糸井重里
・盆も暮れも正月もなく、「やるやつ」はやってるよなぁ。
いやいや、清水ミチコさまのことを言ってるんじゃなくて、
清水ミチコさまも含んで、いろんな「やるやつ」のこと。
いろいろ見るもの、読むもの、汁ものじゃなくて知るもの、
いちいち、「やるなぁ」と思ってばかりだよ。
たぶん、休みだから、目の前の仕事をしてないから、
いろんな「やってる」ものが、いちいち気になるんだね。
おもしろいのに見てなかったドラマは無限にあるよ。
読んだらおもしろいのに、読んでない本だらけだよ。
そして、いまも、「やるやつ」がなにかやってるんだよね。
どんどんやってるんだよね、いまこのときも。
ほんとに、すごいよ、おれも「やりたい」と思うよ。
若いときは、こういう気持ちを嫉妬だと思ってたんだけど、
ちがうね、嫉妬というより、挑発されてる感覚がある。
いつのまにか、ぼくもだけど、時代が社会が、
「やるやつ」よりも「みるやつ」ばかりになっていたよね。
そうなんだよ、ぼくが野球ファンだっていうのも、
野球を観戦したり、選手たちの「やってる」野球について、
考えたり感情を動かしたりしているだけでしょう。
なにかと、そういうことばかりになってるよね。
「やるやつ」を鑑賞したり、「やるやつ」を推したり、
「やるやつ」を競争させて勝ち負けを争ったりね。
仕組みとしては競走馬と馬券を買ってる人みたいな関係が、
ほとんどになってるんじゃないかな。
真剣に予想したり、えらそうに評論したりはするけれど、
馬でも騎手でもないからじぶんは走らないんだよ、絶対に。
アイドルたちだって、ほんっとにすごいと思うよ。
じぶんがイケメンだったらあのまねができるか、と、
無駄に問いかけてもいいんじゃないかなぁ。
だけど、現実には「やるやつ」がちゃんといるんだよね。
じぶんは、どこで、なにを「やるやつ」なのか。
踊る阿呆の側に立てるのか、正月だから考えようや。
「みるやつ」の愉しみは、むろんやっていてもいいけど、
じぶんが「やるやつ」として、なにかをしていたいよね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「やるやつは、やってるのよ」と、かつて矢沢永吉は言った。