2017 新春対談 家庭料理のおおきな世界2017 新春対談 家庭料理のおおきな世界

糸井重里

土井善(料理研究家)

一汁一菜でよいという提案。

糸井
土井さんの新しい本、
とってもいいなと思ったんです。
『一汁一菜でよいという提案』。
ずいぶん思い切った提案ですが。
土井
そうなんです。
だけど、いまの世の中には
これが必要だと思ったんですね。
仕事をして、子育てして、家事をして、
余裕なんてないのに
「料理を作りなさい」と
言われている人たちがたくさんいる。
さらに旦那のほうが
「いつも最低3品は欲しい」などと言ってる。
現実はお手上げ状態というか、できっこない。
でもどれもないがしろにできない。
そんなふうに困っている人が、
とってもたくさんいるんです。
糸井
はい、はい。
土井
昔の人たちも、おばあちゃんも、お母さんも、
きっと忙しかったはずなんです。
だけどできてたのは、
昔はできる範囲のことをやってたから。
その、毎日続けられる食事が、
「ごはん・お味噌汁・漬物」を基本とする
一汁一菜なんですね。
これは和食の原点であり、家庭料理の原点で。
すべてここからはじまってるんです。
糸井
そこに戻るのがいいんじゃない?と。
土井
そうなんです。
一汁一菜は、ちゃんと毎日続けられて、
健康になんの不足もない、
男女を問わない食事です。
ごはんさえ炊いておけば5分もあれば作れます。
そしてこの提案は、その一汁一菜を
毎日の基本の型にすることで、
みんなの「おかず、どうしよう?」という悩みを
全部なくしてしまおうというものなんです。
糸井
それ、すっごく人を楽にしますね。
土井
そう、まずはそれで肩の荷が下りたと。
そこから「今日は気持ちに余裕がある。
財布にも余裕がある。時間にも余裕がある」
というときにスーパーで
おいしそうなサンマを見つけたと。
そのときに
「これ子供ら食べるかな。焼いてあげようかな」
と思ったら、それではじめて
プラスアルファで料理をすればいいんです。
そうすれば、責任感や強制からじゃなく、
ほんとうにやりたい料理になるでしょう?
糸井
そのとおりですね。
土井
料理ってやっぱり「作りたい」とか
「食べさせてあげたい」とか、
「自分が食べたい」とか、そういうことですから。
そんなふうにしてわたしは、
みんなの料理を本来の意味に戻したいんです。
糸井
それは、いいですね。
土井
さらに一汁一菜というのは、
毎日食べ続けても絶対飽きないんです。
それはそれで、体にしみるくらいおいしいんです。
糸井
はい。
土井
だから、ごはんがこんなにおいしい。
味噌汁がこんなにおいしい。
毎日そんなふうに食事をたのしめる。
さらに汁の具を変えれば、
際限なく違うものを作り続けられる。
それが毎日続けば、家族も変に期待しないですし、
さらにそのときサンマがあれば、
子供たちもみんな
「今日はサンマがついてるぞ!」って
自分で発見するわけじゃないですか。
糸井
それがプレゼントになるわけですね。
土井
そうなんです。
いま、時間をかけてごちそうを作っても、
誰も気づかないわけでしょう?
でも一汁一菜が基本になると、
作り手も、食べる側の喜ぶ顔が見えるんです。
糸井
はい、はい。
土井
もちろんパンだって、ハンバーグだって、
中華料理だって、食べていいんです。
ぜんぶ一汁一菜の考え方にあてはめて、
余裕のある日曜日に
「じゃあ今日はハンバーグを作ろう」
などとすればいい。
それは、その日に余裕があるから
作るだけのことなんですね。
そういうことというのが
「一汁一菜という提案」なんです。
糸井
ぼくは前に『婦人公論』という雑誌の座談会で、
西川勢津子さんという家事評論家の方と
お話しする機会があったんです。
そのとき知った話で、実は日本の主婦は、
そんなに多くの家事をしてない時代のほうが
長かったらしいんですね。
だけどアメリカの婦人雑誌の影響で
日本の婦人雑誌も「奥様はなんでもやるべき」
という理想像を広めてしてしまった。
それで、いまのような奥様像になっていると。
土井
はい、はい。
糸井
ごはんは作れる、おやつは作れる、洋裁はできる、
編物はできる、掃除はできる、洗濯はできる‥‥。
そんなの無理なのに、
いまは「それが当たり前」と教えられてる。
かつて、一部できる人がいたのは、
お手伝いさんがいる家だったから。
そういうものだから、いま、その部分で、
仕事までしてるみんなが苦しんでるのは
どうかと思うんです、ということだったんです。
土井
まさにそういう状況だと思いますね。
糸井
土井さんはそういった経緯を知っていて、
この本を出されたというのも
あるのでしょうか?
土井
もともと知っていたわけではないんですが、
やっぱりだんだんわかってきたんですね。
わたしはもともと
「今夜のおかずどうしよう?」が
多くの奥さんがたの悩みだと聞いて、
「いい悩みじゃないか」
くらいに思ってたんですよ。
糸井
そうですよね。
たのしい悩みにも聞こえますし。
土井
だけどよくよく聞くと、現実問題、
みんながほんとに苦しんでいる。
そして「土井善晴の勉強会」みたいなイベントで、
若い子たちに一汁一菜の考え方を
「これでいいんだよ」と話したら、
ものすごく喜ばれたんです。
そこで、これは必要とされてるなと感じまして。
糸井
なるほどなぁ。
土井
さらに、一汁一菜というのは
懐の深さがすごいんです。
そこを原点にして、いわゆる茶懐石でも
なんでもできますから。
いま、魯山人の器とかを持ってても
使いようがないですけど、一汁一菜であれば
「今日の刺身は魯山人の器に盛ろうね」
とか、そんなこともできる。
そうやって、美意識の世界まで
取り返しができるんです。
糸井
はぁー。
土井
そんなふうに、一汁一菜はひとつの思想であり、
ひもとけば哲学にもなる。
生き方のような受け取り方を
してもらえたらと思っているんですけど。
糸井
土井さんは、まったく商品を作らず
「発想」を作ってますね。
肩書きは料理研究家ですけど、
その名前でなんでもできる。
聞いてると、商品にする必要がないのが
すごいなと思って。
土井
そういうところ、ありますね。
その都度その都度やってるだけで、
わたしには在庫もなにもないんですよ。
糸井
この本も生き方の問題になってますし。
土井
そうですね。だけど今回本を出してみて
わたしのほうが逆に
「いまは生き方を求めてる人が、
こんなに多いんだ」
と、びっくりしたところもあるんです。

(つづきます)

2017-01-09-MON