第5回  友達でいたいから、医者になった。
 
糸井 関野さん、お医者さんでもあるんですよね。
関野 そうなんです。
いちど大学を卒業してから、医大に入り直して
医者になりました。

なぜかというと、ぼくはアマゾンに行くとき、
必ずそこに住む人たちに
「泊めてください」「食べさせてください」って
ずうずうしいことを言っていたんですね。
糸井 ええ。
関野 そのとき、いつも、
「その代わりに、なんでもしますから」と
言っていたんですけど、
結局、ぼくはなんにもできなかったんです。
糸井 それで「医者になろう」と。
関野 そうなんです。
医者になれば、彼らの役に立てるな、と思って。

あと、
ジャーナリストとか、カメラマンとか、研究者とか、
ほかにも南米に通えそうな職業はあったんですが、
ぼくは、アマゾンの人たちのことを
「調査」や「取材」の対象にはしたくなくて。
『ぼくは彼らと、友達でいたい』
そういう気分があったんです。
糸井 その気分は、とてもよくわかります。
ぼくは被災地の支援のことでそれを思いますけど、
ちゃんと、対等な立場で
失礼のないように入っていきたんですよね。
関係があれば、お互いに、
嫌なことは「それは、やだよ」と言い合えるし。
関野 そうそう。
ただ、医者になったらなったで、
また悩むんです。
「こういう伝統医療のあるところに、
 西洋医療を持ってきていいんだろうか」
糸井 ああ、そうですよね。気になりますね。
関野 でも、診療をはじめてみたら、
最初にきた患者が
向こうで伝統医療をやってる
シャーマンだったりして。
糸井 そうか。向こうにしてみれば、
ペニシリンひとつで病気が治るのは
マジックですね。
関野 ええ、それで、
「自分もシャーマンみたいなものなんだな」
と思って、診察などをしていました。
糸井 お医者さんの立場で入っていくことで
わかったことなども、ありましたか。
関野 あの、シャーマンのマジックって、
病気を直したりする「ホワイトマジック」と、
呪いをかけたりする「ブラックマジック」と、
両方あるんですね。

それで、そういう地域で
西洋医者というのは、
「ホワイトマジック」も「ブラックマジック」も
どちらもできると思われているみたいで。
ぼく、警戒されちゃって。
糸井 ええ、ええ。
関野 アフリカのある村に行ったとき、
土地の人たちがみんな、
微熱があって、血便を出していると言うんですね。

「アメーバ赤痢」だったと思うんですが、
ぼくは現物を見ないと判断ができないから、
人々に「検便を持ってきてよ」と言ったんです。
糸井 はい。
関野 でも、誰も持ってこないんです。
ぼくも、まあ
「そりゃ、恥ずかしいよな」とか
思っていたんですけど。

‥‥そうでは、なかったらしくて。
糸井 あ、違うんですか。
関野 あとで聞いたら、
彼らにとって、したばかりのうんこというのは、
まだ、身体の一部で。
糸井 身体の一部。
関野 だから、それを預けるというのは
彼らにとって、
自分を預けるということだったんです。

彼らにすればぼくは
ブラックマジックもできることになってるから、
みんな、
「持っていったら、呪いをかけられる!」
と思ったらしくて。
それで、持ってこなかったみたいなんです。
糸井 はぁ───! そうか。
藁人形みたいに、使われると思って。
関野 びっくりしますよね。
糸井 すごい。おもしろい。
関野 あと、医者として現地に入ることについては、
いるときは喜ばれるけど
「いないときにはどうするかも
 常に考えた上で手助けしないとな」とか、
思うことはたくさんありました。
糸井 そうですよね。
手助けって、いなくなる前提のうえで
何ができるか、じゃないといけないんですよね。

そういえば、
ぼくは被災地の支援については、
もうちょっと「闇」の部分のことも、
前提として大事だな、と思っていて。
関野 「闇」の部分。
糸井 まあ、「闇」という言葉がいいのかどうか、
わからないんですけど、
それは、
「支援というのは、ずっと最初の気持ちで
 続けることはできない」
ということで。
関野 はい、はい。
糸井 すごく嫌な言い方に聞こえますけど、
人って「忘れる」し「飽きる」。
だからこそ、
「忘れない」ようにしたり「飽きない」ようにしたり、
ちゃんと織り込んで
考えて行かないといけないな、とよく思うんです。
関野 そうですよね。
そういった「闇」のほうにも目が向いてないと、
支援って、
「いいことをした、という
 自分のアリバイを作りにいく」
みたいなことにも、なりかねないんですよね。
糸井 そうなんですよ。
‥‥なんとなくですけど、
関野さんの話には、
そういった「闇」の視点が
すごく混じっているような気がしますね。
関野 そういえば、今度の展覧会、
血だらけの映像が出てくるんです。
糸井 ‥‥血だらけ、ですか。
関野 セイウチを狩る映像とか、トナカイを解体するシーンとか。
生きものを殺すわけから、
当然、血の海になっちゃうんですよ。

ただ、ショッキングな映像でもあるので、
心配になったスタッフが
「この映像、大丈夫なんですか?」と言って、
やめさせようとしたんです。
糸井 ああ、なるほど。
関野 だけど、それは、あえて出してるんです。
ぼくらは命を食べているんだから。
血が出るのは、当たり前。
わかってほしいから、入れているわけです。
糸井 ええ。
関野 でも、そのとき、強めに反対されたから、
展覧会の監修者のひとりが言ったんです。

「血がやばいやばいと騒ぐけど、
 そんな視点なら、
 関野がやってること自体がやばいし、
 こんな展覧会を開くこと自体が
 やばいんだから」って。

‥‥あれは、根本だと思いました。
糸井 「闇」の部分もあるのは当然だから
それをちゃんと含んだものとして、
伝えたい、ということですよね。
関野 そうなんです。

あともうひとつ「闇」の話で、
ぼく、震災のあと、気仙沼に行ってたんです。
医者として。
3月末だったから、やっていたのは、
寝たきり老人の床ずれを治したりとか、
高血圧とかだったんですが。
糸井 ええ、ええ。
関野 それで、でかけてひとつ、
わかったことがあったんです。

なにかというと
ぼく、それまで「コミュニティ」って、
無条件にいいものだと思ってたんです。
世界も賞賛しますし。
「日本では火事場泥棒がいなくて、買い占めもない。
 素晴らしい」って。

‥‥でも、それはその、
いい面だけを見ていたんですね。
糸井 あ、そうですか。
関野 行ってみると「在宅医」が
いるわけです。
東京では、在宅医の需要が多いのですが、
そこでは、そのようになっていませんでした。

結局、がんの終末期で、
もうなにも治療できないから、
「家で生活したほうがいいですよ」と
医者もすすめるんです。
「じゃあ、そうしましょう」と
家族も納得して連れてかえる。

だから、そんなふうに
「家で亡くなることを決めた」ということは、
救急車はもう呼ばないということに
なりますよね?
糸井 そうですね。
関野 ところが、みんな、最後の最後に
救急車を呼ぶんです。

なにかというとそれは、
「形式としての救急車」で。

病院で亡くなると、みんな
「最後まで、よくやった」と言うんです。
でも、それが家だと
「あの嫁は何もしなかった」とか、
手を尽くさなかったことに、なっちゃうみたいで。
糸井 ああー‥‥。
関野 だからみんな、
呼んでも仕方がないことはわかってるんだけど、
救急車を呼ぶんです。

なおかつ、そのとき、地域の病院より、
地方の大都市に連れていったほうがいい。
地方の大都市より、東京に連れていったほうがいい。

その理由は「手を尽くした」ということが
形にのこるから。
糸井 はああ‥‥‥。
関野 本当は、家族に見守られて、手を握られて、
家で最期を迎えたほうがいいと思うんです。

でも、形としてそれでは、
手を尽くさなかったことになっちゃうから、
みんな救急車を呼ぶ。
もしくはやっぱり、病院で看取ることを選ぶ。
糸井 あぁー‥。
関野 みんながそういうことをするのは
他の人の視線があるから、です。

だから、「コミュニティ」の強い地域では、
在宅医療がなかなか成り立たないんです。

そのことでぼくは、
「コミュニティ」に対する考え方が少し変わりました。
その団結力によって
助かっていることも相当あると思います。
あるからできていることも、いっぱいあるでしょう。
だけれど、もうひとつの面も、あるんです。
「繋ぐ」という部分とともに、
「縛る」という部分があるんです。
糸井 だから、その「闇」のほうも、一緒に考えていかないと。
関野 そう、思うんです。
(つづきます)
 
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2013-03-29-FRI
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