第4回 希望であり、勇気である。
── すこし前に、大船渡の漁師さんの新しい船を
見せてもらったんですが、
気仙沼でも、多くの漁船が被災しましたよね。
紀子 休漁していて気仙沼湾につながれていた船は
みんなダメになりました。

私、市場の上で一晩を過ごしたんですけど、
気仙沼って、火事がすごかったんです。

もう、船はもちろんですが、
気仙沼の経済の9割はダメになったと思いました。
── そんなに。
和枝 みんな、港の近くだったからね。
ただ、遠洋船は別。
和枝 遠洋船は世界の海に出て行ってましたから。
── そうか。
紀子 遠洋船で被害にあったのって
おそらく、全体の何パーセントもないです。
── 遠洋船というのは、マグロ船のことですか。
紀子 そうですね。

気仙沼の工場は9割以上ダメになったけど、
外には、遠くの海には、
世界の海で操業するマグロ船の人たちがいる。

当時、そのことが本当に、心の支えでした。
和枝 紀子さん、被災したときの話して。
だって、すごいんですよ、この人。
── ぜひとも、おうかがいしたいです。
紀子 いや、たいした話でもないんですが、
うちの事務所は魚市場の三階にあったので、
揺れで中がメチャクチャになったんですけど
水は入らなかったんです。
── ええ。
紀子 つまり、銀行のハンコと通帳とパソコンが
流されずに残ったんですね。

それで、
外にいる船にエサや資材などを送ろうと‥‥。
── エサ?
紀子 いや、あの、遠洋船が世界の海にいるっていっても
日本の新聞のニュースが
毎日、テレックスで流れるんです。

だから、地震があったことも知っているし、
「マグニチュード9.0」「何十メーターの津波」
「気仙沼が大火事」とか、
そんな記事を沖にいる漁師さんたちが見たら
どれだけ心を痛めるだろうと。
── 近くにいないぶん、なおさらでしょうね。
紀子 で、うちでは、ありがたいことに、
銀行のハンコと通帳とパソコンが残ったので、
震災から10日目に
それらを持って東京へ向かったんです。

それまでは、毎日毎日、
営業しているお店を探して食料を確保したり
水汲みしたりしてたんですが。
── それはつまり、なんの目的で?
紀子 東京の銀行へ行って、そこから
沖にいる船にエサ‥‥
つまり、マグロを獲る餌や資材を
輸送船でバンバン送って、
どんどんマグロを獲ってもらって、
がんばってお金を稼いでもらわねばなーって
もう、その一心で。
── 東京へ。
紀子 はい。
── 10日目じゃ、移動も大変でしたでしょう。
紀子 まず、
気仙沼から仙台行きの臨時バスが出るって言うんで、
それに飛び乗りました。

そして、仙台から新潟行きの臨時バスに乗って、
最後、新潟から新幹線で、東京へ入ったんです。
── うわあ‥‥。
和枝 しかも、パソコン「デスクトップ」だからね。
── え。
紀子 そうそう。ノートパソコンじゃないんですよ。
こーんなでっかい、デスクトップ。
── それを、背負って?
紀子 そう。デスクトップのパソコン本体から、
パソコンの画面から、
キーボードから、マウスから、延長コードから、
ぜんぶリュックに入れて行ったんです。
── なるほど‥‥。
紀子 もうほんと「オラ東京さ行くだ」の世界。
しかも、パソコンの上蓋、パカパカだったし。
── 動いたんですか、それ?
紀子 動くも何も電気がないから、
もう、動くかどうかもわからないまんまに
背負っていったんですよ。
── しかも、仙台から新潟を経由して、東京へ。
紀子 震災から10日間、着の身着のままの格好で
東銀座の七十七銀行東京支店へ行きました。

私の順番が来て、
カウンターで「気仙沼の‥‥」と言ったら、
そこで、涙がぶわーっと出てきたんです。

泣きながら
「気仙沼のオノデラコーポレーションです、
 外国送金させてください」
みたいな、そんなボロボロな感じで(笑)。
── 外国送金というのは‥‥。
紀子 10日以上も音信不通になってしまった、
海外の仕入れ先への支払いですよね。

津波にあっていろいろなくしたけれども、
信用までなくしてられないと思って。
── すごいなあ。
紀子 まさか
三月末に入金してくるなんてビックリしたと
国内の会社さんにも言われました。
── そうですよね。
紀子 でも、本当にあのときは、
「沖に、気仙沼の船がいる」ってことが
心の支えになったんです。
── 世界のどこかに、気仙沼の漁師さんがいる。
和枝 そう。どんだけ支えられたか、わからない。
紀子 でも、そういう状況でも
気仙沼の漁師さんたち、ブレなかったよね。
和枝 そうそう、海に相対する仕事をしていて、
海からの被害でこんなになりました‥‥と。

でも、あの人たちは1ミリも迷いがなくて
「自分たちは、また海で仕事する」って。
── もう、おっしゃってたんですか。
紀子 それはもう、ほんとに、すぐに。
現場の人は、ぜんぜんブレてなかったんです。

そういうところに、しびれるし
気仙沼にそういう人たちがいてくれることが
私たちの「希望」なんです。
── 今日のお話でも、ずっと、
「漁師さんがいないと、はじまらない」
ということを
おっしゃってますものね、おふたり。
和枝 もちろん、私たちふたりだけじゃなくて、
そういう漁師さんたちのことを
「いいぞ、いいぞ!」って励ましている
地元の空気があるんですよ。
── お聞きしていると
気仙沼のエネルギーみたいな人たち、です。
和枝 カレンダーに写った漁師さんの顔、
震災から2年、3年時点での表情なんです。
── はい。しみじみ、すごいです。

みなさん被災された方々なのに、
毅然としているし、いい笑顔をしているし、
堂々としているし、カッコいいし‥‥。
和枝 今年のはじめごろに思いついた話なので
制作に関しては
けっこう、あわただしかったんですけど。

でも、どうしても、今年やりたかった。
── それは、なぜですか?
和枝 私たちの気持ちの上で
「5年後くらいに、余裕ができたらやりましょう」
というものでは、なかったんです。

あの方たちの「今の顔」を、撮っておきたかった。

それは、やっぱり
「マイナスからでも、やり直すんだ」って
いちはやく
スイッチを入れ替えた人たちの顔が
私たちの「勇気」になると思ったんです。
── なるほど。
和枝 だから、やりたかったんです。どうしても、今年。
紀子 船頭さんってね、ん〜、「ただの人」なんです。
── と、言いますと?
和枝 船頭だけなんです、ライセンスが要らないの。
── あー‥‥。
紀子 船長や機関長には、「お免状」が要るんです。
勉強して試験に合格しないと、なれない。
和枝 でも、船頭になるためのライセンスは、ない。
つまり「人間で勝負してる人」だから。
── みんなに信頼されたり、
先輩がたに見込まれたりしてなるものだと。
和枝 そう。
── 免許がないというのは、逆にすごみを感じます。
和枝 とにかく、漁師としての実力、
男としての包容力、人間としての大きさや覚悟、
そういうものを持っているかどうか。
紀子 たとえば台風が来て、大しけの海の中を
「どれくらいサンマを積んで帰ってくるか」は
船頭の腹ひとつなんです。
和枝 文字どおり、乗組員のいのちを預かってるから
波をかわしながらも
まったく寝ないで帰ってくるような人たちなんです。
── ふたりが「スーパーヒーローだ」って言うのも
大げさじゃなく、そうなんだなって思います。
和枝 だってもう、大型船の船頭になんかになったら
「親族の譽れ」ですからね。
── 気仙沼の人って「コスモポリタン」なんだって
よく耳にしますけど
そういう「あかるく開かれた感じ」がするのも
漁師さんの存在があればこそ、ですよね。
紀子 ええ、遠洋漁業の人たちなんかは
ケープタウンとかスペインのラス・パルマス港、
ペルーのカヤオ港などと気仙沼とを、
行ったり来たりしてるわけですからね。
── スケールがでかい。
和枝 気仙沼ニッティングの編み手さんたちも
「世界を目指します」って、
けっこう、ふつうに言ってるみたいです。
── 頼もしいなあ。
和枝 それを聞いた他の編み手さんたち、
ぜーんぜん、だーれもビックリしないんだって。
紀子 世界は「遠い」じゃなくて
なんとなく「海でつながってる」という感覚は
あるかもしれないです。
── そうですか。
和枝 気仙沼の町や人って
外から来てくれたお客さまにたいして
「よく来たね」
「はいはい、お帰りなさい」
みたいな雰囲気があると思うんですけど‥‥。
── はい。感じます、それ。
和枝 だから、気仙沼のそういう「いいところ」も
あの人たちのおかげ、なんですよね。
<おわります>
2013-12-13-FRI
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