ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

歌のなかのまぼろしの「おまえ」というひと。

このところ、ここでは、
歌のことについて書くことが多かったけれど、
もうちょっと、続けてみようかと思う。

恋の歌、たくさんあるんだけれど、
「おまえがいてくれてよかった」
という内容のもの、けっこうあるわけさ。
貧しかったりね、
社会に受け入れられなかったり、
後ろ指さされるような立場になったり、
とにかく、他になんにもいいことがない人間に、
「おまえ」がいてくれたという歌があるんだな。

松尾和子の歌った『再会』なんて、
刑務所にいる人を思う歌だったりもするわけで、
いまの時代だったら、どう受けとめられるのかしらん。

なんにもないけど、愛し愛されるひとがいる。
これはね、なんとも魅力的なシチュエーションだよ。
幾億千万を敵にしようと、
たったひとりおまえがいてくれる。
古典的な舞台の世界なんかだったら、
いわば「道行きもの」「心中もの」ということか。

これ、「つらい歌」みたいに歌われるんだけれど、
思えば、ものすごく「うらやまれる歌」なんだよね。
愛し愛される、しかも、信じ信じられる人なんて、
そうそう「いる」とは言えないわけだよ、人間って。
でも、この種類の歌のなかには存在するんだな。
しかも、その「おまえ」というの人は、
幾兆幾億幾千万の敵や災難が襲いかかろうと、
裏切らないことはもちろん、逃げもしないし、
たじろぎもみじろぎもせずに、
主人公を愛し信じ続けてくれるんだ。

実は、これ、愛のユートピアの歌なんだよね。
よくある愛の歌なんかじゃ、ぜんぜんない。
ユートピア、理想郷の歌なんだ、実はね。
貧しさやら、冷たい世間への憎しみやらで、
世界に「汚し」をかけているから気づきにくいけど、
最高に理想主義的な内容なんだな。

ふんだりけったりの状況にいる男(女でもいいけど)は、
たいていの場合、というか、ほとんどすべてのケースで、
愛し、信じてくれる「おまえ」なんか、いないの。

「ボニー&クライド」だとか「シド&ナンシー」とか、
社会的にワルと言われるような男女の組み合わせも、
よくドラマになるんだけれど、
それはそれで、めずらしいユートピアを描いているから、
おもしろいんだよな。

ついてないやつ、悪いやつと思われてるやつ、
出た目出た目が不幸につながるやつ、
ここには、「おまえ」はいないんだよなぁ。
だから、まぼろしの「おまえ」のことや、
もしかしたら「おまえ」になってくれるかもしれない
異性のことを思って、目を閉じて歌うわけだよ。
どんなにつらいときでも、おまえがいてくれる‥‥
という歌をね。

歌は、いい意味でも、よく効くモルヒネさ。
痛みもつらさも、いっとき忘れさせてくれる。
忘れているうちに、自然治癒することもあるからね。

まぼろしの「おまえ」は、
歌のなかには、永遠に存在するんだ。

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