HOBO NIKKAN ITOI SHINBUNHOBONICHI BOOKS

『かならず先に好きになるどうぶつ。』発売記念 イトイさんのことばをひとつ選ぶ。 - こんな10人に頼んでみた。

こんにちは。
糸井重里の1年分のことばからつくる本、
小さいことばシリーズの編集を担当している
ほぼ日の永田泰大です。
9月1日、シリーズ最新作となる
『かならず先に好きになるどうぶつ。』が出ます。
その原稿を10人に読んでもらい、
こんなお願いをしました。
「好きなことばをひとつ選んで、
自由になにか書いてください。」
さて、誰がどんなことばを選ぶのだろう。


浅生鴨が選んだイトイのことば。

人間は、じぶんを生かすために食う。
じぶんのような人間を残すことをする。
そしてどうしても死んでしまう。
することは、だいたい以上に尽きるとも言える。

だとすれば、ほんとうにしつこく深く考えるべきは、
「生きるにつながる食うこと」とその周辺について、
「人間を残すにつらなる番うこと」の関係について、
「必ず死を迎えること」の謎について、
この三つだけでいいのではないだろうか。 

いっしょにめしを食うことは、どういうことか。
恋をすることのうれしさと怖さ。
死ぬことは生きていることと矛盾しているのか。
なんでもいい、このへんのことをぐるぐる思い考える。

50万年もずっと先祖たちがやってきたことだけに、
考えてきたことの質も量も、膨大にある。
そして、それがじぶんの身体に刻まれていたりもする。
葬式のお経も、猥談も、食いしん坊話も資料である。

(糸井重里 『かならず先に好きになるどうぶつ。』より)


陽炎

浅生鴨

パチ。漆黒の中で火花が散った。
火花はまるで樹氷のように広がり、枝を伸ばし、
その先にはまた新しい火花が現れる。
けっして時間の中に留まることのないそれは、
次々に新しい火花を産み出しながら消えていく。

いつかの夏、静かに見つめたあの線香花火のように、
火花は生まれたその瞬間から、すでに消え始めている。

そうして数十億年が経った。

パチパチ。パチパチ。
今も火花は生まれてはすぐに消えていく。
暗闇の中で一瞬だけ見せる輝きは仄かな煙と影を残して、
次の火花へと続いていく。

深い漆黒の中、遠い過去からやってきた火花のつながりは、
ときには数を増やし、ときには消えそうになりながら、
遥か未来へと続いていく。

僕は生命をそんなふうに捉えている。

三八億年前、奇跡的な偶然から誕生した生命は、
なぜか絶えることなく形を変えながら
今まで受け継がれてきた。

あらゆる生命は、
この世界に火花として現れ、一瞬だけ輝き、
そして次の火花へと続いていく。
それが生命の基本的なありかたで、
たぶんそれ以上の意味や目的はないのだと僕は思っている。

生きることの反対は死ぬことなのかと問われたら、
きっと僕はそうではないと答えるだろう。
僕たちは生まれたときから、あるいは生まれる前から、
死ぬことが決まっているのだから。

先へ先へと伸びて広がる線香花火の火花だって、
輝き出したときには、もう根元から消え始めている。
生と死は相反するものではなく同じひと続きのもので、
生きることの中には最初から死ぬことが含まれているのだ。

生きることは死ぬことなのだから、
その二つを切り分けず、同じものとして考えてみると、
あるいは、自分自身を数十億年にわたって
受け継がれてきた火花の一つでしかないと考えてみると、
たいていのことは一瞬の揺らめきの中で起こる
些末なできごとに過ぎないと思えてくる。
この世界に一瞬の揺らぎとしてしか存在できない僕たちには、
余計なことに使っている時間などない。

僕はあまり死を恐れていない。
もちろん、死にたいわけではないし、
死ぬのは嫌だとは思っているけれども、
特に恐れているわけではない。
どこまでも続く火花の連なりの、
ある瞬間を自分は担っただけなのだと考えれば、
そういうものだろうと受け入れられるし、
たとえ僕がこの世界から消えても、
その先にも火花は続いていくのだから、
個別の死は死でないと言えるような気がするのだ。

それに、僕たち人間は、
ただ生命の容れ物として火花をつなぐだけではない。
朧げなその火花の揺らめきは、
人の記憶の中に何かを残し、
あるいは言葉を残し、思想や文化をつないでいく。
火花として生命をつなぎながら、
同時に火花を超えたものを残していく。
もちろん、いいものだけを残すわけじゃない。
ときには悪いものだって残してしまうだろう。

今の僕にわかっているのは、ここに自分がいることと、
いずれは僕の火花も消えることだけで、
何を残すのかはわからないし、
何かを残したいわけでもない。
残るものが残って、残らないものは残らない。
きっとそれだけのことだ。

漆黒の中で散る火花は、
ただ生まれ、つながり、消えていく。
それが僕たちの全てだ。

生きること。つなぐこと。死ぬこと。

だから、ほんとうに考えるべきなのは、
その三つだけでいいのだと僕も思う。
それ以外のことは、
揺らめきが創り出した陽炎に過ぎないのだから。


浅生鴨のプロフィール

浅生鴨(あそう・かも)

1971年神戸市生れ。作家、広告企画制作者。
大手ゲーム会社、レコード会社などに勤務し、
企画開発やディレクターなどを担当。
その後、さまざまな業種を経てNHKに勤務し、
番組を制作する一方、「NHK_PR1号」として
NHK公式アカウントの「中の人」を担当。
現在はNHKを退職し、主に執筆活動に注力している。
最新作は自身の「妄想癖」を実用的に解説した
『だから僕は、ググらない』。
ほかの著書に『アグニオン』『猫たちの色メガネ』
『伴走者』『どこでもない場所』や
さまざまな媒体に書いた原稿を自費出版した
『雑文御免』『うっかり失敬』。
自身が編集長を努めた同人誌に『異人と同人』
『異人と同人II 雨は五分後にやんで』がある。

Twitter:@aso_kamo