警戒区域 その1

ミグノンの友森さんと約束した日がやってきた。
申請にも、ぎりぎりで許可が下りた。

25時集合。バンに荷物をいっぱいに詰めて出発。
朝一番から活動するためだ。

福島第一原子力発電所から半径20キロ以内。
警戒区域へ入る。
その場所へと近づく日だ。
そのとき自分がなにを思うのだろうか、
とぼくは思っている。

夜が明ける。

明けていく福島は、とりわけきれいである。
緑と、空。
ぼくのイメージする福島には、
きらきら光る緑と、
広く、めくるめく表情をみせる空がある。

緑と、空と、あと、特別に高校野球。
それが、ぼくにとっての福島だ。

過ぎる朝の風景を見ながら、
きれいだなぁ、切ないくらいですねぇ、と、
同行するカメラマンの山内さんが言った。

今日のチームは3人。
警戒区域内に取り残された動物へのエサやり、
そして、避難されている方から
要請を受けての見回りと管理。
おそらく、前回と同様、
移動も含めてほぼ24時間の活動になる。

前回通った道を通り、
しばらく行くと、前回通らなかった道に入る。

検問だ。

はじめてそこへ入るぼくは、やはり少し緊張している。
しかし、それは本能的なものではない。
知識として、その場所が特別であるとぼくはとらえる。

書類のチェックを待つあいだ、
ガイガーカウンターのスイッチを入れる。
「3.91」
もしも球場でこの数値が計測されたら試合はできない。
いつの間にか、試合開催のボーダーラインである
「毎時3.8マイクロシーベルト」は
ぼくのなかで、ある基準になってしまっている。
それをなにに役立てるというわけではないのだけれど。


検問の先の風景は、
同じように見えて
いくつかのはっきりとした特徴がある。

そしてそれらの特徴の根本には、
当たり前だけれども
そこに住民がいないというやりきれない事実がある。


道はしばしば陥没したまま、
おおまかに注意をうながすだけで、放置されている。
いくつかの亀裂は、まだ新しく、生々しい。


そして、そこは、静かだ。
あたりにセミの鳴く林さえなければ、
そこにはほんとうに音がない。
町や村は奇妙な静けさに埋まっている。





ねこだ、と見つけたのはやはり友森さんだった。
そこに一匹の猫がいるだけで、
風景がぬくもりを取り戻すように思える。



警戒区域もマイクロシーベルトも知らない猫は、
のろのろ行くぼくらの車の前を気まぐれに行き過ぎる。
かと思うと、急にその場に寝そべったりして、
猫特有の気まぐれな振る舞いに、
マスクの下のぼくらの表情もゆるむ。
友森さんが降りてしばらく追ったが、
逃げられちゃった、と言って帰ってきた。

いくつかのエサやりのポイントに
エサと水を補充する。
散らばっている糞の状態をチェックし、
あたりに亡骸がないか確認する。

それにしても、静かだ。
ただ、ときどき、セミが鳴く。
その声がやむと、過ぎる時間さえ、よくわからない。
浪江市街へと向かう。

さっきから感じる違和感はなんだろう、
と思ったら信号だった。
三つのランプがすべて灯っていない信号を
ふだん、ぼくらはあまり目にしない。

なんというか、
そこには強烈な喪失があるように思う。

とりわけ、
天気の良い夏の日の市街地においては。



もうひとつ、
これははっきりとした不気味さを感じたのは、
道中のトンネルだった。
ふだんどおりオレンジ色の照明を
灯しているトンネルが続くなかで、
なにかのトラブルか、
ひとつのトンネルだけがほぼ完全に闇だった。

放置されているかに見える道路も、
要所はずいぶん直されているらしい。
いまある陥没や亀裂の多くは最近生じたもののようだ。
そう、余震と呼ばれてはいるが、
震度5を超える地震がこのあたりをしばしば襲っている。
その目で見れば、落石も倒木も極めて生々しい。

牛だ、と友森さんが言った。

遠くに2頭、行くのが見えた。
もう、まったくもって勝手な話だけれども、
2頭、いっしょにいてよかったという気がした。
ほんとうに、かなしくなるくらい勝手な話だけど、
とぼとぼ行く牛がひとりぼっちじゃなくてよかったと
ぼくは思った。

そして何気なく時計を見てぼくは驚く。
まだ、8時前だ。
時間の感覚が、よくわからなくなっている。


そして、今日は暑い。
防護服の下で、汗が噴き出す。

(つづきます)



2011-08-12-FRI