さらば、愛したモノよ。
愛されて、そして忘れられてしまったモノたちへの鎮魂歌。

あなたの腕に、ライマ・ブレスレットはありましたか?
あなたはミサンガに願いをこめて、その後どうしましたか?
あなたはティラミスを、いまも食べていますか?

あんなに愛したのに、いまは・・・。
愛の移ろいやすさを、私たちは責めることはやめましょう。
夏の日の恋を、雪の降る夜に語り合うように、
愛の想いでを、静かに語り合いましょう。
紅茶キノコを、深海鮫エキスを、ホットパンツを、
ケミカルウオッシュのジーンズを、
私たちは記憶の海の底から、やさしく探しだし、
彼らの元気だった時代について、
そして、私たちの非情とも言える愛のあり方について、
懺悔いたしましょう。
それが、愛されて捨てられたモノへの
唯ひとつのレクイエムなのだから。

こんにちは。「さらば、愛したモノよ。」
第2回、です。
担当はグッドマン(物欲系)でお送りいたします。
愛したモノについて語り始めると
あっという間に300行くらいいきそうなので、
サクッとメール紹介に入ることにしましょう。

最初は食べ物のおはなしです。


『マヨネーズごはん』

はじめまして。うだぎゃーと申します。
私がこよなく愛し(てい)たモノ、それは
『マヨネーズごはん』です。

今から20数年前、病弱でとても食が細かったので、
「ごはんは食べなくていいから、
おかずだけはできるだけ食べてちょうだい」と、
お姫様のような扱いを受けていました。
そして、大好きなマヨネーズを、すべてのおかずに
鬼のようにかけるという贅沢も許されていました。
それでも、ほんの少し、つつくだけでした。

忘れもしない、5歳の夏、新潟の親戚の家で
マヨネーズごはん様に出会いました。
同い年の従姉妹が、朝食の真っ白いごはんめがけ、
おもむろにマヨネーズをドバッと、おしょうゆを
ちょろっとかけ、ぐちゃぐちゃと混ぜ始めたのです。

午前中は気分がすぐれず、朝食を摂る習慣が
なかった私ですが、突然、遭遇したことのない
食欲に見舞われました。
生まれて初めて、ごはんをおかわりしたのです。
母は感激で泣き崩れていましたっけ・・・

2年ほど前、ボンビーゆえに貯蔵食料が底をつき、
米だけはあったので、マヨネーズごはんの存在を
思い出したのです。
(あら。これ、コーナーが違いますか?)
あ゛あ゛・・・
吐くかと思いました・・・
さよぅなら、ハニー。
もう二度と会うことはないでしょう。

うだぎゃー


僕もちっちゃいとき、大好物でした。
マヨネーズごはん。
うだぎゃーさんと違うのは、僕の場合は食べ過ぎて
「ある日、突然、気持ち悪くなった」
ということです。愛は一瞬にしてさめた。
あれはいつのことでしたっけ、母さん?
と思って実家に電話してみたら、
「そんなもん食べてたの、知らなかったわよ。
 あたしに隠れて食べてたのねっ!
 ちょっとお父さん、知ってたの!」
(電話の向こうで)「……知ってたよ」
「太るわけよっ」
と、怒られてしまいました。やぶへびでした。
うだぎゃーさんの御母堂は泣いて喜んだというのに。


『さらば愛したミニ四駆よ』

ボクが小学生のとき熱中したのはミニ四駆でした。
これは小さな車にモーターがついていて、
スイッチを入れると走り出すんです。
これで友達と競争したりするんです。
どっちが速いか。改造パーツも売り出されていて、
いっぱいくっつけて逆に遅くなってしまったりして。
道路とかで走らせていたときにミニ四駆を止めようとして
膝小僧をすりむいてたりしたなあ。
あのとき本当に親しかった友達も転校してしまって、
今はどこで何をしているのやら。
そうそう、この前珍しくおもちゃやさんに寄ったら、
いまだにそれが置いてありました。
つい懐かしくなって一台買ってしまいました。
思ったよりそれは小さく感じられ、
その頃とても高いと思っていた600円さえも
小さく思えました。

Satou Kazumasa


ミニ四駆600円ということは、サトウさん、
そんなにお年じゃないですよね。
なのにこの「三丁目の夕日」なテイスト!
やっぱり「友達の転校」がドラマの鍵かな……。

このメールで思い出しました。スーパーカー消しゴムを、
BOXYのボールペンの「かちっ」と飛び出す
アタマの部分で走らせるのが流行ったことを。
けっして字消しには使われなかった消しゴムと、
内蔵のバネを改造されちゃって使い物にならなくなり
捨てられていくBOXYのボールペン。
愛していたのかなあ、ほんとに。

続いては、「触れられない傷」編。


『ミータン』

ほぼ日の皆様、こんにちは!
初めてメールいたします。

ところで、新コーナーの「さらば、愛したモノよ」を見て
思い出しました。
あんなにも愛していたのに。
記憶の彼方からあの存在及び名前の響きが
よみがえりました。

今でもあるのでしょうか。
水森亜土氏の描くマンガの猫「ミータン」のグッズです。
私の思い出で、思い入れの強さから
グッズを限定して言うと、陶器のミータンの置き物、
又は貯金箱(貯金猫?)です。
当時は陶製のミータンがいっぱいありました。
プラスチックとか合成樹脂とかが
まだポピュラーじゃなかったのでしょうか???

「ミータン」は30年近く前に
一世を風靡したと思うのですが。
今でいうキティちゃんのはしりというか・・・
ベクトルが全く違うものの気がしますが。

いろんなグッズがあったのかもしれませんが、
私は買ってもらった「ミータン」(懐かしい響き!)の
小さな瀬戸物の貯金猫(片ひじついて寝転んでいる形)が
大好きで、いつも離さず、夜は布団の中に入れて
寝たりしてました。当時まだ小学校に上がる前です。
それをある日棚の上から落として粉々にしてしまい、
泣きながら拾い集めて、小さな欠片を1つ1つ
ボンドで貼って(母か父と一緒にしたと思うのですが
記憶にありません)、傷だらけ・ちょっとした隙間が
あちこちにあいた瀬戸物のミータン復活品を、
また大事に布団に入れて寝てました。

祖母が見かねて、もう少し大きくてちょっとりっぱな
ミータンの瀬戸物の置き物を買ってくれたのですが、
なんといっても復活品のミータンが私の宝物でした。
キティちゃんもかわいくて大好きだけど、
私くらいの年(上記より推定して下さい)の人は、
そのベースにミータンの存在があるのではないかと
思うのです。

その傷だらけミータンは、実家の私の部屋の押し入れの
ダンボールの中にあります。
小さいころのゴチャゴチャした
宝物の生き残りの品と一緒に。
実は先日、実家に帰ったときに、
そのダンボールのふたが半開きになっていて、
見るとはなしに、傷だらけミータンが目に入ったのでした。
ちょっと気になったのだけど、手に取ってみませんでした。
そのままふたを閉じてしまった。
ああ、ものすごく気になる、あんなに好きだったのに。
手にとってみるべきだった。
泣きたくなってきた。
小さい時の宝物が残っているなんて、
それだけですごいことなのに。
今度実家に帰ったら、絶対に触ってみます。

Mayumi Shimizu


どうして、ふたを閉じてしまったんでしょう。
触れると、思いが、一度にあふれてしまいそうで、
それをその時、受け止めることが
できそうになかった、ということでしょうか……。

という感傷の一方で、ぼくは「あった、あった!」
と、モニタの前で大喜びしましたよ。
あったよねえ、水森亜土グッズ!!
うひゃ〜〜〜。なつかしー。
うちには、陶製のマッチボックスがあった。
それにしてもあの猫が「ミータン」という
名前だったとは知らなかった。
男の子と女の子のキャラもなかったっけか???

さて次は、たった3日間の出会いと別れ編。


『小学校低学年の頃、買ってもらって
 3日目にさよならしたおサイフ』

ビニール製の小さいガマグチで、赤くて、
確か、ラグビーボールの絵が描いてあった。
全体の形もラグビーボール型でさ。

子供心にも、女の子としてあんまり
気に入らなかったのかな、
アイを感じるようになったのは
むしろ、さよならしたからだった。

小学校って、今はどうなのかな、
私のとこは朝礼ってのが週1回あって、
全校生徒が校庭に集まって朝の会をするわけです。
その最後に、なぜか、「今週の落とし物」
コーナーがありました。

校長先生が、集められたものを箱の中から
一つ一つ取りだしてさ、確認するわけです。
そしたら、そのうちの一つがまんまと私のサイフだった。

次の物に移るまでの約30秒間、
歳も体も小さかった私は、
列の一番前でじっと息をひそめてましたよ。
だって、全校生徒がいるまえで「わたしの」なんて
言えないもん。
しかも、学校にサイフ持ってくるなんて(あの時は)
なんかヤバそうだったし。
からっぽだったけど。

で、校長先生が手持ちの箱に入れるのを見たのが最後。
二度と私の人生には現れることはありませんでした。

それからしばらく、そのサイフを思い出しては
悲しかったです。せっかくお母さんが買ってくれたのにー、
ってのもあったし。ごめんね、赤いおサイフ。

でも、今にして思えば、
職員室に取りに行けばよかったのであったよ。

goo goo


3日間だけだったから、思い出深いのかもしれない。
ゆきずりだったから、覚えているのかもしれない。
それはまるであのひととの思い出のよう……。
と、いらぬことを思い出したほぼ日読者は
どれくらいいるんでしょうか。いないか?

次は、飲み口の鉄の味を思い出しますよ。


『ちょぼちょぼ缶ジュース』

私が「さらば」したわけではないのですが、
もうなくなっちゃったものがあります。
ジュースです。缶に入ったヤツ。
今のトマトジュースくらいの大きさの缶に入ってて、
付属の穴開けで「くいっくいっ」と穴を2カ所開けて
(1つは空気穴)ちょぼちょぼちょぼと出てくるヤツ。
あの「ちょぼちょぼ」具合がなんとも好きでした。
それから販売機の紙コップのジュースもありましたね。
コップが自動的に出てきたりしなくて、自分で受けるの。
氷なんて当然なし。たしかコップの形が
円錐形だった気がする。誰でも1度は受け損なって、
半泣きになりながら(または大慌てしながら)
無惨にも流れていくジュースを見つめていた
経験があるという。販売機の上の方にジュース
のタンクがあって、その中でジュースが噴水のごとく
シュワシュワしていて、なんだか見た目にも涼しげでした。

そして気が付けば私は、ビールは飲んでも
ジュースは飲まない大人になってしまっていました。

うーちゃん


その缶開け、1回だと「ちょぼちょぼ」で淋しいから、
ちょっとずらして3つくらい穴、開けてました。
飲み口のほう。そうすると、一気に、直接口をつけて、
どかどか飲めるんですよ。

なんとなく、そういうジュースって、
高いものだったと記憶しています。
ディズニー印の果物ジュースとかね。

それでは最後に、もうひとつ。


『よそゆきの毛糸のパンツ』

人間は人として生まれるのではなく
人として育てられなければ人にはならないと
聞いたことがあります。でも本当でしょうか。

わたしの4歳のころの記憶にある
よそゆきの白い毛糸のパンツは
自分専用のたんすの引出しに
そっとしまわれてありました。
4歳でもよそゆきの下着はあります。
もちろん人に見せるためにそれは存在したのです。

ときどき引出しを開け
丁寧にたたまれたそれらをながめます。
綺麗なんです。
その毛糸のパンツはピンクのリボンがたくさんついて
子供の目にもよそゆきのうれしい興奮が
こみ上げてきます。

誰にみせるのか。
それは病院に行き
ドクターに診察を受けるためだったのです。

おんなとしてたしなみと喜びを
4歳にしてじんじんと感じ
それは生まれながらにしてもっていた
感情にほかならないのではないかと思うのです。
その愛すべきパンツはママの手で何時の間にか
処分されたようです。
思い出だけが残されて。

どうじま はるか


さようなら、愛された白い毛糸のぱんつ。
君はそんなに大切な役割を果たしていたんだね。
オトコノコには、わかりにくいけど、
想像することは、できました。

そういえば、うちの実家の仏壇には
バーベルが飾ってあります。
それは、うちの祖母が90歳の誕生日に、
ヨメ(母)にリクエストして買わせたもの。
骨粗鬆症予防の体操用、ということで、
生前はほとんど毎日、それで運動してました。
だから祖母亡きあとも、なんとなく
「おばあちゃんのだし」
ということで捨てられないでいる。
思い切って捨てちゃってもいいんだけど、
そうしたら、きっと
「あれどうしったけなあ。捨てなきゃよかった」
って思うに違いないんですよねえ。

さ〜て、「さらば、愛したモノよ。」では、
引き続きおたよりを募集しています。
「そうだ、あれ、愛してた!」
っていうモノを思い出したら、
どんなふうに別れちゃったか、捨てちゃったか、
ルポしてくださいね。
宛先は、postman@1101.comです。
ではまた次回!

1999-09-09-THU

みんな、ほんとは気になっていたのだろう。
人間の、いや、自分の心の移ろいやすさに
あきれていたのかもしれない。
しかし、愛して捨てたモノに、謝る機会もなく、
捨てたことさえ忘れていたにちがいない。
「ほぼ日」があなたの記憶の深海を、
ぐわんぐわんと、かき混ぜてやりましょう。

では、「私が捨てたモノ」のことを思いだしてしまった
ある意味不運な方の懺悔のメールを、どうぞ。

まずは、最初っから、心配症の読者からのお便りです(笑)


『消えちゃ、やだー!』

ほぼ日スタッフご一同様へ

さらば、愛したモノよ。
って、私のツボにスポン!でウレシイです。
何だか、むしょーにわくわく。
…と言って「愛してたコレが消えた!」と
すぐに提示できないのが申し訳ないのですが、
「投信」がないから、という理由で連載打ち切りに
なってしまうのは非常に残念で悲しいので、
情報提供はできないけれど、応援は心からしています!
という気持ちをお伝えしたくてメールをお送り致します。
わたしってば非力…。

近々高校時代の友達と飲む予定もあるし、
お盆の帰省で親の説教を聞いているうちに思い出すことも
あるかと思いますので、
すぐに連載打ち切りだけは思い留まって下さい。

ほぼきっちり毎日読んでいる、
よしだより。


はじまったとたんにコレだもんね。
でも、いろんな意見や情報が来ないってことは、
読者のせいじゃなくて、企画が弱いということとか、
編集部の演出がヘタだってことなんですよね。
すみませんね、心配させちゃって。

他にも、読者に心配かけちゃってることがわかる例。


『インベーダーゲーム・テンガロンハット』

折角の新連載だしな、、、何か送らなくっちゃ、って
午後からの仕事は上の空で約6時間ほど
考えていました。

高校時代のダニエルビダルの歯磨きの宣伝
(あの透明のピンクの歯磨き粉、いつも使ってた!)

大阪万博にかぶっていったテンガロンハット
その上、スカートは皮のミニのタイトだった。
ストレートのロングヘアーたなびかせて
高1の私は世の中にこわいもんはありませんでした。
(今高校生なら絶対茶髪で南国ファッションで
 渋谷を、、、いや、河原町を歩いていたでしょう)

大学時代のインベーダーゲーム
彼とのデートはわざわざゲーム台のある喫茶店
ゲームに熱中する真剣な彼の横顔に
ときめいたっけ
今その彼は、家でiMacに熱中してるんですけど

あのときめきはどこへ?

chikage tabuchi


新連載の行く末を案じて、
6時間も考えてくれちゃったのね。
タイトルにあるテンガロンハットやインベーダーより、
「透明なピンクの歯磨き」が、印象強かったですねぇ。
ダニエル・ビダルって女性も、なっつかしいなぁ。
『あの女も、愛して、捨てた』っていう人も多そう。

次は、短く。


『野菜スープの元は手元にある』

あたしんちに実家から送ってきた
パック入りの野菜スープの元はまだあります。
飲んだことないです。

M. hidaka


つまり、Mさんは愛しても捨ててもいないけれど、
実家では愛し続けているんですね、野菜スープ。

次は、「愛して捨てるココロ」について、かな。


『文通をしましょう』

前略
10日前位から「ほぼ日」を読ませていただいてる
古関と申します。
本題に入る前に「ぼくは感動してるんです、
なにがってこんなに面白いページを毎日更新して、
しかも無料で読めるなんて。
こんなことって滅多にある体験じゃあないですよ!

いままで読んでなかった事を
とってもこうかいしておる次第です。

早速本題です。
後悔している、という事になるんですが、
ぼくが4年前、(18歳のとき)
韓国に1人旅をしたときの話です
(行った理由はもちろん
ディープコリアをよんだからです)。
そのときに韓国人留学生のミンさんに
友達を紹介してもらい、何日か一緒に行動しました。
そしてぼくが帰るときに、文通をしましょう、
ということになり
おたがいのアドレスを交換しました。
そのときはぼくも韓国熱全開だったので、
「ハングル文字と日本語の両方でおくるからさー、
あなたも両方の言葉で書いてね!」
なーんてことをいってわかれました。

しかし帰ってみるとこれが夏休み。
当然遊びまくりです。
こころの片隅には「あー手紙かかなきゃなー」
なんておもってたのですが、
日本にかえってくると韓国熱がすっかりさめている
自分がいたのです。
せめて日本語だけならなー、なんて思いながら
とうとう1ヶ月以上たっちまいました。
ぼくはすっかりそのことを忘れてました、
そんなぼくは最低です。
なんとそのころに手紙が来たのです。
しかも言語はしっかりバイリンガル。
プラス韓国のテレビ番組を録画したものまで
入ってるじゃないですか。
そーいえばそんなお願いもしたような気が、、、
かわりにぼくは日本のロックをテープにいれておくるよ!
なーんていった気が、、、。
まだ間に合う!と、思ったんですけど体は正直です。
わるいなー、と思いながらも、
なんとなく(というよりも面度臭かったです、はい)
出さずにずるずると4年間たっちゃったわけです。
今になってほんとに後悔してます、
日韓交流が1つ潰れた、という
社会に対する罪悪感すら抱いちゃってるわけです、、、
とほほですよ。
いまから手紙をかこうかとも思ってるんですが、
「いまさらなによ!私との関係は遊びだったのね」なんて
おもわれそうでこわいっす。
(ちょっとうそです、
遊びなんて言われる関係じゃなかったんですけどね)


以上です
ながながと書いちゃってすんません。

YUSUKE KOSEKI


この者を責める資格のある者は、石を投げるがよかろう。
ちょっと話はちがうかもしれないけれど、
刑務所とか留置所で、いっしょにいた人が出所するとき、
ほとんど、「差し入れに来るよ」と言うらしいです。
約100%、そんなことは実現しないそうです。

では、予想通り多かった、「ミサンガ」ですわ。


『ミサンガ現役っす』

ダニの次はゴキブリ!と決めて、
おたよりまで書き始めていたいしだ(200箇所噛まれた)です。

フジの「どーなってるの?」で取材されかけた
ゴキブリ退治法がまたまた
日の目を見られなかったのが残念です。

さて、ミサンガですが、まだ私の弟の足首にあります。
なんだか昔からこだわるヤツだったので、
どうしても切れるまで待ってるみたいです。

毎日直接肌に付けているわけですから、
普通だったら洗濯しなきゃいけないわけです。
でも、はずさないわけですから、
せいぜい入浴時にこちょこちょ洗ったりして
いるのかもしれません。
でも、既に数年たっていますので、
オリジナルの色がなんだったかわからん状態です。
釣り糸がからんだままけなげに生きている野鳥の首、
そんな風情になっております。

・・・ちなみに願いはなんだか知りません、といいますか
ここ数年ほとんどしゃべってないな。

ずばり!ミサンガがはずされる第一原因は
「きたない、と言われた!」
に一票。

また楽しいコーナーになりそうな予感がします(無責任)。
これからも楽しみにのぞきます。

石田尚人

これ、読むと、ミサンガ以上に、
弟さんとの関係のほうに興味がいきますね。

じゃ、ミサンガ、行きましょう。


『みさんが』

ミサンガですか・・・・・
小学生のとき(10年前)授業中に隠れて
せっせと編んでおりました。
実際に、切れたこともあったけど、
ほどけたり、伸びて手首から抜けちゃったり。

最後のミサンガは、高校受験の前に、
「面接で落とされる」ということで、
チョキ!!!
と切った記憶がありますね。

でもそれぞれ、なんの願いをかけたか、
わすれちゃいました。
どうせ「ナンとか君とうまくいきますように」
ということだったのでしょう。
どれも、とりたてて「切れた翌日に願いがかなった!!」
というような、鮮烈な印象もないです。

ただ、いろんな色の刺繍糸を、集めるだけ集め、
それを編むことが楽しく、印象深かったかも。

あっ、それから、このコーナー、
わたし好きなのでやめないでくださいまし。
おねがいします。

ではでは。

Yuko Ornithy


この人も、「やめないで」って、もう言ってるわ。
ミサンガ、もっと読む?


『私のミサンガ顛末話』

私の場合出産後に、世間では流行り終わりに
差し掛かっていたような時期に買いました。
色はショッキングピンクで、
デザインは魚網用?かなにかのような強靱な糸で
ところどころかわいい色のビーズが編み込んであって
値段は100円でした。
お願いごとはズバリ産後太り解消!でした。

身につけて半年くらいのある日、急な事で
「親戚のおじさん」が亡くなってしまったんですよね。
お通夜もお葬式も腕に腕念珠はあっても
ピンクのミサンガはないだろう?!と、
身につけていたミサンガが「場違いなモノ」に思えて、
急遽主人に頼んで、はさみで切ってもらったのを
覚えています。(自力じゃ切れなかったです)
まさか、こういうことがあって
自ら願いごとを切る日がくるとは・・・
って思いましたよ。
不意なコトというのは予想せずに
小ぶりながらも派手なデザインの
ミサンガをつけていましたから、
よくよく考えないといけないもんだなぁ〜とか、
ちゃんと生きてなきゃいかんな・・・・とか
考えさせられました。

人間、急なことがあると、
いろいろと普段の生き方を反省させられるものです・・・。
ミサンガは深いな・・・と、
少なからず私はそう思いました。

以上が私のミサンガ体験です。
みんはどうなのでしょう?気になります。

宮崎県・寛美


いや、別に、
「ミサンガ」という課題ではなかったのですが、
どうも、そういう企画だと考えられちゃったような気も、
ちょっとしますね。
自分のミサンガ体験が、ほとんどでした。

もうひとつ、ミサンガ以外の「愛したモノ」。


『なめ猫』

こんにちは。はじめてお手紙を出させていただきます。


今から15年位前、私がまだ中学生だった頃
「なめ猫」という
学ランを着たニャンコちゃん達が
ちょっとしたブームになりました。
ブロマイドを集めて
お友達と交換したりしてたんだけど、、、

私の思い出の品々は、
父の転勤に伴う引越しの度に消えていく。


MITSUKO TAKAHASHI


「転勤」かぁ・・・。
愛を引き裂く要素のひとつですね。
「なめ猫」流行っていたのは知ってたけれど、
ブロマイドの交換までやっていたんですか?!
しかも中学生が、ねぇ。

さ、読者に心配おかけしつつ始まったこの連載。
どうなるのでありましょう?
ほんとはネタは、まだまだイーッパイあると思うんです。
探す、思い出す、ところから、はじめましょう。

で、思いだしたら、
どれほど愛したか、どれくらい冷たく捨てたかを、
レポートしてくださいね。
宛先は、postman@1101.comです。

1999-08-14-SAT

ここは、「愛されない虫の広場」に変わって、
愛されないシリーズとしてスタートした企画ページです。
受けなかったら、すーぐやめちゃいますけれど、
受けるかもしれないので、気を付けなきゃね。

例えば、ミサンガなんですけれど、
ぼくはムスメが腕につけているカラフルなひもが、
とてもうらやましいと思ったのでした。
「自然に着けていて、切れたら願いが叶う」んだって?!
その偶然性に期待しつつ、自然を装って生活するという、
わざとらしさが、ゲームとしておもしろいと思いました。
「パパも、要る?」
「うん、要る」
要るの要らないのという問題じゃなかったようにも、
いまになってみると気が付きます。
決して器用だとは考えていなかったムスメが、
意外に器用に「年寄り用」なのでしょうか、
ややジミめのミサンガを作ってくれました。
ああ、そういえば、材料を買いに六本木の手芸品屋にも、
歩いて行ったっけなぁ。
手芸糸を買おうと思わなければ、あんなところに
手芸品の店が存在していることすら知らなかったよ。

ヨメも、変わり編みミサンガの編み方みたいな本を買って、
作ったんだっけなぁ?作らなかったんだっけなぁ?
どっちでもいいんですけれどね。
そういえば、彼女は「野菜スープ」もせっせと作って、
冷蔵庫で冷やしていましたっけ。
いまは飲んでませんけどね、これも。

で、話はミサンガに戻るんですが、
切れた憶えはないんですよ。
なのに、いま、ぼくの腕にはミサンガはない。
消えてしまったのでしょうか?
どこで、どういう理由で、いつ外したのかさえ、
記憶にないのです。

おそらく、いちばん流行していた頃には、
日本中に1億本くらいのミサンガがあったと思うんですよ。
その1億本(と決めてるよ、オレ)のミサンガは、
ホコリかカスミのように消失してしまったのでしょうか?
いや、そんなことがあるわけはない。
エネルギーの第2法則だっけ?
「質量保存の法則」だっけ?とか、あるもんね。
じゃぁ、日本中のあちこちに、
捨てられたことさえ忘れられたミサンガが、
一億本くらい、あることはある、というわけですよ。
その数だけの願い事も、あったとすると、
叶わぬ願いも、ミサンガとともに、
怨念になって残っているのかもしれません。

あなたは、ミサンガをどこに捨てたか、しまったか、
憶えていますか?

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というような、自分の体験や、懺悔を、
お送りください。
宛先は、いつもと同じ、postman@1101.comでオッケー。
忘れていることさえ忘れているというような、
とんでもない不幸なモノだったら、
思いだしただけでも、浮かばれるかもしれませんよ。

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