BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


永久グルメの「酸いも甘いも食べ分けて」
(全5回)



構成:福永妙子
写真:中央公論新社提供
(婦人公論1999年4月22日号から転載)


里見真三
エッセイスト・
岐阜女子大学
観光文化学科教授。
1937年東京生まれ。

慶応大学卒業後、
文藝春秋入社。
『ベスト・オブ・
ラーメン』
『丼』
『すし』
など原寸大写真満載の
「ベスト・オブ」シリーズや、
文庫の「B級グルメ」
シリーズを手がけ、
ベストセラーに。
握り寿司観察学会、
丼探偵団所属。
著書に
『すきやばし次郎 
旬を握る』他

山口文憲
エッセイスト。
1947年静岡生まれ。
パリや香港滞在を経て、
79年に新しい視点から
都市・香港を解剖した
『香港・旅の雑学ノート』
で話題を呼ぶ。
著書に
『空腹の王子』
『東京的日常』
(関川夏央共著)
『燃えないゴミの日』
など。
好き嫌いのない
“純粋外食シングル”
生活を30年近く
糸井重里
コピーライター。
1948年、群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は
多岐にわたる。
当座談会の司会を担当。


婦人公論井戸端会議担当編集者
打田いづみさんのコメント

午前0時、
「今、何が食べたい?」 
と編集部で聞いて回る。
「フルーチェ、ラーメン、ところてん、
麦チョコ、カレーライス、エクレア、寿司……」
かく言う私は、20分前から猛烈に
「くわい」(百合根でもいい)が食べたい。
みんな、なんとも脈絡のない答えだが、
そんな「夜中に食べたくなる物」にも、
意外や法則性があるのだとか!

B級グルメの提唱者である里見真三さん、
外食ひとすじ二十数年の山口文憲さんを
お迎えした今回の座談会で、
その法則が明らかにされました。

カンピョウからソース焼きそばまで、
お三方の「俺はこれがうまい!」には
雄叫びあり、涙あり
――読んだあなたは、
さて何を食べたくなるのでしょうか?

第1回
舌戦スタート!

糸井 好きな食い物を自分で判別できるか、
これが僕の積年の課題なんです。
たとえば全員が口を揃えて
「これはうまい」
と言うと、
「うん、うまいね」
と答えてしまう。
でも本当にそうなのか。
無理に好きだと思い込んでいるものも、
実はあるような気がするんです。
それで「俺はこれが好きらしい」
と判断する方法はないものか、
ずっと考えていたんですよ。
山口 「うまさの哲学」ですか(笑)。
それで、答えは出たんですか。
糸井 自分なりに結論を出しまして、
「いつまでも口の中で噛んでいられるもの」が
好きだと決めたんです。
口の中で完全に咀嚼され、
液状になってもまだ飲み込みたくなかったら、
本当にそれが好きだと言える。
そういう方式ですが。
里見 私が若いころ尊敬していた、
文芸畑では神様的存在の方がいまして。
旅にお供すると、
その大先生はホテルの朝食で
必ずグレープフルーツを注文した。
「こんなうまいものはないよ、きみ」と。
それが輸入が自由化されて、
値段がめちゃくちゃに安くなったら、
とたんに見向きもしなくなっちゃった。
糸井 手に入りにくいことが、「うまい」の基準だった。
里見 それで、その偉大なる先生に対する
私の迷妄は消え失せた。
こんな程度の男であったのかと(笑)。
つまり、うまいまずいを
絶対的な味覚で決めるんではなく、
値段で規定する人もいるんです。
私もその部類に属する人間で、
「1000円にしちゃ内容充実」
と思ってはじめて
「うまい」
と味蕾が認識するんです。
糸井 そういえば里見さんは10年くらい前に、
「B級グルメ」という言葉を生み出されていますが。
里見 あの頃、家族を養うお父ちゃんの立場として
猛烈に腹が立ったのは、女性誌に、
「この料理、1万円はお安いわ」
なんて書いてある。
それ読んで、冗談じゃないって思った。
お父ちゃんにとって1万円は大金です。
なんでみんな、こんなに金に糸目をつけず
鉄面皮にも喉元三寸の快楽にふけるのか。
そういう不健全グルメに対抗し、
そこらへんにある普通の食い物を
楽しく賞味せんという意味で
「B級グルメ」を提唱したんです。
糸井 大衆的味覚……?
里見 これは私の持論ですけど、
上半身であれ下半身であれ、
粘膜の快楽を過度に追求する者は
ヘンタイと呼んで然るべきです。
一方、己がヘンタイであると十二分に自覚しつつ、
なおかつヘンタイでありたくないとする
私の心の葛藤が、
健全と不健全を区別する境界として、
1000円ラインを設定したんですよ。
糸井 外食歴30年の山口さんは?
山口 まあ、性もそうなんでしょうが、食についても、
「私の好み」なんか信じちゃいけないんです。
十人十色のようにみえて、
実はこのくらい社会的、文化的な影響を
モロに受けてる分野もないんですから。
そう考えると、味の話をするのはムナしい。
人間にとって口腔粘膜の快楽とは何か、
という話ならできますけどね。
里見 値段の規定を取り払って申し上げると、
私はだんだん「長いもの」が好きになってきた。
糸井 長いもの?!
里見 要するに繋がっているものです。
それも、できれば連鎖してほしい。
山口 というと、やっぱり麺ですか。
里見 はい。
インドの神秘的身体論で言うところの「チャクラ」、
ヒンドゥー語の「混沌世界」にも似た「気」が
長い麺に具現されているからです。
糸井 チャクラまで出てきますか。(笑)
山口 深いですねぇ。哲学ですねぇ。
糸井 じゃあ、叩くとズルッと出てくる羊羮なんかは?
里見 あれも「チャクラ」の一種かもしれないが、
限界がある。
何ら無限を予感させるものがない。
糸井 断続はいけないんですね。
里見 断続? いけません。
パスタのペンネなんていうのは、
先を尖らせて「チャクラ」を志向しているくせに、
情けないほど短小でしょ。
だから私に言わせれば実に堕落した麺なんです。
その対蹠的な姿形で、いつまでも
切れないようなズルズル長い中国の長寿麺。
ああいうものが好きなんです。
長くて繋がってさえいれば、
味はもうどうでもいいんだ。
糸井 どうでもいいって。(笑)
山口 胃カメラ的世界ですね。
胃カメラの不快とそばズルズルの快楽は、
メビウスの輪のように繋がっている。
糸井 食い物話は猥談に似て、
「ずっとやっていたい」という感覚が
いちばん気持ちいいんだと思うんですよ。
僕の「飲み込みたくないもの」も、
里見さんの「繋がっているもの」も、
終わりがない予感という点で共通していますね。
俗に言うレズビアン的快楽。
里見 ありきたりの異性愛では味わえぬ、
絶妙至純の境地。
糸井 それにしても、食べ物に
「長い」という尺度ははじめて聞いたな。
背くらべにいきなり体重を持ち出されたようで。
里見 でも、長いものって気分いいでしょう。
だってそばの香りや味を楽しむのであれば、
玄そばをむいて、
そのまま食っちゃえばいいわけです。
三角のそばの実を長くして食った先哲の知恵を
もっと深く感じとらなきゃいけません。
糸井 はい。(笑)
里見 長いものを飲み込むことによって
永遠と繋がりたい……。
糸井 不老不死というような。
里見 ええ。
そういった原初的な感覚がわれわれにはある。
糸井 解剖学の三木成夫さんの本を読むと、
舌は発生的に手と同じだったらしいですね。
要するに捕食するための筋肉であり、
熱いか冷たいか、安全かどうかを調べる
センサーでもある。
そういうふうに舌も手であると考えたとき、
舌の役割は大きいですよね。
で、「長いのがいい」というお話で、
たしかにそうだなと思うのは、
舌がいつまでも対象に触れていられる、
これは至福ですよね。
里見 至福の極致です。
糸井 預金通帳を握りしめている
バアさんのような喜びがある。(笑)

第2回 箸と私の愛情カンケイ

第3回 そばを迎え撃て

第4回 夜の孤独が酢を求める

第5回 勝負する家庭料理

2000-05-04-THU

BACK
戻る