ITOI
ダーリンコラム

<ぼくなりの原爆・負からはじまる人類史>

何度か、ぼくは「ほぼ日」で
『夕凪の街桜の国』というマンガについて、
ことば少なめに紹介してきた。
たくさんのことばを用いて紹介するほうが、
たくさんの人に理解してもらえる可能性は
あったかもしれないのだけれど、
このマンガそのものが「少なめ」のことばで、
描かれていることを大事にするべきだと思って、
ぼくもそれにならったのかもしれない。

だが、そういう意図なくても、
ぼくは原爆について、多くを語れないと思う。
いや、多くどころか、ある時期から、
ぼくは原爆のことをほとんど
語らないようにして生きてきたように思うのだ。

それにしては、ここでこうして
ぼくなりに「原爆」について書こうと思った
そのきっかけこそが『夕凪の街桜の国』だった。
このマンガは、描かれた内容の他にもうひとつ、
広島出身のマンガ家である作者が
「語れることを語る」という道を
発見する物語でもあったと、
ぼくは感じた。

このマンガの帯には、
「まだ名前のついていない感情が
 あなたの心の深い所を突き刺します」とある。
その「新しい感情」について、
これが正解だ、というようなことは書いてない。
ぼくは、それを、
誰もが「語れることを語る」と知ったよろこび
なのではないかと思った。

少なくなら語れる、嘘をつかずに語れる。
それは、語ることができない苦しさにくらべて、
ずいぶんとぼくを楽にしてくれた。

原爆を語れない、と思っていること、
そのことがいけないと言う人もいるかもしれない。
もちろん、いろいろなものごとを知らない若いときなら、
語りようはあったかもしれない。
そういうことは、原爆ばかりでなく、
恋愛についてだって正義についてだって同じで、
年をとるにつれて口数が少なくなることは多くなる。
でも、実は原爆については、さらに語りにくかったのだ。

乏しい知識のなかにある原爆の悲惨は、
あらゆる楽しみを奪い取るくらいの
大きさと強さを持っているように思える。
ありとあらゆる場面で、人々を沈黙させてしまうくらいの
禁断のことばのようにさえ思えたものだった。

それを語るには資格があるようにも思われた。
軽く口にしたら罰が当たるようにも感じていた。
だから、なんだかご都合主義的に、
夏の季語のように原爆を語るマスコミに対して、
過剰なまでに反発もしていた。

語らないための理屈は、そんなになくて、
語るべきだという理由は、いくらでも世の中にあったが、
とにかく、ぼく個人については、
原爆を語れるような者ではないと考えていた。

ぼくのそういった、原爆へのタブー意識が、
どのへんから来ているのかは、よくはわからないが、
小学校時代にこんなことがあった。

学校の図書室の、
子どもたちにあんまり人気のない本棚から、
誰だったか、けっこうなやんちゃ坊主の同級生が、
原爆の被害をテーマにした写真集を取り出してきた。
そこには、ふだん目にするはずもないような悲惨が、
遠慮会釈もなく写っていた。
小学生たちが、怖いし気持ちがわるい、と感じるものが、
重たいモノクロームの写真集のなかに詰まっていた。
唐突に発見された「事件」のような本に、
ぼくらは群がった。
ぼくは、野次馬として写真を見るのだけれど、
なんとなく、これを見てよいものなのだろうか、
と思ってもいた。
真っ黒になった人間の死体が、
「すげぇぞすげぇぞ」などというガキ共の声のなかで
見せ物にされてよいのだろうか、という
わりあいにふつうのことを思ったのかもしれない。
また、原爆の被害に合った人々が、
爆弾のせいで衣服をどうにかされてしまい、
黒く焦げてはいるが、全裸になっていたというところに、
性的なタブー意識が働いたのかもしれなかった。

いかにも、見てはいけなそうな写真集を、
心臓をばくばく言わせながら見ていた小さな群衆は、
やがて、その現場を先生に見つかって
ひどく怒られることになった。
叱りつける先生の話した内容は、わからなかった。
たぶん、だけれど、
悪ふざけしているように原爆の被害を見つめる
小学生の馬鹿野郎たちに対しての
「ふざけるな、ガキ共!」という感情が
先に立っていたのではなかったかと、いまは思う。

好奇心というものの、無礼な側面を、
先生は激しく叩いてくれたのだった。

悪いことかもしれないと知りつつ、
その写真集を取り囲む野次馬のひとりをやっていたぼくは、
ほんとうに意気消沈した。
衝撃的な写真を見たせいと、
激しく叱られたこととが重なって、
その日の夜は、食事がとれなかったのも憶えている。

ぼくの原爆へのタブー意識は、
ここから始まっているのかもしれない。
そして、たぶん、ここから進んでなかったとも言えるのだ。

あだやおろそかに語ってはいけないもの。
それを口にしたら、すべての人が黙らざるを得ないもの。
そんなふうな存在として、原爆は、ぼくのなかにあった。

ただ、処理や加工をすることで、
原爆は、語りやすくなるということもあった。
『ゴジラ』という映画は、核実験がテーマだったが、
広島や長崎の悲惨を想起させるようには
つくられてなかった。
『太陽を盗んだ男』という映画も、
原爆をつくる教師が主人公だったけれど、
その物語での原爆は
「爆発するはずのない原爆」として
観客たちに想像されながら、進行するものだった。
いつのまにか、報道の場面でも、
原爆だとか水爆だということばは、
核兵器という単語に置き換えられるようなっていた。
原爆と核兵器は同じものなのかもしれないが、
広島や長崎に実際に落とされたのは、
核兵器というような観念的なものではなくて、
原子爆弾と呼ばれる具体的な爆弾だったはずだ。

原爆ということばには、広島と長崎の
具体的な被害のイメージがついてまわらざるをえない。
そのイメージをないことにしたら、
核だの核兵器だのについて、かなり語りやすくなる。
しかし、核兵器とは原爆の言い換えだ。
そして、原爆とはあの広島、あの長崎の、
具体的な被害を生み出したものなのだ。
いまでも続いている被害を生み出した
とんでもない爆弾のことなのだ。

うすうすと、それくらいのことは思っていた。
広島で、球場から近くにある平和記念公園にも行った。
原爆に関わる建物の跡や、さまざまな展示物も見た。
しかし、どこかで小学校時代の図書室が
思い出されてしまうのだった。
原爆の被害については、理性的に見なければならない、
というようなルールを、無意識で設定していた。
自分のなかの「感情」を封じながら
見たり考えたりしていたような気がする。
「感情」は、どこへ行くかわからない。
とにかく、ふだんは最大限に発揮している
「好奇心」というやつを、眠らせておく必要がある。
つまり不自由に接することしかしてこなかったのだった。

それでも、それなりに、
自分のところに飛び込んでくる「新しい情報」は、
少しずつだけれども、増えてはいた。
「戦争を早く終わらせるために原爆を落とした」と、
落とした側の政治をやっていた人間は言うけれど、
肌の色が同じ人間に対してだったら、
同じことをしただろうか、という意見を耳にしたときは、
なにか目が覚めたような気がした。
白い肌の人間が、黄色い肌の人間に対してだったから、
あんなことができたのだ、という考え方は、
聞きにくいけれど、こころの深いところに響いた。

現在の戦争では、精密爆撃という方法で、
軍事施設や戦闘に関わる空間を爆撃するが、
基本的に、民間の施設や民間の人々に対しての攻撃は
行われないことになっている。
だから、時々、軍事施設でない病院などを誤爆したとかいう
ニュースが、大々的に報じられたりする。
しかし、この原爆の使われた戦争では、
日本中の都市が、絨毯爆撃という
軍隊も民間人も関係なしの無差別攻撃にさらされた。
ある地域に、絨毯を敷くようにもらさず爆撃する。
そういったかたちの大量殺戮は、攻撃する側も、
たぶんされる側も、その当時の戦争の常識として、
実行されるようになっていたのだった。

あの貿易センタービルにハイジャックされた飛行機が
突っ込んでいった「9・11」と呼ばれる事件も、
民間施設に対しての無差別テロである、ということで
国際的に糾弾されるけれど、
その半世紀前の日本では
「絨毯が敷かれるように爆撃」されていたのだった。

その延長線上に、
とんでもなく「よく効く」新型爆弾があったというわけだ。

たしかに、原爆は、よく効いたと言えるだろう。
しかし、こんなものを落とせるほど、
人間というのは何も見えてない動物なのだ。

そんなふうなことは、知っていった。
逆に言えば、それくらいしか知らないままで、
『夕凪の街桜の国』を読んだのだった。

このマンガのなかに、原爆についての
たくさんの情報が入っているというわけではないのだ。
しかし、ぼくは、このマンガを読み終えたら、
原爆を「感じた」ような気がしたのだ。
知性でしか触れてはいけなかった、
「好奇心」をはじめとする感情で扱ってはいけないように
自分に言い聞かせていた原爆が、
ずーんと胸に響き渡ったのだった。

そして、そのせいでわかったこと。
それは、原爆というやつは、
人類史のある意味もっとも大きな事件だったということだ。
とんでもなく、とんでもないもの。
人間が、類としてはじめて知った自殺行為。
ありうることのなかで、
いちばん、あってはならないことを、
人類が実際にやっちまったということだった。

そして、ぼくらのいる日本という島国は、
8月6日の「あってはならないこと」を、
新しいスタートにして生まれたたったひとつの国だ。
ぼくは、直接、間接に、原爆の被害を受けた人たちに
無礼にならぬようにではあるけれど、
好奇心までをも含めた感情を封じないで、
原爆について考えたり思ったりしようと決めた。

そういえば、岡本太郎の『明日の神話』も、
原爆に負けない人類をイメージして描いたものだという。
ぼくらは、歴史のなかのとんでもない一点を
身近に感じられる人間として、生きる時代にいるのだ。

1945年8月6日に、あってはならないことがあって。
その瞬間から、負からはじまる人類史が、
スタートしたのだった。
これを、ただ悲しむのではなく、肝に銘じます。

これを「終戦記念日」である8月15日に掲載するのも、
なんだかへんに感じられるかもしれないが、
ぼくは8月15日よりも、8月6日のほうが、
人間全体にとって、とんでもなく重要な日付だと、
思うようになった。



原田芳雄さんが幽霊のお父さんを演じ、
宮沢りえちゃんが主演する『父と暮せば』という映画を、
DVDで見ました。
設定は、『夕凪の街桜の国』にとても近いものです。
生き残ってしまった人の負い目が、描き表されます。
せりふが素晴しいなと思ったら、
原作が井上ひさしさんでした。
何度も何度も大泣きしながら見ました。
ものすごくいいです。

プレミアム・エディション版のほうには、
特典ディスクがついていますが、ぼくには、
これは見ないで映画本編だけのほうがよかったな。

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2005-08-15-MON

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