BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


人はなぜ旅に出るのか
(全5回)


あなたは旅派?
それとも旅行派?
身一つで出かける世界放浪から、
自宅で楽しむワイドショー・トラベルまで
さあ旅支度は整った!


構成:福永妙子
撮影:外山ひとみ
(婦人公論1999年7月22日号から転載)


西江雅之
1937年東京都生まれ。
早稲田大学文学部教授。
専門は文化人類学、
言語学。
学生時代に数多くの
言語を独学で身につけ、
23歳で日本初の
スワヒリ語辞典を編纂。
専門書の他に
『花のある遠景』
『旅人からの便り』
『ヒトかサルかと
問われても』
など旅にまつわる
エッセイも多数

白幡洋三郎
1949年大阪生まれ。
国際日本文化
研究センター教授。
専門は庭園史、造園学。
著書に
『プラントハンター』
『江戸の大名庭園』など。
『旅行ノススメ─
昭和が生んだ庶民の
「新文化」』
(中公新書)で、
旅から旅行が
生まれた近代日本の
文明論を展開している
糸井重里
コピーライター。
1948年、群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は
多岐にわたる。
当座談会の司会を担当。


婦人公論井戸端会議担当編集者
打田いづみさんのコメント

夏休み直前、
東京駅を見下ろす一室が、
今回の旅の始点でした。

自分のたてる音以外、何も聞こえない砂漠の恐怖とは?
遊牧民にとっての旅って、なに?

ジャングルを、海を、そして水戸黄門を
超える旅人たちを前に、
「こうして話を聞いているのも旅だなあ」と
“定住希望派”の糸井さんはつぶやきました。

第1回
「旅」か「旅行」か

糸井 僕は、自分で旅が好きなのか嫌いなのか
わからないんです。
基本的にはどこにも行きたくない。
定住していたくてしょうがない人間で、
毎日決まった時間に電車で通勤するのが
一つの憧れだったりするくらいです。
なのにどういうわけか、
そうじゃない方向にいっちゃう。
そして、いったん行ってしまうと、
これが楽しいんです。
行ってよかったなと思う。
白幡 僕の友人にもそういう人間がいました。
旅行は嫌いだと言いながら、
僕が海外をだいぶ連れ歩いたら、
外国好きになってね。
出るまでは言語のプレッシャーだとか、
いろいろ考えることがあるわけです。
それが行ってみると、
意外に人間は適応力があってクリアしちゃう。
で、帰ってくると「よかった」と。
ただ、再度出ていくまでには、
また気力や体力をすごく要するらしいですけど。
糸井 白幡さんは『旅行ノススメ』という本を
お書きになってますが、
「旅」と「旅行」は違うわけですよね。
白幡 その背景に悲惨なことや苦労といった、
いろんな精神的なものを背負っているときに、
人は「旅」と言いますね。
つまり、苦行であると。
実際、昔の旅は困難を伴っていた。
旅に出たくない人がいるのは、
もともと大変な行為だったという歴史が
われわれの五感の中に残っているからかもしれません。
今は、旅をするときの基本となる
足と宿といった環境はすごく整ってます。
そうして無用な苦労や危険をできるだけ取り除いて
できあがったものが「旅行」なんですね。
糸井 旅ではなく、あえて旅行ノススメというのは?
白幡 旅にくらべると、
旅行には軽いイメージがありますよね。
パック旅行だと、自ら卑下して、
「ツアーなんか行っちゃったよ」
なんて言う人もいます。
そういう気後れを解き、
気楽に旅行をしましょうということです。
自分の知らない土地・人間・風俗を楽しむ
−−そんな旅行の体験はぜったいに損じゃないし、
まずは外に出てみることが大事ですから。
これが旅だったら、ほっといても行く人は行くし、
すすめられて行くものでもないし。
糸井 西江さんは、旅行よりも旅の人ですよね。
学生時代にアフリカ大陸を縦断したのを皮切りに、
一般の人があまり行かないような国にも
次々と行かれて。
西江 行ったのは五十ヵ国ほどでしょうか。
仕事の関係で同じところに何度も行くこともあります。
旅というよりは、調査活動や仕事があるままに、
世界中を転々と……。
南米のギアナ、インド洋のコモロ国、
太平洋の西のヴァヌアツ国など、
あまり行く人はいないようですね。
糸井 西江さんのご本を読むと、
彷徨といってもいいほど「旅」の連続で、
定住地がない。
それで中島みゆきさんの歌を思い出しました。
「帰るところのなくなった旅人は、
いる場所のない人間だ」
というような歌がありましてね。
でも僕ら、普通に暮らしていると、
帰るところがない感覚って
味わったことないもんなぁ。
西江 僕はそればかりです。
帰るところが基本的にないから、
ついには風来坊。
糸井 移動のつど、そこが生活の場となるわけですか。
西江 だから、旅立ちは、その土地との別れだと……。
糸井 帰ることを考えない。
西江 「人生は旅だ」と言いますけど、
僕は多分、ずっとそんな感覚で
生きてるんじゃないかと思いますね。
これを好きでやっている人にときどき会いますが、
普通、三年続く人はなかなかいないですよ。
嫌だけれど、行き詰まったら戻れるという場所を、
たいていの人はもっていますから。
糸井 西江さんはどうして続いてるんでしょう。
西江 僕も、本当は一つのところに定住したい。
でも、その一つところを買う金がどうしても作れない。
糸井 そうだったんですか。
西江 そうですよ。
若い頃は、就職先があれば
そこにずっといたいと思いながら、
何の因果か仕事で呼ばれてあちこち行くうちに、
旅から旅へと……。
もちろん本心から嫌いだったらできないでしょうが。
四十歳のとき、大学の教師という定職についてからは
東京に部屋を借りて、
何とか仮の住まいはできました。
糸井 じゃあ、今は半定住ですね。
西江 さっきの「旅」と「旅行」の違いの話ですけど、
旅というのは簡単に言えば、常に「道中」です。
道中には、いろんなことがあるし、
それがどんなものか予測もつかないのです。
旅行は行く先は決まっているし、
帰りも保証されている。
道中なしで、ただ行ってから目的地で
何をするかということですね。
これがパックツアーとなると、
目的地ですることもすべて決まっていて、
行く前に全部わかっているものを
確認しに行くというか、
「絵ハガキで見たのと同じだ」
と安心して帰ってくる。
ただ、これは、悪いことじゃないですよ。
僕はむしろ、非常にいいことだと思ってます。
白幡 実際に確認できるだけでも意味がある。
ルートもつくられてて、
ある種の安心感もありながら、
自分にとっては全部、新しい体験。
旅とは違うかもしれないけど、
あとあとまで記憶に残るものだし、
やっぱり面白さはありますよ。
そうそう、僕はツアーの体験が一度だけあるんです。
トルコをバスで一周したんですけど、
トルコの大地の中で日本の人間関係なんかが
そのまま出てくる。
買い物するにしても集合するにしても、
ああやっぱりこうなるな、というのがあったり。
糸井 案の定……。(笑)
白幡 その一方で、案の定でない
トルコ人の反応があるでしょう。
向こう側の驚くべき異文化と
日本的なものとがぶつかるとこんなふうになるのかと、
ものすごく面白かったですね。
糸井 西江さんは中学生の頃に、
ネイティブ・アメリカンの言語やアイヌ語を
研究なさってたんでしょう。
インドネシア語やアラビア語、ハンガリー語なんかも
学生時代に独学でマスターしたとか。
人があまりやってないような言語に
興味をもって勉強したというのも、
その後の旅人生に通じるような気がするんですが。
西江 研究、マスターなどというものからはほど遠い、
子どもの遊びです。
それにもともとは外国に出るために
言語を勉強したんじゃないんです。
話すと長くなりますけど、
子どもの頃から僕は自然児で、
サル少年、ネコ少年と言われていたんです。
うちでは、あの子はいつも屋根の上にいるか、
縁の下にもぐっているかのどっちかで、
まともなところにはいないと(笑)。
学校の二階から階段降りるのも面倒くさくて、
いつも飛び降りてました。
白幡 身軽だったんですね。
西江 サルだったんです(笑)。
高校では器械体操をやってて、
東京の高校の大会で一位にもなりましたが、
実は、サルの動きを必死で矯正する訓練をしたら、
なぜかそうなったというだけで。
白幡 器械体操?
僕もやってたんです。
ただ、僕はサル少年じゃなかったけど。
西江 サルやネコ、スズメでもいいんですが、
生き物が好きな人には三タイプあって、
一つはペットとして飼いたくなる人。
二つめは観察したくなる人。
三つめが、自分がネコやスズメになりたいと思う人。
僕は四、五歳の頃から三つめのタイプでした。
ネコの通り道を自分で通ってみて、
この穴だったらすり抜けられるとか、
コウモリの飛び方を真似してみたり。
絵も、ネコの目から見た近所の地図、
アリから見た地図、トンボ地図とか、
そんなものばかり描いてたんです。
糸井 はーあ。
西江 そして、スズメならスズメのそれぞれの顔を全部、
覚えていたし、
コオロギの鳴き声も一匹一匹、
聞き分ける努力をしていました。
つまり個体別に識別しようとしてたんです。
二日前にあそこにいたコオロギが、
きょうはこんなところまで来ているとか……。
実際にはそんなにうまくいきませんでしたが、
思いだけは強かったです。
そんな小さな頃、うちの近所にへんなおばさんがいて、
何かブツブツ言いながら歩いてたんです。
あとで聞いたら外国人、ドイツの人とわかったけど。
糸井 ブツブツはドイツ語だった。
西江 さらに、近所にアメリカ人の宣教師が来たんです。
電話でわけのわかんない声を出して
ペチャクチャしゃべっては、笑ったり真剣な顔をしてる。
これは英語だったわけですが、
へんなおばさんにしろ宣教師にしろ、
あの不思議な声の向こうには何か僕の知らない
大変な世界があるに違いないと思ってね。
だから外国語への興味じゃなく、
要はドイツ人もアメリカ人も
ネコやトンボ、コオロギと同じで(笑)。
ともかく、未知のものの後ろには
ものすごい世界が隠されているぞと。
これはいまだにずっと思っています。

(つづく)

第2回 モノをためない人

第3回 日常からの脱出

第4回 真面目に驚こう

第5回 最後に戻るところ

2000-06-20-TUE

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