有野課長の挑戦部屋に、糸井重里がやってきた。 ―30年目の『MOTHER』のおはなし― 有野課長(よゐこ・有野晋哉さん)×糸井重里

お笑いコンビ・よゐこの有野晋哉さんが
名作ゲームに挑戦するバラエティ番組、
『ゲームセンターCX』(CSフジテレビONE)。
「株式会社ゲームセンターCX興業」の「有野課長」として
16年間、レトロゲームに挑戦しつづけています。
番組からの依頼で生まれた「ほぼ日手帳」が
世に出るタイミングで選ばれたゲームが、
糸井重里の手がけた『MOTHER2』。
試行錯誤しながらゲームを進める
有野課長の挑戦部屋を、糸井重里が訪ねました。
初代『MOTHER』の誕生から30年、
いまなお愛されるゲームの思い出を語ります。

CSフジテレビONE『ゲームセンターCX』の
収録内容を、ほぼ日編集バージョンでお届けします。

2剣と魔法のないRPG

有野課長そもそもなんですけど、
糸井さんは『MOTHER』を作るまで
ゲームを作ったことはなかったんですよね?

糸井いま有野さんがやっているのが、
スーパーファミコンの『MOTHER2』で、
ファミコンの『MOTHER』が最初ですね。

有野課長「ゲーム作りたい!」って、
任天堂に行ったんですか?

糸井それは本当です。

有野課長ああ、そうなんですか。
いろんなゲームメーカーがあるのに、
なんで任天堂だったんですか?

糸井「マリオ」のお世話になっていたんですよ。
ぼくは喘息なので、横になると咳が出ちゃって、
なかなか寝られなかったんです。
ずっと体を起こしていないと咳が止まらないから、
眠れない夜に体を起こして、
じっとしているときにできることといえば、
本を読むか、ゲームをするか。
夜に起きてコントローラーを持っていたとき、
「マリオ」がぼくの喘息の友だちだった。

有野課長夜だから誰かを呼ぶわけにもいかないし、
ひとりでやっていたのが「マリオ」。
いつか任天堂とお仕事したいなって
思っていたんですか。

糸井というより、
任天堂に恩を感じていました。

有野課長でも、その恩があったにしても、
「ゲーム作りたい」にはならないでしょう?

糸井あるとき、こんなことがありました。
もらったまま放っておかれていた
「ドラクエ」に手を出したんです。
雨で「することねえなー」っていう日があって、
「これでもするか、我慢して」。

有野課長言い方、非常に悪いですけど(笑)。

糸井はじめる前のぼくにとっては、
そのくらいの気持ちだったんで。
あまり期待しないではじめたら、
知らないうちに、おもしろくなってきた。

有野課長それは「ドラクエ1」ですか?

糸井「1」でした。
クリアするまで、コツコツがんばりました。
みんながおもしろがっていた理由もわかったんです。
そのとき、すでに「ドラクエ2」が出ていて、
「2」は会社にあったんですよ。
すぐに会社までクルマで取りに行きました。
ハアハア言いながらソフトをセットして、
「ドラクエ2」をはじめたんです。

有野課長うわっ、「1」をクリアして、
そのまま「2」に入ったんですか。

糸井やっぱり、おもしろかったんですよね。
最初は単純におもしろがって
プレーしていただけなんですが、
ふとそこに「おもしろがらせている人」が
いるんだって気づいたんです。

有野課長「ドラクエ」を作った人がおるんだってことを。

糸井そう、お笑いで笑っている人が
「あの芸人に笑わされているんだ!」って
気づくような感じです。
しばらくしてから、
「俺だったら、こういうのやってみたいな」
と思うようになったんです。
その頃の世の中で流行っていた
ロールプレイングゲームを考えてみると、
「ロールプレイングゲームって、
なんで剣と魔法じゃなきゃいけないんだ?」と。

有野課長おおっ!
主人公は勇者で強いものっていう
前提がありますもんね。

糸井ぼくは、主人公を弱くしたかった。
『MOTHER』の主人公は喘息だし、
お父さんは家にいないし。
そういう設定を先に決めた上で
冒険物語ができないかなと思って。

有野課長それを任天堂に言いに行ったんですか。

糸井ということを最初にメモしていただけ。
ぼくが任天堂に行ったのは、
他の用事で呼ばれたんですよ。
そのときはね、
『中山美穂のトキメキハイスクール』を‥‥。

有野課長あれ、糸井さんが作ったんですか?

糸井ああ、ちがうちがう。
「糸井さんだったらどう思う?」
という相談で呼ばれたんです。

有野課長えっ、それまで仕事として
ゲームに全然携わってなかったのに?

糸井ゲームの仕事はしてなかったね。
でも、ぼくがテレビ番組で
ゲームについて話していたのを、
任天堂の山内(溥)社長が
偶然観てくれていたんですよね。

有野課長はあー、どんな話やったんですか。

糸井当時は今よりもずっとゲームが
バッシングされている時代でした。
「昔はマンガを持っているだけで、
『大学生がマンガなんて』と眉をひそめられたけど、
今はゲームがそういう立場にいますよね。
おおげさに言えば、ゲームはこれから
マンガ以上に文化を担うものになると思うよ」
という発言を『11PM』で話しました(笑)。

有野課長糸井さんがしゃべってるのを、
任天堂の社長が見はって。

糸井そうそう。
で、任天堂の社内で「あの人は誰や」となって、
山内さんが「会う機会があったら会いたい」
と言ってくれました。
で、任天堂に呼ばれて行った名目が、
『中山美穂のトキメキハイスクール』。
「こんなゲーム、どう思いますか?」
みたいなことで用事は終わって、
そこからは雑談です。
その頃には、宮本(茂)さんもきてくれて。

有野課長マリオの生みの親の宮本さん。
そこで初めて会ったんですか?

糸井そうそうそう。

有野課長「マリオ作った人や!」ってなりません?

糸井そう、うれしいんですよ。
宮本さんとは、のちに仲良くなるわけだから、
はじめからウマが合うところがありました。
「じつは、ぼくにも心づもりがあるんですけど」
と言って、アイデアのメモを書いた紙を
みなさんに配ったんですよ。
「こんなの考えたんですけど、
これ、ゲームにならないですかね」と。

有野課長「こどもが主人公で、剣を使わないRPG、
よかったら作ってくださいよ」ですね。

糸井ぼくの想定では、こう。
「これはいいアイディアだ!」
と、イスから転げ落ちて
「こんなんやったら絶対おもろいわ!」
と称賛してくれると思っていたんです。
そのアイディアでゲームを作ってくれたら
ぼくは本望だったんですけど、
「どのくらいやる気がありますか?」
みたいな話になっちゃって。
「糸井さん、どこまでやるおつもりですか?
フルに関わるっていうのは大変なことですよ」
と覚悟のほどを真面目に質問されたんです。

有野課長ちょっと感じが変わってきましたね。

糸井ぼくがマトモに関わるとは、
宮本さんも思っていなかったでしょうね。
宮本さんの言っている大変さと、
ぼくが「大変なんだろうなあ」と思っている程度は、
もう全然違ったわけです。

有野課長糸井さんには、まだノウハウもないですもんね。
「こんな感じで」って言うてる人ですよね。

糸井ぼくの考えてきたアイディアに
全然驚いてもくれないから、もうショックで。

有野課長糸井さんは「画期的でしょ?」と思っているのに、
宮本さんは「どれぐらいの心づもりでっか」と。

糸井そう。

有野課長それで、どうしたんですか?
「いや、関わるつもりはないですよ」
てな感じで答えるんですか。

糸井いや、言えないよ。そんなことは。