HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

「すごいお母さん」の挑戦、第2弾。瀬戸内海を元気にしたい。「すごいお母さん」の挑戦、第2弾。瀬戸内海を元気にしたい。

塩飽諸島を
元気にしたい。

はじめてのかたは
こちらのプロローグからご覧ください。

──
お久しぶりです。
前に連載をさせていただいてから、
今日までの間に、どんなことがあったのか、
まずはお話を聞かせてください。
尾崎
よろしくお願いいたします。
──
尾崎さんの記事を掲載させていただいたのは、
2014年の6月でしたね。
尾崎
ええ。
あれから、いろんなことがありました。
記事が掲載されてから、
その反響の大きさに、びっくりしました。
これまで、ずっと四国に閉じこもっていた
「ただのおばちゃん」なのに、
突然、見ず知らずの方から、
東京での講演を頼まれたこともあったんですよ。
──
すごいですね。
引き受けたんですか?
尾崎
はい。
その講演は、高校生を相手に、
どんなこともやろうと思ったら
できるんだということを伝えてほしい、
というお誘いだったんですけど、
わけがわからないままに、
お話をさせていただきました。
ほかにも記事を読んだ方から、
「ぜひ結婚式に来てください」と言われたり。
──
えっ。
それも出席なさったんですか?
尾崎
ええ、その方は、
香川にある私の家まで来てくださったんです。
いろいろお話をして、その後いっしょに
バーベキューもしました。
「もうすぐ東京で結婚式を挙げるので、
ぜひ披露宴に来てください」
と誘われたので
出席させていただきました。
それから、パリに留学している女の子が、
「記事を読みました」と言って、
帰省の際に我が家にいらしたこともありました。
──
パリから、ですか。
尾崎
ええ。
外国にいる人も「ほぼ日」を見てるということに、
私はまず驚いたんですけどね。
その女性が、
「一時帰国するから
尾崎さんのところに寄っていいですか」
と言うから、
「どうぞどうぞ。ウエルカムウエルカム」と言ったら、
本当にいらしてくださって。
その方は、後に開催したパリでのイベントや
お遍路講演のお手伝いにも来てくれたんです。
──
へええ。
尾崎
その方とは別の、
パリで暮らす日本人女性とも
「ほぼ日」の記事をきっかけに知り合いました。
「記事を読んで感動しました。
帰国したら、大阪に帰省するからお会いしたい」
とおっしゃるので、
「私は岡山に仕事で行くから、そこで会いますか」
と言って岡山でお会いしたんです。
そしたら、その場で
「尾崎さんいつでもパリに来てください。
うちに泊まってください」
と誘ってくださったので、
「ほんとにいいのかな」と思いつつ、
その後パリでイベントをしたときに、
泊めてもらいました。
──
(笑)
前回の記事でも、見ず知らずの
フランス人の家に泊まったとおっしゃってましたけど、
今回もまた、ほぼ見ず知らずの方のところに
泊まられたんですね。
尾崎
岡山で1度お会いしただけなのにね。
「鍵を渡しますから、
勝手に出入りしていいですよ」
と言われて、実際に行ってみたら、
その家はお手伝いさんがいるような大きなお宅!
なんと、その方のパートナーは、誰もが知っている
ファッションブランド創設者の息子だったんです。
──
ええっ。
尾崎
行くまで知らなかったから、びっくりしました。
しかも、いろいろ助けてくださったんです。
イベント後に、遍路講演者や
ボランティアのみなさんを労うために
懇親会をしようと思って、彼女に
「どこかいい場所を知りませんか」と聞いたら、
「じゃ、うちでしましょう」と言って、
その家に料理人を呼んでくださったんです。
それで、在仏日本大使館公使夫妻をはじめ、
20人程の親日家の方々をお呼びすることができました。
パリの素晴しいお宅でこんな懇親会ができるなんて‥‥
と感激しましたね。
地球の裏側の人までが「ほぼ日」を見ていて、
サポートしてもらえる機会をいただけて、
ありがたい限りです。
──
その、パリでのイベントというのは
どういうものだったんですか。
尾崎
パリ日本文化会館で、
お遍路の講演と、
うどんのワークショップをするというものでした。
ただ、ちょうど旅立つ直前に、
フランスで大きなテロが起きたんです。
──
ああ、日本でも大きく報じられた事件ですね。
多くの方が亡くなられて‥‥。
尾崎
ええ、世界中が震撼した事件でしたよね。
その直後だったものですから、
主人にも、
「万一のことがあったら、止めなかった俺が
ものすごく薄情な男みたいに思われるから、
『なんかあっても、私の責任で、
主人は悪くありません。』
と一筆書いて、パリに行ってくれ」
と言われました(笑)。
ビジネスで行くんだったら、
会社が責任持ってくれるかもしれないけど、
私は手弁当で行くわけですから、
何が起きても自分の責任です。
そんな状況だったので、お遍路の講演なんてやっても、
あまり人は集まらないだろうと思ってたんです。
ところが、行ってみてびっくり、
310席の大ホールが満席で、熱気ムンムン!
キャンセル待ちの行列ができている状態で、
うどんの70人のワークショップも満席でした。
──
それは、すごいですね。
尾崎
お遍路に興味のあるフランス人たちが、
前のめりでスタンバイしてる状態でした。
今、お遍路がフランス人に大人気なんです。
わざわざ遠くから来て、
なぜ1400キロも歩きたいのか、
こんなにシンドイことをどうしてやりたいのか、
本当に不思議なんですけど、
「私も行きたい!」という声が後をたちません。
──
お遍路というと、
尾崎さんは「四国夢中人」をはじめた
初期のころからずっとフランス人を四国に呼んで
お遍路ツアーをなさってましたよね。
お一人で企画から添乗員役からすべてなさって。
尾崎
いやいや、あれは多くの方々の
協力があったからできたんです。
実は、パリでの講演も、
そのときお遍路に来てくれたフランス人たちに
話をしてもらったんです。
そのときは、いつかパリで講演をしてもらうなんて、
全然考えずにやってきて、
結果的にそうなったというだけなんですけどね。
フランスでお遍路の講演というと、
日本人のお遍路研究者が話をするのがふつうだけど、
日本人がおもしろいと思うものと、
外国人がおもしろいと思うものは違うんです。
外国人の目線で情報発信するということが大事で、
そうじゃないと伝わらないということを
これまでの活動の中で確信しています。
だから、私の企画は全部外国人にしているんです。
話をする人も、経験する人も、
写真を撮る人も、外国人。
──
なるほど。
尾崎
講演の準備だけでもずいぶん疲れましたけど、
大成功に終わってホッとしています。
でも、前回の記事でもお伝えしたんですけど、
私は別に、うどん屋でもないし、
お遍路マニアでもありません。
ただ、四国という場所に魅力を感じて
実際に来てほしい、という思いだけでやっているので、
お遍路もうどんも、
フランスでネットワークをつくる
「手段」なんですね。
今回も新しくできたネットワークを使って、
今後の活動にも活かしていきたいと思っています。
──
今後は、どんな活動を
考えていらっしゃるんですか?
尾崎
それが、ちょうどいま、
瀬戸内海を元気にしたいなと
構想を考えているところなんですよ。
──
それは、なにかきっかけがあったんでしょうか。
尾崎
私、今までフランス人のブロガーを
四国に招聘したりとか、
パリのジャパンエキスポに出展したりとか、
四国の文化をとにかく発信しようと
自分なりに全力で取り組んできたんですけど、
それらはある意味「期間限定のイベント」ですよね。
地域に貢献という意味で
何か残ったのかと考えたときに、
わりと私の自己満足だけで、
みんなに無理させてしまったように思えてきて。
この10年で培ったネットワークを使って、
もっともっと地域を元気にできるようなことが
あるんじゃないのかって思ったときに、
「瀬戸内海」という言葉が浮かんできたんです。
──
瀬戸内海。
尾崎
ええ。それも、まずは地元から。
藤田さんも丸亀出身だから
ご存知だと思うんですけど、
私が住んでいる丸亀市には
「塩飽諸島(しわくしょとう)」という島々があります。
そこの島々を元気にしたいと思っているんです。
──
塩飽諸島ですか。
あの、瀬戸内海というと、
高松港から行ける「直島」とかは
瀬戸内国際芸術祭の舞台にもなって、
かなり有名になりましたよね。
尾崎
直島はビジネスをやってる人が仕掛けてますし、
ある種、成功したテーマパークなんですよね。
そういう例はごく一部の島なんです。
ほかの島、特に塩飽諸島の島々は、
観光者もほとんど来ないですし、
どんどん過疎化が進んでいます。
いま住んでいるのは高齢者ばかりで、
子どもがいないので、
学校もほぼすべてが閉校してしまいました。
長い歴史と文化があるのに、
このままだと無人島になっていくのを
待っているだけ、という状況なんです。
──
実際に、その島々には行かれたんでしょうか。
尾崎
ええ、昔から泳ぎに行ったり、
島で行われるマラソン大会に出たりしていました。
当時は「島おこし」とかいう視点はなく、
ただ気持ちがいいところだから行ってたんですけどね。
一番近い島は広島(ひろしま)という島です。
広島県と間違えられやすいので、
讃岐広島(さぬきひろしま)とも言いますけど、
そこには丸亀港から快速艇で20分で行けるんです。
近いですよ。
──
そういえば、お嬢さんのブログにも、
原付免許をとったお母さんが、
「フェリーで島に行って、原付で走った」
という箇所が出てきますね。
私も、20年ほど前、
島で泳いだことがあります。
尾崎
藤田さんが行かれたそのころよりも、
もっともっと過疎化が進んでいますよ。
空家がどんどん増えていて、
夜になると、10軒ある家の2軒だけが灯りがついて、
8軒は真っ暗、という状況です。
そういう光景を見ると、ほんとに消えていくんだな、と。
産業がないから、若い人がいない。
かといって、産業を突然作れないですよね。
──
そうですね。
尾崎
一方で、ときどき外国人からも、
「瀬戸内海」という言葉を何度か聞くことがあって、
瀬戸内海というところは、外国人からも
関心を持たれる場所なんだな、と気づいたんです。
この地にはもともと旅人に親切にするという
「お接待」の文化もありますし、
過去には塩飽水軍が活躍していた歴史もあります。
外国人が四国のお遍路を好むのは、
普通の観光旅行では味わえない
神秘的で癒される体験を求めているからです。
何もないけれど手つかずの自然がいっぱいで
日本の古くからの精神を感じられる塩飽諸島の島々は、
外国人からも必ず受けるはず、と思っています。
海もきれいだから、夏のバカンスにも最適だし。
で、私にできることといえば、
そういう外国人とのつながりを活かすことなので、
外国人を島に呼び込んで、
何かできないかと考えるようになりました。
それで、まず、
フランス大使館のドアを叩いたんです。
(つづきます)

2017-01-23-MON