2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.144

ダンシャリーズハイ?

 ほぼ日のオフィス移転に先がけて、私がひと足先に引っ越したことは、先週ご報告した通りです(2着はフグさんだったようですが)。

photo4 2番手で引っ越し完了したフグさん

 そしてこの1週間、私のテーマは「断捨離」でした。先週火曜日に、かなりスリムになって引っ越したつもりだったのですが、そのヨミはなんとも甘かった! この事実が判明した瞬間に、私は断捨離の鬼と化しました。

 木曜日の朝から日曜日の深夜まで、何を捨て、何を残すか、ただそれだけに意識を集中したのです。溜まっていた本と資料をどう処理するか、それが基本的なミッションです。積み上がった段ボール箱をひとつひとつ開梱し、整理する作業の連続は、かなりハードなものでした。

 朝から晩までスポーツジムで、サーキットトレーニングを繰り返すような感じです。腕を使い、前屈、スクワットなどを反復し、本を書棚に並べては、それを入れ替えたりするうちに、全身にきしみを覚えます。

 資料のスクラップを繰りながら、何を捨てるか、何を残すか、気をしずめて決断し、半分近くを捨てました。頭が次第にぼんやりします。

 それでもやってよかったと、今回は強く思います。約3年、ほぼ日の学校をやってきて、ここが大きな潮の変わり目です。海の難所で、どう思い切った舵を取るか。それを全身全霊で考える、その時間がこれかと思ったのです。

 なので、すごくくたびれました。結果として、ビフォー、アフターの広告を打てるくらい、大幅なダウンサイジングを達成したはずです(傍目にそう見えないのが残念ですが)。

hobonichi

 正直、本を読むどころではなかったです。けれど、何冊分も読んでしまったような気もします。

 頭に浮かべていたのは、世にあふれる「捨てる」系のベストセラーとは別系統の、内澤旬子さんの『捨てる女』(朝日文庫)というノンフィクション、遠藤周作の小説『わたしが・棄てた・女』(講談社文庫)、村上春樹さんのエッセイ『猫を棄てる――父親について語るとき』(文藝春秋)、井上ひさしの傑作戯曲『雨』、棄老=子が親を捨てる物語の代表作、深沢七郎『楢山節考』(新潮文庫)など、「捨てる=スッキリ」とは違った文脈の作品です。

 ほぼ日の学校が「ほぼ日の學校」となって、どのように生まれ変わるのか――「何を捨てるか」は、「どう生きるか」を考える時間だったように思います。

 次回は1回お休みして、12月3日から平常の「学校長だより」に復します。

 どうぞよろしくお願いいたします。

2020年11月12日

ほぼ日の学校長