのか悩んで決める。
4、そして実行する、というプロセスです。



僕はこれがわかってから、すごくモヤモヤしました。
実行では大量の人やお金を投下したり
報告のためのリサーチに時間をかけたり、
すごくがんばるのに、
すべてのはじまりのコンセプトと戦略はあまいというか、
中途半端な会議をしているんですよね。
糸井
中途半端な会議、というと?
濱口
たとえば、似たような他社製品との比較表をつくって、
「ここの製品力が足らないから補完しよう」とか
思いついたことをパパっとまとめて、
2時間くらいで会議が終わってしまったり、
戦略の定義もクリアでないまま
ずっと議論が続いていたり。
コンセプトや戦略が大事だと言っているのに、
意外と大雑把で、
論点がしぼられていない会議なんです。
糸井
あー、なるほど。
濱口
モヤモヤした気持ちから描いたのが、
このダイヤグラム1号です。
▲青線が自由度、緑線が資源配分を指します。
資源配分とは、人やお金、時間などリソースのこと。
実行に近づくにつれてリソースが割かれていきます。
今回は、自由度の話が中心です。
濱口
整理してみてわかったことは、
コンセプトや戦略、0から1をつくる最初のところは、
なにをやってもいいんです。つまり自由度が高い。
次第に方向性が定まっていくと制約条件が加わって、
自由度は低くなっていきます。
企画開発とは、こういうことだと気が付きました。
糸井
あー、これは僕の大好きなグラフです。
濱口さんがつくったものを
Twitterで見つけてから、
頭にずっと残っています。
ただの斜めの線なのに。
濱口
あらゆる視点から考えることで、
イノベーションが生まれます。
つまり肝心なのはダイヤグラムの左側、
コンセプトや戦略でしょう?
経営陣もそんなこと、十分わかっているんです。
わかっているのに実行側にリソースを割いて
コンセプトや戦略にリソースを割かないのは、
自由度が高くてなにから考えればいいかわからない、
「ツール」(考える道具)がないから、
考えられないのではないかと。



なので、0から1を考えやすくするような「ツール」を
つくればいいんじゃないかと、
考えるようになりました。
僕の場合はこれまでの経験をもとに、
いま、ざっと500以上のツールを編み出しています。
糸井
ダイヤグラム1号がわかっていると、
全員アイディアマンになれますよね。
こんな便利なグラフ、
どうやって思いついたんだろうと思っていました。
濱口
僕も、いまだにこのグラフに従って
仕事をしていますね。



入社して2年目くらいでこのグラフを描いて、
自分の仕事を振り返ったんですよね。
そのときに、僕は研究者ではなくて、
コンセプトをつくるダイヤグラムの左側のほうが
能力を発揮できると気がついて、
僕の考え方や仕事、人生が変わりました。
このグラフは僕の基底となるものなので、
「栄光のダイヤグラム1号」とよんでいます。

(つづきます。)

2018-02-13-TUE

© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN