2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.47

「“使い倒されるにもホドがある”」

 1週間前の出来事なのに、めずらしく、余韻が残っています。

 手前味噌に聞こえそうですが、あえて書かせてもらいます。ほんとに凄かった、8月29日の「落語で歌舞伎入門 ごくごくのむ忠臣蔵」――。

 歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」は全部で11段(ひと幕を「段」と呼びます)の構成。初演から300年以上にわたる超人気作、大ヒット作ではありますが、なにしろ長尺物(ちょうじゃくもの)なので、めったに通しでは上演されません。フルにやろうとすれば、優に丸一日はかかるでしょう。ですから、その見どころをたくみに取り込んだ落語の“芝居噺”を聞くことで、「いいとこどり」しながら、超高速の2時間でイッキ飲みしてもらおう、というのが今回の狙いです。

 アイデアを聞き、即座に「おもしろい!」と飛びつきました。それを、「芝居噺ならなんぼでも」と桂吉坊師匠がにこやかに、二つ返事で受けてくださいました。実に爽やかに、あっさりと。さすが、桂米朝、桂吉朝門下の人はデキが違う! 鍛え方が違う、覚悟が違うと、すっかり感激してしまいました。

 「兄さん死ぬんちゃうかと思いました」と、イベント終了後、周囲の人から言われたそうです。こちらも、「えらいことをお願いしたものだ」と、舞台袖で震えました。吉坊師匠、フルマラソン並みの約2時間15分を、孤軍奮闘、獅子奮迅、全力で演じきってくださいました。いや、ほんとうに凄かった!

桂吉坊師匠

 「忠臣蔵」11段のうち、3段目を「質屋芝居(芝居好きの質屋の小僧さんが登場します)」、4段目を「狐芝居(狐の名優が切腹を演じます)」、5段目は5分間の踊り(イノシシが走ります)でもって、7段目は「七段目(芝居好きの若旦那と小僧さんが祇園一力茶屋の名場面をやります)」という、落語3席+踊りの構成。8〜11段目は、うんと凝縮した桂吉坊オリジナルの語りで締めくくります。

 この離れ業――。思わず、今夏の高校野球甲子園大会で、決勝までの6試合すべてを一人で投げぬいた金足農(秋田)の吉田輝星投手みたいでしたね、と感想を口走ってしまいました。客席で観ていた浪曲師の玉川奈々福さんは、さっそくその晩、ツイートします。「今日は吉坊さん、えらいこっちゃでした。‥‥使い倒されるにもホドがある(笑)」。

 あくる日、吉坊師匠自らも、「落語会の翌日とは思えぬ筋肉痛」とツイッターでつぶやいておられます。昔ふうにいえば、腕も折れよといわんばかりの力投、でした。

桂吉坊師匠

 上方落語らしいお囃子(はやし)さんの音曲も、舞台袖から三味線、歌、附け打ち、太鼓、鐘、虫笛、横笛、セリフの読み上げなど、ゴージャスに高座を盛り上げてくださいました。

 ラジオ、テレビで上方落語をさんざん聞いて育った私とすれば、とても懐かしい芝居噺なのですが、これだけ集中して、しかも「忠臣蔵」しばりのイッキ語りなど、生まれて初めての体験です。おそらく本邦初演、つまりは“世界初挑戦”ではなかったかと思います。

 この大胆な企画を提案したのは、Hayano歌舞伎ゼミ担当教授である早野龍五さん。本職(?)は物理学者(原子物理学)で、詳しいプロフィールを知りたい方はこちらを参照していただくとして、企画を立て、吉坊師匠とみっちり相談し、実にわかりやすい構成に仕立てあげたシナリオ作家の腕力と情熱に脱帽しました。

 吉坊師匠が存分に語り、その最高の芸を発揮するためには、全体の流れをしっかりおさえ、噺と噺のスキマを埋め、師匠の見せ場をたっぷりお膳立てする必要がありました。幕開きを告げる1、2段目のあらすじ解説、師匠の話をつなぐ3段目と4段目の幕間、6段目の内容解説を、スクリーンを使いながら、平易に、簡潔に、しかもユーモラスに語り尽した芸は見事です。この人は何の専門家か、と唸(うな)らせました。

早野龍五

 辻和子さんの可愛らしい歌舞伎イラストをあしらった登場人物の相関図、浮世絵や江戸川柳などを鮮やかに組みこんだ解説パンフレットも労作です。復習するにも、この先再利用するにも便利です。この日のイベント全体をプロデュースした、まさに“陰の功労者”が早野さんでした。

「落語で歌舞伎入門 ごくごくのむ忠臣蔵」

 ‥‥と、ここまで書き進んできて、ご覧いただけなかった方には、なんとも申し訳ないばかりです。いずれオンライン・クラスにこの講義もアップする予定です。少し先にはなりますが、そちらでお楽しみいただければと思います。

 さて、桂吉坊さんには『桂吉坊がきく 藝』(ちくま文庫)というユニークなインタビュー集があります。「論座」という雑誌(朝日新聞社)に連載されていた「吉坊が聞く芸の世界」が元になっています(2008年1月号から同誌が休刊する10月号まで)。

 小沢昭一(俳優)、茂山千作(狂言師)、市川團十郎(歌舞伎俳優)、竹本住大夫(文楽大夫)、立川談志(落語家)、喜味こいし(漫才師)、宝生閑(能楽師)、坂田藤十郎(歌舞伎俳優)、伊東四朗(喜劇役者)、桂米朝(落語家)といった、その道の錚々(そうそう)たるメンバーを相手に、彼らの内懐に飛び込んで、とっておきの話を聞き出すという仕事です。20代半ばの若手咄家に、こんな機会は滅多にふってくるものではありません。

 「はなたれ小僧の(今でもそうですが)この僕に、よくもマァこのような大変な方々がお話をしてくださったものだと、(中略)何度読み返しても冷や汗が出ます。でも、やっぱり今でも嬉しいです。むしろ、今の方が嬉しいのかもしれません」(前掲書、文庫版あとがき)と述べていますが、インタビューしたお相手の半数以上が、この10年の間に他界されました。

<小沢昭一先生が、戦争が終わった時、価値観の変わらない落語の世界があったことを恩義に感じていると仰った言葉は、落語家として生きる僕の胸に強く刺さりました。落語だけではない、「藝」といわれるものの「ぶれなさ」というのは何か、他をもって替えがたい大切なものではないかと思います。そして、それを大した事でもないように魅せる、それもまた藝なのではないかと、まだまだ小僧の僕は遠くにその影を追うばかりです>(同あとがき)

 東京では、「芝居噺」を聞くチャンスも稀(まれ)ですが、上方落語ならではの見台(けんだい)、膝かくしと呼ばれる道具が舞台に現れるところも、東西のおもしろい違いです。

 見台、というのは書見台のことで、本来はそこに書物を置きました(浄瑠璃ではいまもそうして使っています)。膝かくしのほうは、上方落語は動きも派手なので、裾が乱れることが多く、その見苦しさを隠すためだったと言われます。

 また小拍子(こびょうし)という小さな拍子木で台を打ち、叩きと称する皮製の張扇(はりおうぎ)で見台をたんたんたんたん、と叩いて、テンポを自分で作りながらしゃべります。このリズムが心地よいのですが、桂米朝さんが名著『落語と私』(文春文庫)の中で述べています。

<上方落語では、見台、膝かくしと呼ばれる道具を今でも使用します。(略)
 ちょうど講談が、釈台(しゃくだい)を置き、紙で張った張扇を用い、また、人によっては小拍子を使いますが、よく似ています。これらはいずれも(講談も上方落語も)天井のない野天(のてん)の小屋で演じた名残であろうと言われています。
 キチンと落ちついた座敷や、設備のある寄席の高座でやる時には、お客もじっと聞く気で聞いてくれますし、雰囲気をそこなうものがはいってくることも少ないから、やりよいのですが、広場や空地や、社寺の境内によしず張りの小屋をしつらえてしゃべっていると、どうしてもザワザワしますし、客席がシンと静まって演者の方へ統一してきにくいものです。その時に、ピシッと台をたたいて聴衆の注意をこっちへ向ける、一つの演出効果として、台をたたきながらしゃべったものでしょう。バナナのたたき売りなどとおなじことですね。
 そしてさらに、上方落語の場合は、鳴物(なりもの・楽器)やお囃子をはやくから用いました。三味線や太鼓の力で人を集めたり、またはなしにも利用して効果をあたえたのです>

 上方落語は大道(だいどう)、野天の小屋がけから始まった、という話は、いまの時代に古典の魅力をどう伝えるかという「ほぼ日の学校」のテーマにも触れてきます。後生大事に古典を奉(たてまつ)ったり、その一方で、こんなありがたいお宝を放置しておくのはもったいない、と言っているだけでは、古典の魅力を受け継ぐことも伝えることもできません。

 芝居噺というのは、もともとは歌舞伎の人気にあやかりながら、それをたくみに笑いの中に取り込んで、芝居好きにも落語好きにも親しみやすくておもしろい“一挙両得”を狙った「メタ歌舞伎」といえるでしょう。

 歌舞伎を知っている人には「ああ、あの場面だな」とニンマリさせ、歌舞伎を観たことがない人には「へぇ、そないにおもろいものか」と感じさせる、そのわかりやすさ、仕掛けがポイントです。

 歌舞伎をあまり知らない人たちにも、歌舞伎のたのしさ、芝居の魅力を伝えたいのが「ほぼ日の学校」。芝居噺はうってつけの「入れ子細工」になっています。

早野龍五・桂吉坊・河野通和

 8月27日で37歳になったばかりの吉坊師匠。ますます芸を磨いてくださるものと楽しみです。師匠にはまた、来年1月23日(水)に「芝居狂いの人々――落語から知る、芝居好きの姿」の講義をお願いしています。

 おっと、その前に、早野さんには来週月曜日(9月10日)、若手歌舞伎役者・中村梅丸さんの「僕はこうやって歌舞伎役者になりました」の聞き手をつとめていただかなければなりません。

2018年9月6日

ほぼ日の学校長

*「名著深読み! 大人の読書会」第3回は、9月8日(土)17時〜19時に、中条省平さん(学習院大学教授・フランス文学)とカミュ『異邦人』をめぐって行います。詳細はこちらから。

「ほぼ日の学校長だより」は、
ほぼ日の学校長・河野通和がお届けするメールマガジンです。

「ほぼ日の学校」のはじまりや、これからの話、夢や想いを
週に1回、お伝えしていきます。
読みつづけていただくと、
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どうぞ、お楽しみに。

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