岩井俊二監督と、
ほんとにつくること。

対談「これでも教育の話」より。

第7回
「わかるかい?」
(岩井俊二さんのプロフィールはこちら)



糸井 「破れた商品売らないこと」を
はじめとして、
岩井くんが自分に与えた課題というのは、
人に教えることができるようなことが
まじっているのではないでしょうか。
こうなってるものは汚いでしょう、
こんなときにこうしたら不快でしょう、
というものを積み上げていくと、
岩井くんの持っている力の、
5割にはなるような気がするんです。

5割の先には、自分の体癖とか、
言葉の調子の癖とか、
そういうものがたっぷり入るし、
まねできないけどね。
岩井 どうでしょうね。
糸井 たとえば、助監督とか俳優さんとかは、
監督の意図をくみ取ってくれますよね。
そのときには
「伝わった」ということではないのかな。
岩井 そうですね。ぼくは、けっこう
教えるのは好きといえば好きなほうです。
大学時代に教育学部に所属していたんですが、
そのときに、教育実習に行ったんですよ。
美術の先生としてね。

授業でいったい何をしたかというと、
「テクニックを教えること」なんですよ。
絵画教育の中でいちばん欠落してることは、
うまく描く方法を教えないところだな、
とずうっと思っていたんです。
自分が長く絵をやってきて、
何にも教わらずに、
ただ「何か描け」といわれても、
ちっともうまく描けない。
そこでほとんど挫折するんですよね。
やっていて、ぜんぜん
おもしろくないんですよ。
でも、自分が本格的に油絵をはじめると、
ちゃんと教本が売っていたりする。
「ちゃんとあるんじゃん、テクニックが!」
みたいな。そのとおり描くと、
けっこううまく描けるんですよ。
糸井 スタイリストが、ちゃんといて。
岩井 ええ。「らしく」描けたということって、
大切だと思うんですよ。
「らしく」いく前に、
自分も何もあったものじゃない
という気がしていて。
例えば2、3歳児が描いた絵を
プリミティブアートといえばそうだけど、
それは、価値が
ぐるっと一周していく中でのことであって。
糸井 「いいね」という人の
イニシアチブですよね。
岩井 ただ、絵の初期症状って、
目の前にあるものを描くぞと思って、
描いて、そして「あ、描けた」という、
そんなところから
はじまってるんじゃないのかなと思います。
糸井 個性を伸ばそうと、さかんに言うけど、
その個性が何であるかというのは、
そうとう追い詰められないと出ないですよね。
みんな、同じように起きて寝て、飯食ってる。
人間の暮らしって根本的には、かわらない。
その中での個性って、
その時間配分に合わせてしか
出てこないような気がするんですよ。
飯食ってる時間、寝てる時間、
友達としゃべっている時間。
友達も、そんなに変わったやつは
いないですよね。
そこで出てくる彼ならではのものといったら、
やっぱり、体癖のようなものになってくる。
普通に生きている間に
個性なんていうものが見つかるとは、
ぼくも思ってないんですよ、実は。
岩井 映像とか絵とか文学的なことというのは、
ちょっと精神論がかっているから、
ぼくは、全く違うところから
フィロソフィを見出すのが好きなんですよ。
例えば手品とかはすごい好きなんです。
手品ってね、
糸井 おもしろいねえ。
岩井 ええ。手品は、成功以前には
「個性」はないんです。
失敗したのに個性的だということは
ないわけで、
成功の先に個性とか独創性が出てくる。
だから、特別なおもしろみがあって。
その線っていうのはぜったい
どの世界にもあるはずなんだよな、と思う。
糸井 以前ほんとにびっくりしたことがあって、
これもたくさん人に話しているんだけど、
山下洋輔さんの自宅には、
変な楽器がいっぱい置いてあるんですよ。

山下洋輔(やました ようすけ) 
1942年、東京生まれ。
69年、山下洋輔トリオを結成。
日本のフリージャズマンの
先駆けとしてヨーロッパ、
米国のツアーを敢行。
世界中から支持を受ける、
日本の誇るジャズピアニストのひとり。
   

いちばんマシなのはピアニカで、
あとはおみやげの太鼓とか、
そんなものが山ほどあるんです。
そこに、音楽のプロは
山下さんと坂田明さんがいたのかな?
あとはみんな何でもないシロウトたちがいて、
テープのスイッチをガーンと入れて、
フリージャズだ、といって
みんなでとにかく勝手な音を出したんです。

ぼくも「何でもいいんだ」と思って
音を出しはじめたんだけど、
ほんの何分かで、
勝手なリズムを打てなくなるんです。
刻むリズムがだんだんくり返しに
なってしまうんですよ。

そのことに、いやおうなしに気がつくわけ。
一生懸命変えようと思うんだけど、
そのリズムは、前にやったことだったりする。
「新しいフリー」を
出すことができないんです。

ところが、山下さんは
楽しそうにそこらへんの太鼓をたたいて、
絶えずでたらめをやってるんです。
なのに、ぼくにはそれができない。

気のせいかな、と疑ったりして(笑)。
山下さん、その太鼓と取りかえてください、
鍵盤のほうがいいかな、取りかえてください、
と、くり返すんだけど、また同じになるわけ。
そのとき、ぼくは、
フリーとかでたらめとかというものの
恐ろしさを知ってしまったんです。
もう二度と言わない。自由なんて言わない。

自由というのは、やっぱり
あるリズムの中から逸脱してしまう、
「おれじゃない何か」なのであって、
それをコントロールできる山下洋輔は、
それが芸なんです。
それはさんざん訓練した人のやることで、
おれたちには自由なんかないんだと思った。
岩井 高校のときに、
おもしろい美術の先生がいたんです。
夏休みの前に、
わらばん紙30枚ずつぐらい配って、
「夏休みのあいだ、毎日、鉛筆でいいから、
 ここにぐじゃぐじゃって描け」
って言うんです。
そう言って、クシャクシャクシャ、と、
わけのわからん模様を描いて見せるんです。
いちおう抽象画だからさ、と。
それが夏休みの美術の宿題だった。

ぼくらは、何でこんなことをやるのかな、
と思いながら、ぐじゃぐじゃ、とやった。
几帳面に毎日は描いてないですけどね。
でも、30枚描いたわけですよ、とりあえず。

夏休みがあけて、美術の授業で、
でき上がった生徒の宿題を
みんなの前で、1枚ずつ見せるんです。
わらばん紙を、1枚ずつめくって、
「わかるかい?」。
みんな、何のことかわからないんですよ。
「わかるかい? 
 うまくなってるだろう」
と言われて。
糸井 おもしろいな、ハハハハ。
岩井 言われてみれば、
うまくなっているような気がする。
みんなのやつが、最初のぐじゃぐじゃが、
だんだんうまくなって見えるんですよ。
こんなものでもうまくなるのかと思って、
それはカルチャーショックでしたね。
糸井 ハァァァ〜。それは発明ですね。
いっぺんに描いた人もいただろうから、
そういう人と比べれば、
1日ずつ描いた人は、
もっとうまくなってるだろうね。
岩井 ハハハ、そうなんでしょうねえ。
そうなんですよ。
映像の世界は、絵に比べると、
ここをこうやったらこうなるよ、
というのをすごい説明しにくいんです。
じゃ、基礎トレーニングは
何をやったらいいんだろう
というかんじなんですよね。
そこのポイントが
確かに難しいんですけど、
やっぱり時間をかけるしかないよね、
だんだんうまくなるんだよな、
というのがありますよね。
糸井 さっき言っていた、
清原にやじ飛ばしていた観客が打席に立つ
というのと同じで、
1回でも打席に立って
140キロのスピードボールが
恐ろしいということを知ると、違う。
「その打席はおまえにあげたものだから、
 打ってみろ」
といわれただけで、人生が変わりますよね。
喪主をやれ、なんていうのもそうですよ。
岩井 喪主を?
糸井 ぼく、喪主をやったときに、
いいかげんにしてしまったんですよ。
後悔しているんです。
いいかげんなのが自分らしいんだと、
勝手に思って、
ひじょうにくだけた喪主をやったんですよ。
あとで、後悔しました。
あのとき我慢すべきだったな、様式を。
岩井 ええ。
糸井 様式を守らない坊さんが
読経しているのも見たことがあるんだけど、
これも嫌なもんなんだよね。
恥ずかしそうに、謝るように
帰っちゃったりされちゃってさぁ。
「これはかなわんな。でも、
 おれはこれをやってるな、ときどき」と。
岩井 ハハハハ!
糸井 歴史が込められている
見えないサービスというものに対して、
敬意を払えよ、みたいな(笑)。

<次回は、最終回です>

2003-04-28-MON

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