2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.134

“脱線”の思い出

 来年1月からスタートする「ドストエフスキー講座」の「大予習会!」を、7月16・23・30日の3日間、渋谷PARCOの8F「ほぼ日曜日」で開催しました。「亀山郁夫さんとドストエフスキー――速攻まるかじり」と題した集中講義です。

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 今回は、新型コロナウイルス対策として、定員を限定30名にしましたが、決して“上級者コース”というわけではありません。むしろ「ゼロからのドストエフスキー」が狙いです。

 「名前は知っている。でも、作品はひとつも読んだことがない」――こんな人たちのための最初の一歩! 講師の亀山さんも納得です。

 とはいえ、来年に生誕200年を迎える19世紀ロシアの大文豪フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーです。名前を目にしただけでもブルッ! とくるような重厚感。何だかむずかしそうな気もするし、5大長編と言われても「えッ! なに?」となるのが普通です。

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 他の外国文学でもそうですが、読者がつまずく多くの理由は、人名にあります。「イワン・~ビッチ・~スキー」というような長ったらしくて、なじみがうすく、しかも似たような名前が次々に現われ、誰が誰やら、訳がわからなくなってしまいます。

 ファーストネームとファミリーネームだけならまだしも、なんで真ん中に父親由来の“父称”と呼ばれるミドルネームが入るのか(亀山さんの新訳では、初出のみこれを表記し、後は省略!)。 

 さらには、愛称がいくつも出てきます。ドストエフスキーの代表作『カラマーゾフの兄弟』では、カラマーゾフ家の長男「ドミートリー」は、「ミーチャ」「ミーチカ」おまけに「ミーチェンカ」と、話の途中で幾通りにも呼ばれ方が変化します(亀山さんの新訳では、これを「ミーチャ」ひとつに絞ってあります!)。

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 加えて、登場人物が揃いも揃っておしゃべりで、会話は長いし、議論がやたらに濃密です。軽快な作風に慣れ親しんだいまの読者には、途中でリタイアしたくなるハードルが「これでもか、これでもか」とばかり突きつけられます。まるで読み手に試練を与えることが物語の目的であるかのごとく――。

 実際、『カラマーゾフの兄弟』には、俗に“ゾシマ越え”と呼ばれる険しい山が物語の中ほどに聳(そび)え立ちます。この超大作の読破をめざした多くの読者が、ようやくこの地点までたどり着き、必死で山にかじりつき、登り切ろうと試みますが、やがて力尽きて脱落する、というパターンが古来あとを絶ちません。

 しかし、今回はあくまで予習会。いずれフルマラソンを完走するための基礎的なトレーニングという位置づけです。本番は来年なのですから、なるべく焦らず、ゆっくり時間をかけて、徐々に体を慣らしていこうというスタンスです。

 ただ、そうはいっても、ドストエフスキーその人の人生も、作品の生まれた背景も、なにしろ複雑怪奇でおもしろく、話題の尽きることがありません。亀山さんの語り口も、次第に熱を帯びてきて、どうしても内容が盛りだくさんになってしまいます。

 そこで今回は、少しずつテンポをスローダウンし、“速攻まるかじり”はある段階までにとどめました。お楽しみはあくまで来年に、ということで――。

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 最後にフロアから質問を受けました。

「わからないことが多かった点を含めて、とても豊かな時間でした。講座を受けようと思ったのは、おそらく自分にとって、これを逃すとドストエフスキーを学ぶ機会はないと思えたからです。ときどき出会う名前だし、とくに『カラマーゾフの兄弟』が話題に上ることも多かったので、参加を決めました。で、最後にお願いなのですが、もう少し強めに、私を『カラマーゾフの兄弟』に誘う言葉を聞かせていただけると嬉しいのですが‥‥」

 もうひと方の質問は、『罪と罰』に関するものでした。

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「昔、『罪と罰』を読んだ時、1日1ページしか読めなくて、2年がかりでようやく読み終えた思い出があります。分量も多い上に、内容も密なので、皆さん、いったいどんなふうに読んでおられるのか知りたいです‥‥」

 最初の質問に対する亀山さんの答えは、

「ともかく世界最高のミステリーです。読みこんで、読みこんで、さらに解説を読んで勉強すると、ミステリーがどんどん深まっていきます。文句なしのおもしろさです。私が『カラマーゾフ』を翻訳したときは、初校、再校、3校、4校、5校と、全部で5回の校正をやりました。最後、5回目を読み終えた時、泣きました。これは説明できません。是非読んでみてください」

 次の質問に対しては、

「『罪と罰』を最初に読んだのは、中学3年生の夏でした。主人公のラスコーリニコフに憑依(ひょうい)に近い体験をします。2週間くらいかけて読みました。この作品も繰り返し読んで、読んで、さらにいろいろ調べてゆくと、ドストエフスキーがなぜこの小説をミステリーにしたのかがわかってきます。すると、さらにおもしろくなります。そういうはてしない底深さがひそんでいます。来年からのドストエフスキー講座でも、『罪と罰』を取り上げようと思います。できれば3~4回くらい時間をかけてやりたいです。じっくり話を聞いてもらって、その上でまた読んでいただいたら、全然違って読めてくると思います」

 さて、予習会が無事に終わり、3日が過ぎました。振り返って、妙に心に残っているのは、最終回で亀山さんがしてくれた「余談」です。いわゆる授業中の“脱線”に近い雑談です。

 ドストエフスキーとはまったく関係のないSF小説が、3日目の授業のマクラになりました。レイ・ブラッドベリの『太陽の黄金(きん)の林檎』(ハヤカワ文庫)に収められた「サウンド・オブ・サンダー(雷のような音)」という作品です。

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 舞台は西暦2055年のアメリカ合衆国。人類はタイムトラベルの開発に成功しています。ある旅行代理店の企画した「恐竜狩り」のタイムトラベルに一人の富豪(エッケルス)が応募します。ハンティングの獲物は「史上最大の怪物」ティラノサウルス・レックスです。

 トラビスという熟練のツアー・ガイドに導かれ、タイムマシンに乗って、6000万年前の過去に旅します。気の遠くなるような昔です。

「キリストはまだ生まれていません‥‥モーゼはまだ、神と対話するために山にのぼっていません。‥‥よろしいですか。アレキサンダーも、シーザーも、ナポレオンも、ヒットラーも、だれ一人まだ存在していないのです」

 トラビスは、巨大な羊歯(しだ)や棕櫚(しゅろ)のあいだを抜け、緑のジャングルへとのびている一本の金属製の道路を指さすと、一同に厳重に警告を発します。

「あれは、みなさん方のために、狩猟タイムトラベル会社が敷設した道路です。ちょうど六インチだけ地表から浮いています。一枚の草の葉にも、一輪の花にも、一本の樹木にも、触れてはおりません。反重力金属で出来ているのです。この道路の目的は、あなた方を過去の世界と決して接触させないことです。この道から離れないで下さい。絶対にこの道からそれてはいけません。繰り返します。絶対にこの道からそれてはいけません。どんな理由があろうともです!」

 どれほど些細な動きであっても、過去に何か干渉すると未来が変わってしまうのです。一羽の小鳥、一輪の花を傷つけても、生物進化の重要な一環が破壊されます。ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきが、テキサスで竜巻を起こすといわれるように、ここでは取るに足らない微細な変化が、6000万年後の世界には、恐るべき結果となって拡大されます。わずかな変化が巨大な時間の津波となって、未来に押し寄せてくるのです。

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 ハンティングの対象となる動物は、あらかじめ厳重に調査され、「未来をもたぬ動物、もう二度と交尾しない動物」だけが選ばれています。精密な死亡時刻が確認され、彼らが死ぬちょうど2分前に到着するように、ツアーが組まれているのです。

「このタイムマシンも、この道も、あなた方の衣服や肉体も、御存知の通り、出発前に充分消毒されました。そしてこの酸素ヘルメットをつけていますから、わたしたちのバクテリアが古代の大気を汚染する心配もありません」

「ですから注意して下さい。道から離れないで下さい。決して離れぬように!」

 何度も、繰り返し警告されますが、へなちょこ狩猟家のエッケルスは、本物のティラノサウルスを見た瞬間、すっかり腰を抜かします。あまりの巨大さ、「飢え以外のいかなる表情も認められない」怪物にたじろぎ、我を失います。

「わたしをここから連れ出してくれ」

「今度ばかりは見込み違いだ。こいつは私の手に余る‥‥」

<エッケルスは、振り返りもせず、銃をかかえて盲滅法に道のはずれまで歩き、そこから道を離れて、無我夢中でジャングルに踏み込んだ。足が緑色の苔の中へ沈んだ、それでも足はひとりでに動き続けた。>

 やがて恐竜を仕留めたハンターたちが、タイムマシンに戻ってきます。すると、エッケルスがうつ伏せになって、床でガタガタ震えています。なんとか道路に戻り、タイムマシンに逃げ帰っていたのです。

 ツアー・ガイドは殺しても飽き足りないばかりに激昂します。

 そして、ひと悶着が起こるのですが、とどのつまり一行は、そのまま2055年に戻ってきます。すると、世界はどうなっていたか? 

<エッケルスは倒れるように椅子に腰をおろした。狂ったように長靴の泥を指でなすり、ぶるぶるふるえながら泥の塊を持ちあげた。「いや、そんなはずはない。こんなちょっとしたことが。いや!」
 泥のなかには、緑と金色と黒に輝く一匹の蝶がめりこんでいた。ひどく美しい、死んだ蝶。
 「こんなちっぽけなことが! たかが蝶々一匹ぐらいで!」とエッケルスは叫んだ。>

 紹介のポイントは違うのですが、この短篇について亀山さんが語りました、「余談ですが」と前置きしながら――。

 早速、家に帰って読み返しました。ずいぶん昔に、この短篇集は読んでいましたが、まったく覚えていない作品です。その後、映画化されたようですが、そのこともいっさい知りませんでした。それより何より、いまのいま、コロナウイルスの話題のさなかに、この作品を読んでいると、きりきり胸に刺さってくることに驚きます。

 生態系のことが気になり始め、ウイルス感染に神経をピリピリ尖らせているいまだからこそ、怖くてゾッと背筋が寒くなるのです。

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 実際、亀山さんもPARCO劇場の入口で、「靴底チェック」と書かれた表示を見た瞬間に、この小説の話をしようと思ったとか。

 将来もしドストエフスキー「大予習会!」のことを思い出す時は、この記憶が蘇ってくるかもしれません。子ども時代を振り返っても、授業中に「脱線」した話のほうを、妙にありありと、なぜか覚えているものですから。

2020年8月6日

ほぼ日の学校長

*来週は夏休みにします。次回の配信は8月20日の予定です。
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