糸井重里
・どんだけ「やりかけ」の仕事が多いんだろう。
あんまり追い詰めずに「やりかけ」のことを、
それなりにやっていくというのは、
いままでもずっと同じで、ぼくのくせみたいなものだ。
それにしても、「やりかけ」が多いものだ。
仕事に関係したことばかりではない。
読みたいと思って近くに置いてある本は、
いくらでも溜まっていく。
当家の「見えざる手」が別の場所に、
まとめて移動させてくださっているようだが、
それでできた「近く」にはまた本が溜まっていく。
サブスクのドラマだって、みんな見たいよ、ほんとは。
しかし、「視聴中」で止まっているものや、
「マイリスト」に控えているものばかりが溜まっていく。
幸い、イベントなどについては、
予約というめんどくさい制度があるおかげで、
その日によっぽど都合がわるくならないかぎり行く。
そういう意味では、これについては「やりかけ」がない。
なにかを食べようとかについては、
よっぽど予約の必要なものは別にして、
ラーメンとかについては情報ばかりが溜まっていく。
ぼくはBS-TBSの『ラーメンを食べる。』が大好きなのだ。
人に会うことについては、年を取ったものだから、
「もう会えないかもしれない」と考えるようにしている。
言ってはわるいが、相手についても、だけれど、
「おれにも会えなくなるぞ」となるべく思うことにした。
でも、いつでもだれにでも会うわけにもいかないから、
これだって、ずっと溜まっているのだ。
しかし、よくよく考えてみたら、
「死ぬまでにちょうどよく終わる」ことなんてありえない。
人間、生まれたときから死ぬまで、
ずっと「やりかけ」に決まってるじゃないか、なのだ。
「やりかけ」がいっぱいあるというのは、
欲深いということなのか、必死で生きているというのか、
ぜんぜん悪いことじゃないな、とても疲れるんだけど。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
しかし締めが「とても疲れるんだけど」で終わってた(笑)。