「ほぼ日の学校」開校を前にした昨年暮れ、
イベント「ごくごくのむ古典」を開催しました。

古典というと少し距離を感じるかもしれませんが、
たのしく道案内してもらったら、
おもしろくて、奥深くて、
まるで、ことばをたくさんおしえてくれる、
新しい友だちができたような気持ちになりました。

第1部は、作家・橋本治さんの講演です。

「古典はめんどくさい」といいながら、
いつくしむように
古典とのつきあいを語ってくださいました。

第2部は、ビジネスの世界で活躍するおふたり、
藤野英人さんと村口和孝さんをお招きして、
糸井、河野を聞き手にトークを行いました。

題して「『シェイクスピア』をベンチャーする」。

どちらも、たのしく、刺激に満ちた時間でした。

ぎゅっとまとめて、おすそわけいたします。

橋本治 はしもとおさむ

作家。東京大学文学部国文科卒業。

大学在学中に「とめてくれるなおっかさん
背中の銀杏が泣いている男東大どこへ行く」を
コピーに駒場祭のポスターを作って注目された。

イラストレーターを経て、
1977年、『桃尻娘』がベストセラーとなり作家に転じる。

『巡礼』『リア家の人々』など著書多数。

『窯変源氏物語』『義経千本桜』
『百人一首がよくわかる』など、
古典の現代語訳も多い。

『文藝』に落語「書替老耄ハムレット」を連載。

編み物作家として知られた一時期もある。

原文と向き合ったほうが、「わかる」。

古典ってめんどくさいですよ、ほんとーーに。

なにがめんどくさいかというと、
日本の古典って、ことばが何種類もあるんですよ。

古事記を子ども向けに現代語訳したときに、
ほんとうはあとがきに、
「よかったらみなさんも原文を読んでみてくださいね」
と書こうと思ったんだけど、
無理だと思ってはぐらかしました。

古事記の原文なんて、ふつうは読めません。

同じ時代の日本書紀もそうだけど、まるで漢文。

漢字がずら〜っとならんでる。

漢字がならんでるところは同じでも、
この2つは同じ文体じゃありません。

源氏物語のような仮名の文学がまた読みにくい。

なぜかというと、基本はぜんぶひらがなだから、
見ただけじゃ何を書いてあるかわからない。

漢文ものの古典だと、書きくだし文がついてたりします。

でも、漢文の日本書紀を読んだとき、
書きくだし文を読んでもよくわからない。

漢文ではないけれど、今のことばではないから。

付属の現代語訳を読んでもやっぱりわからない。

なぜかというと、「このことばをそのまま訳しました」
という文がついているだけだから。

ではどうするかというと、
原文を30分くらい凝視する。

すると、なんとなくわかってくる、恐ろしいことに。

難しいほうが「わかる」んです。

ただことばを置き換えた現代語訳が
どうしてわからないかというと、
「わかる」という行為を他人にされてしまっているから。

他人絡みの通訳が2人はいっているようなもの。

だから、原文と直に向き合った方がいいんです。

その点、西洋の古典は楽ですよ。

だって現代語で書いてあるもん。

誰もシェイクスピアの原文を
その時代のままの英語で読まないでしょ。

まあ、読む人はいるけど。

ソフォクレスをギリシャ語で読みますか?

みんな現代の日本語で書いてある。

だからわかりやすいんですよね。

古典の時間感覚と、ことばの重み。

古典で私がいちばん気になるのは、時間感覚。

源氏物語を現代語訳するときに
わたしが何を考えたかというと、
「光源氏は暇なとき何をしていたんだろう?」
そこで山の中の出版社の寮に缶詰になって
想像をめぐらせてみました。

テレビやラジオのない時代、
平安時代の貴族はどうやって時間をつぶしたんだろう?

人の行き来もない時代に。

夜はずっとラブアフェアで起きていたから、
昼はずっと寝てたのかな、とか考えながら。

でも、1時間2時間、
何もしないで過ごすって、できます?

昼は6時間以上あるんですよ。

むこうから娯楽はやってこない。

仕方がないから外を見て、
和歌を詠んだりして娯楽を創り出したんですよ。

そういう人にとっての「わかり方」は、
いまのわたしたちの「わかり方」とは、
質が違うはずなんですよ。

その時間というテンポの中に入っていることばは、
いまよりも比重が重い。

重いから、よく噛みしめないとわからない。

そういうものなんです。

行間のない谷崎訳、

余計なことだらけの橋本訳。

谷崎潤一郎が源氏物語を訳しています。

谷崎源氏は完璧に近い現代語訳なんですね。

とっても美しい日本語。

わたしが源氏物語を現代語訳したとき(『窯変源氏物語』)、
どうやって訳していいかわからないことがある。

谷崎訳をみると、なるほどそういう日本語あるなぁ、
さすが、と思うんですけど、
谷崎訳を読んで源氏物語がわかるかというと、
わからない。なぜかというと、
原文に忠実すぎて、余分なことを訳していないから。

当時の人はその時代の中に生きているから、
わかるけれど、いまのわたしたちには手がかりがない。

谷崎の美しい源氏物語には「行間」がないんです。

行間をセメントで埋め尽くしたみたいに、ない。

ああ、さすがに前衛の人だなと思いました。

そういう質の前衛はあるんです。

わたしのは「余計なことが書いてある」と言われました。

余計なことだけかもしれない。

古典は突然、現代にやってくる。

えっと、古典はめんどくさいという話でしたね。

でも、もしかしたら、
それも古典のおもしろさかもしれないけれど、
古典は古典だけじゃない。

古典という魚には歴史という骨が通ってるんですよ。

魚のすり身だけで古典を食べていると、
骨がめんどくさくなってとっちゃうんだけど、
魚は骨こみでできあがっている。

だから時代背景がわかっていないと古典はわからない。

わからなくてもいいじゃない、
神棚にあげて信奉しておきゃいいじゃないと
いうかもしれないけれど、
古典はあるとき突然、現代にやってくるんです。
恐ろしいことに。

40年も前に糸井さんと対談したときに、
「作家になって忖度とかっていうことばが
使えるようになってうれしい」と言った。
糸井さんは「そんなの、何に使うの?」と言ったんです。

結局、わたしはあまり使わなかった。

というのも、忖度という文脈が登場するのは、
ろくな人間が出てこないときだから。

当時は「忖度なんてどうするの?」だったのに、
40年たったら流行語ですからね。

どこでどう出てくるかなんて、
わかりゃしないんですよ(笑)。

それでいうともうひとつ。

和歌に「末の松山」という言葉が出てきます。

地名です。

どういう文脈でこれが使われるかというと、
あり得ないことが起こる、という文脈。

清少納言のお父さんの清原元輔(もとすけ)が
詠んだ有名な歌がこれです。

「契りきな かたみに袖をしぼりつつ 
お互い涙で袖を濡らしながら約束しましたね、
末の松山波こさじとは」
末の松山は波は越さない、という意味。

古今和歌集に、こんな歌もあります。

「君をおきて あだし心を我が持たば
末の松山波も越えなむ」
これは、あなたをおいてわたしが他の女に
心を移したならば、末の松山を波が越してくるだろう。

つまり、心移りしないという誓いの歌なんです。

「末の松山を波が越える」というのは、
「あり得ない、恐ろしいこと」なんですね。

では、末の松山ってどこにあったのか?

宮城県です。仙台から海の方に下っていったところ。

つまり、東日本大震災の大津波が襲ったあたりが、
末の松山なんです。

東日本大震災のときに
「貞観(じょうがん)地震以来」という
表現がありましたが、古今和歌集ができる
3、40年前に起きたのが貞観地震。

このとき末の松山に波は来たんですね。

陸奥の人が経験を踏まえて歌っている。

でも、その後、都の貴族にとっては
東北で起きた大変なことは忘れられた出来事になり、
「末の松山」ということばの意味は形骸化していった。

ところが東日本大震災で、
古典のことばは再び意味をもったわけです。
現代に戻ってきた。

東日本大震災といえば、あのあと、
鴨長明の『方丈記』を読もう、みたいな雰囲気も生まれました。

平家物語と時代が重なるから前に読んだんですけど、
役に立つことはなんにも書いてなくて投げ出した。

でも、大震災のあとに、みんな読んでいるなら
なんかあるのかなと思って読み直したんですよ。

なんにもない。ただ、泣いてるだけ。

あそこで日本人が泣く、嘆くというのを、
文学的に確立したのかー、と思ったくらいですね。

この頃、歴史的に何が起きているのかというと、
平清盛が遷都を言い始めて、
京都の都はぼろぼろになる。

そんな時期に『方丈記』を書いているのに、
鴨長明は言うべきことを言わない。

ただ、嘆いている。

(‥‥と語ったあたりで、舞台袖から糸井が登場)

糸井
必ずしもやめさせたいわけではないのですが‥‥(笑)、
『方丈記』は泣いてばかり、という
世界でいちばん短い解説。

ちょっとすごみがあったね。
橋本
だってそうだもん。
糸井
古典めんどくさいよ、という話かと思ったら、
古典おもしろいよ、という話に聞こえました。

橋本くんが古典につかまって、
今日までずっとつきあってきたのは、
いったい何でなんだろう?
橋本
わたしのパーソナリティと関係あると思うんだけど、
わたし、できないのがしゃくで、
それにしがみついてる人なんですよ、ずーっと。
糸井
難問を見ると、解きたくなるの?
橋本
難問かどうかわからないけど、
他の人はふつうにやっているから
できるんだろうと思うんだけど、
自分じゃできない。

それで、ずーっとしがみついてるという
変な人なんです。

わたし、逆上がりできるようになったのは、
高校3年のときなんだけど、
それまでずっとできなかった。

ふつうの人ならやめるじゃない。

高3になって、さまざまあった末に、
「いまならできるかもしれない」と思って、
鉄棒に飛びついたら、できた。

そういう人なんです。
糸井
いまやったら、
またできなくなってると思うよ(笑)。

今日の話を聞いていると、
なんだか「友だち」と「友だちがしゃべったこと」が
ものすごく増やせるのが古典だって
そういうふうに僕には聞こえていたんですよ。

橋本くん、たくさんいますよね。

「古典の登場人物」と「作者」という、
よくしゃべる「友だち」が。
橋本
近松門左衛門は早口でおしゃべりだよー。
糸井
そういう人をいっぱい知っている人に対して、
あぁ、うらやましいと思いました。
橋本
じゃあやります? めんどくさいっすよ(笑)。
糸井
ははは。ありがとうございました。

まず第一部、古典へのいざないということで、
終わりにします。
橋本
いざなって、突き落とすかもしれない(笑)。

(第2部へつづく)

2018-1-31-WED

このイベントの編集映像は、

春にスタートする「ほぼ日の学校」
オンラインクラスのひとつとして、

ご覧いただけるようにする予定です。

イベントを盛り上げた

カクシンハンのパフォーマンス その1

ほぼ日の学校「シェイクスピア講座」
講師の1人でもある演出家・木村龍之介さんが率いる
シアターカンパニー・カクシンハン。

そのメンバーたちが、「ごくごくのむ古典」に
彩りを加えてくれました。

開演前のホワイエでは、
骸骨や白服の役者さんたちが、
コップにはいった「古典のことば」を
お客様に手渡してくれました。

みなさん、どんなことばに出会ったでしょうか。

▲岩崎MARK雄大さん扮するシェイクスピアは、美しい英語で、巻物に記されたことばを読み上げてくれました。

▲歓びや怒り、哀しみなど、さまざまな感情を象徴する7色の紙に、古典のことばは書かれています。

▲ガイコツが手渡してくれる「古典のことば」。
異世界に運んでいってもらえます。

▲「さぁ、どうぞ」

▲シェイクスピア全作品新訳に取り組んでいる翻訳家の松岡和子さんの手にも、コップのことばが渡されました。

▲開演前のホワイエでは、ハープ奏者の石川寛子さんがシェイクスピアにちなむ楽曲を演奏してくださいました。

▲静かな熱気につつまれた会場。

▲客席の間をまわりながら、岩崎シェイクスピアさんがことばを手渡してくれました。