

こんにちは。
糸井重里の1年分のことばからつくる本、
小さいことばシリーズの編集を担当している
ほぼ日の永田泰大です。
9月1日、シリーズ最新作となる
『かならず先に好きになるどうぶつ。』が出ます。
その原稿を10人に読んでもらい、
こんなお願いをしました。
「好きなことばをひとつ選んで、
自由になにか書いてください。」
さて、誰がどんなことばを選ぶのだろう。
古賀史健が選んだイトイのことば。
聞かれるたびに、「平常運転中」を強調しているが、
平気のこころのどこかに、穴が空いているらしい。
なにかの拍子に、犬のことを思い出して、
かわいくてしょうがないという気持ちがあふれてくる。
それにつられて泣きたくなったりもして、
これは困ったなぁと思ううちに泣き出す。
他人事のように、それを見ているじぶんもいるので、
なにやってんだよと笑いたいことでもある。
悲しいのでもない、さみしいに近いのだけれど、
泣き出したいことの原因は「かわいい」なのだ。
かわいくてかわいくて、こころが痛い。
妙な気持ちだなぁ、こういうのははじめてだ。
やっぱり恋みたいなものなのだろうか。
つまり、これはのろけであるのか。
(糸井重里 『かならず先に好きになるどうぶつ。』より)
あこがれる力
古賀史健
あこがれる人。
もしも「糸井重里ってどんな人?」と訊かれたら、
ぼくはそう答えるんじゃないかと思う。
糸井さんはいつも誰かをあこがれ、
なにかにあこがれている。
「いいなあ」と誰かを見上げ、頬をゆるめている。
そして思うだけではなく、
その記憶をちゃんと自分のなかに残し、
多くの場合実践する。
2018年の糸井さんのことばが集められたこの本のなかには、
愛犬ブイヨンの話がたくさん出てくる。
いなくなったブイヨンへの思いを、
糸井さんは包み隠すこともなく書いている。
「かなしくなるから書かない」も、
「心配かけるから書かない」もありえたはずだけれど、書く。
その背景にはきっと、
荒木経惟さんへの「いいなあ」があったのだと思う。
奥さま(陽子さん)が亡くなられたあと、
荒木さんを心配した仲間たちが
「荒木さんを励ます会」めいたものを開いたのだそうだ。
そしてその会のおわり、挨拶に立った荒木さんは
「俺はいま、せっかくいい感じで悲しんでんだから、
励まさないでくれ。もうしばらく、このままで行きたいから」
と語ったのだという。
そしてこのことばに糸井さんは、
ものすごく感心したのだという
(荒木さん。)。
忘れようとするのでもなく、から元気を装うのでもなく、
絶望するのでもなく、いい感じに悲しむ。
その感覚を、悲しみのなかにいる自分を、じっくり味わう。
訥々と「ブイヨンのいない今日」を書き続ける糸井さんは、
まさにあの「いいなあ」を実践されているように映った。
そして、あこがれをなぞりながら糸井さんは、
自分だけの答えを発見する。
「悲しいのでもない、さみしいに近いのだけれど、
泣き出したいことの原因は『かわいい』なのだ。
かわいくてかわいくて、こころが痛い」と。
あこがれからはじまって、
自分にしか見えない「ほんとう」をつかむ。
ぼくはいま、どれだけの人にあこがれているだろうか。
あこがれたとして、どれだけ自分もそうあろうと
輪郭をなぞっているだろうか。
あこがれることをやめたとき、人は成長をやめてしまう。
糸井さんは今日も、誰かにあこがれている。
「いいなあ」とうなずいている。
そんな糸井さんの「あこがれる力」に、
ぼくはあこがれてしまうのだ。
古賀史健(こが・ふみたけ)
1973年福岡県生まれ。
ライター、株式会社バトンズ代表。
主な著書に『嫌われる勇気』
『幸せになる勇気』(共著・岸見一郎)、
『20歳の自分に受けさせたい文章講義』、
糸井重里の半生をまとめた
『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』など。
構成を担当した本に『ゼロ』(著・堀江貴文)など、
約90冊があり、累計600万部を数える。
2014年「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。
Twitter:@fumiken
note:https://note.com/fumiken