BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


化粧は誰のため?
(全5回)


時間がない、面倒くさい、下手だから……
メイクしない理由は多々あれど、
きれいでありたい気持ちまでは
放棄できない!

ゲスト
博幸さん
石田かおりさん


構成:福永妙子
写真:橘蓮二
(婦人公論2000年8月22日号から転載)


博幸:
ビューティエキスパート
1948年神奈川県生まれ。
レブロンの美容部員から
スタートし、
エスティローダ、
シャネル、クラランスなど
7社の化粧品メーカーの
要職を歴任。
現在は、TV・雑誌で
メイク、 スキンケアに関する
アドバイスを行なうなど、
フリーで活躍中。

石田かおり
化粧文化研究者。
駒沢女子大学専任講師。
資生堂ビューティサイエンス
研究所客員研究員。
1964年神奈川県生まれ。
お茶の水女子大学大学院
人間文化研究科博士課程にて
西洋哲学を研究後、
(株)資生堂入社、
化粧文化の研究を始める。
著書に『おしゃれ哲学』ほか。

糸井重里:
コピーライター。
1948年、群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は多岐にわたる。
当座談会の司会を担当。

第1回
男もすなる……

糸井 さん、肌、
ツヤツヤしてきれいですねぇ。
僕と同い年なのに、20代くらいに見える!
フフフ。ありがとうございます。
さっきまで雑誌の仕事で、
化粧品をいろいろ試しているところを
写真に撮られてまして。
そのままの顔だから、
今日はちょっと厚化粧かも。
糸井 厚化粧なんですか?
そんなふうには見えないけど。
いつもメイクアップしてるわけじゃないのよ。
ただ、仕事でカメラに収まるとき、
ファンデーションはぬります。
ラジオの仕事は素顔で行くけど、
本番直前に頬紅だけはつける。
そうすると、疲れていても調子が出るんです。
糸井 でも男がちょっとでもメイクらしきことをすると、
人から何か言われたりするでしょう。
昔は言われてましたね。
メイクアップしてなくても、
ちょっと小ぎれいにしてるだけで
バイ菌を見るような顔されて(笑)。
でも化粧品会社にいたときは、上司から
「そうしていなさい」って言われてましたし。
まあ、実感として、今は楽になったかな。
糸井 そういう時代になったんだ。
でもその昔だって、
男が化粧をしていた時代が長くありましたもんね。
石田 化粧の歴史を大ざっぱにとらえると、
世の中が平和になって、
食べること以外にお金や時間をかけたり、
意識を向けられるようになると、
男性も華やかになっていく傾向があります。
美しい男性に非常に評価が集まると言いますか。
糸井 マッチョよりビューティー。
石田 今の日本も
そういう時代になっていると思いますし、
過去の歴史を遡れば、
元禄時代から享保くらいにかけての頃がそう。
美男子、とくに歌舞伎の若衆といった人たちが
たいへんもてはやされました。
さらに時代を遡ると、平安時代の宮廷貴族も、
絵巻物を見ればはっきりわかるように、
男性と女性、ほとんど同じメイクをしています。
糸井 男もメイクしてる……。
石田 ただ化粧も身分によってで、
農民や漁師とか第一次産業に携わっている人は
男女ともお化粧はしなかった。
江戸時代、既婚女性は
眉を抜いてお歯黒をしたと言われてますけど、
それも武家の女性と、
あとは江戸や京阪の町なかの女性なんですね。
お歯黒は明治くらいになって、
ようやく農村にも広がりましたけど。
糸井 そうかぁ。
さんは自分がきれいでいたいのと、
人もきれいにしてあげたいと思ったのと、
どっちが先ですか?
ニワトリと卵みたい……たぶん、同時。
まぁ、スキンケアは子どもの頃から
ごく自然にやってましたけど。
石田 いくつくらいから?
よく覚えてるけど、
最初に化粧品を使ったのが3歳半の冬なんです。
僕は小田原育ちで、木枯らしが最初に吹いた日に
海でみんなと遊んでいたら、
顔にひび、あかぎれができてね。
昭和26、27年頃だけど、
父が進駐軍のPXからエリザベス アーデンの
ローションとクリームを買ってきて、
つけてくれたのが初めての体験。
糸井 なんか、シャレてますねぇ。
母にお風呂に入れてもらったあと、
父につけてもらってたんですけど、
そのうち父が入院しちゃって、
母が出てくるのを待ってると
顔がこわばっちゃうから、
自分でするようになって。
その頃はきれいになりたいという意識じゃなくて、
痛いのがイヤっていう……。
つけると肌がなめらかになって気持ちいい。
そうやって始めたことが習慣になったのね。
だから僕にとっては、
手を洗ったら手を拭くのと同じ。
当たり前のことだったのね。
糸井 オオッ。
僕がそういうことをしてると、
「男だから、お前、よせよ」
という友達もいたけど、
何とも思わない子もいたしね。
そう言えば、最近、
同窓会で面白いことを言われた。
「昔は大くんと口きけなかった」って。
「どうして?」って聞くと、
「別世界のやつだと思ってた」と。
それで、「ずっと変わらずやってきたんだなあ」
って感心したような顔をして僕を見てるの。
糸井 さん、筋が通ってるから、
カッコいいんだよね。
石田 昔、同級生が声をかけられなかったっていうのは、
何か高貴な人に対する憧れみたいなものも
混じってたんじゃないですか?
それは違うんじゃないですか。(笑)
石田 かつては、高貴な人でないと
肌がきれいでいられなかったんですよ。
今の時代はその気になれば
誰でもスキンケアはできるけど、
歴史的には長い間、手入れした美しい肌というのは
お金持ちや身分が高い人たちの
ステイタスシンボルでもありましたから。
糸井 お坊っちゃんだったんでしょう。
そんなことないです。
父が早く死んで、母はかなり苦労してたし。
ただ、父が生きてた頃、
ハーシーのチョコレートなんか食べてました。
近所の子とはちょっと違っていた。
糸井 いわゆるバタくさい子だった。
そうかもしれない(笑)。
父がそういうふうだったの。

第2回 ヤマンバもいいじゃん!

第3回 その年齢のもつ奥行き

第4回 パック歴30年

第5回 自分の「きれい」を探そう

2002-03-13-WED

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