おとなの小論文教室。

受験のテクニックとして、小論文の書き方を勉強した?
その後は、ナイスなテキストを書いていますか?
考えること伝えることの愉快を、ここで味わいましょう。
ありがたいことに、小論文というものを
考えたり、たのしんだり、たくさん読んできた
カジュアルで優しい先生がいるんです。
さぁ、山田ズーニー先生、お願いしまーす。

Lesson943
読者の声― 101の決心
・2つの世界を横断的に生きる

「実力100の人と60の人、
戦っても無理と思われがち。

でも、表現において、

実力100の手抜き70にどうしても感動できない。
自己ベスト。
実力60が61に迫る勢いで、
殻を破って、その先に行こうとするとき、

表現が咲く。

見た人、心がふるえる。」

という先週のコラムをはじめ、
「おとなの小論文教室。」を読んだ人は、
どう感じているのでしょう?

今週は読者の声。

まず、「101の決心」
に届いた2通から紹介します!

<自分の殻を破るとは>

ジャズピアノ練習中のakkoです。
Lesson942の「101の決心」は考えさせられました。
私は「実力60の人」のほうです。

「どうすればうまくなりますか?」

と聞けば、
即興でアドリブをするジャズで、
練習のためいろんなところに「セッション」
(その場にいる人たちと、その場で曲を決めて演奏する)
に行っている私に、
誰しも必ずこう言います。

「上手い人と一緒に演奏しなさい。」

これが、きついのです。
自分の中にいいわけばかり浮かんできます。

しかし確実に、
文句なくうまいのにつまらない演奏、
というのは存在しています。

逆に、自分も無意識のうちにクリーンヒットのような
演奏をすることがあるようです。

そういうときは、
ほとんど自分が何を弾いたか記憶にない。
記憶にあるのは、

自分を信頼していたということ。

そしてそのときにやりたいことを演奏した、
という晴れ晴れとした気持ち。

「練習したアレをここにきたら弾こう」

と思って弾くのと、

「その時弾きたかったから弾く」

のでは伝わるものが違うようなのです。
そう考えると、
「どんどん殻を破る」のは

「どんどんエゴを捨てていく」

ということなのかも。
エゴをどんどん捨てて行って、
100になったとき、

101になるためには、
簡単に捨てられるようなエゴはもう残っておらず、

だからこそ苦しみ、
だからこそそこに見たことのないような世界が広がる
のかもしれない、と思うのです。

(akko)

<自分は60だと言える自信>

課題を見つける姿勢は、
自身の成長に疑いがなく、
常に上を目指そうとする姿勢だ。

たとえ他人にあなたは100点だと言われても、
自身では決してそんな風には捉えず、
自己評価は常に60点。そんな姿勢は、
決して卑下していることではなく、

自信を持っている証だと思う。

競争ではなく、切磋琢磨する意識を持つこと。
その中で自己ベスト更新をいつも目標としたい。

自分の殻に閉じこもっていては自己ベストは出せない。

まわりからあらゆることを吸収し、
常に心に余白を持っていたいと思う。

(ゆう)

ズーニーです。

「100に来るまでに散々捨て去って、
101に進むには、もう簡単に捨てられるような
エゴなど残ってない」

という読者の言葉にグッときました。

表現のトップランナーの新たな孤独に触れた想いです。

見栄やプライドを捨て、鎧(よろい)を脱ぎ‥‥と、
まだまだ自分に、脱いだり捨てたりできるものが
あるうちは、

捨てて、どんどん伸びて行ける時期は、
苦しいようで、いい時期なのかもしれない。

さて次は、先々週の、

「2つの世界を横断的に生きる」
ことについて。

1つの世界だけで学び生きるとすると、
「情報を仕入れ→気づきを得て→使いこないして血肉化」
するまでに時間がかかるけれども、

いくつかの世界を横断的に学びながら生きることで、

1つの世界で得た気づきを、
もう1つの世界で応用して日常的に使いこなすなど、
学びのサイクルが高速に回転していく、
という考えに共感が集まりました。

うち2通を紹介して、今日はおわろう。

<その世界でプロになると>

2つの世界を、
横断的に学びながら生きることで、

「気づきを血肉化する機会を多くもてる」

というのは
なるほどと思いました。

1つのことを専念してやっていると

いつの間にかプロとしての責任が生じたり、
まわりから責任あるプロと見られることになり、

失敗しにくくなる。

しかし、新しい分野は、
見ること聞くこと新しくて、
自分も初心者に戻って、質問したり試したり、

心おきなく失敗することができる。

失敗してこそできる「気づき」も、
そこここに散らばっている。

それは元の分野にも間違いなく応用できる
感触を持っている。

(やまめ)

<ゆきづまった時、助けはどこからくるか>

「一つのことに専念してやるべきだ」

という考えが息苦しくなるのは、

「結果を出せていないのに、
他のことに手を出してどうするのか」

という後ろめたさがあるときです。

思うように結果が出ていない時ほど、
「まだ頑張りが足りていない」と、
自分を急き立ててしまい、
段々余裕がなくなってしまいます。
そうなると目先の結果しか見えず、
視野が狭くなります。

そうなっている時に自分を助けてくれるのは、

「予想もしなかったところからの気づき」

です。
全く違う分野で、今までやってきたことが、
意外に役に立ったりすると、
経験に新たな別の意味が出てきて、

もう一度元の課題に戻った時に、
より違った角度で向かい合える。

そうして得られた結果は、
初めに求めていたものとは違うかもしれませんが、

それは目先の結果から自由になることでもある。

職場や家庭、友人関係など、
様々な「場」を持ってこそ、

それらすべてをつなぐ「自分」がいて、

どんな場でも、どんな課題に向かい合っていても、
「自分」なんだ、

と実感できるように思います。

(たまふろ)

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