ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

ボスの資格。

チンパンジーの集団の
権力争いのドキュメンタリーを見たことがあってさ、
もう、ほんとに人間にそっくりだったんだ。
政権交代みたいなこともあったりね。
ボスにくっつく子分たち同士の嫉妬とか、
ボスの愛人みたいな存在もあるんだよね。
愛人と側近が火花を散らしてたり。

いちど失脚したボスが、退却して、
近くの山の上からじーっと観察しているんだよね。
で、新ボスの立場が揺るいできたタイミングで、
復活を狙って、帰ってきたりするんだ。

まるっきり人間の話みたいでしょ。
でも、チンパンジーの世界の物語なわけだ。

さて、ここでテーマなんだ。
ボスとか、ボスのライバルだとか、
つまり頂点に立つチンパンジーっていうのは、
どうやって決められるか?
選挙とかないからね、チンパンジーには。

身体がでかい、という答えは、けっこういいかもしれない。
おそらくでかいチンパンジーのほうが有利だと思う。
けんかというか、格闘みたいなことで決まる?
そういうことでもないんだなぁ‥‥不正解。
かといって、知恵比べだとかね、
問答みたいなこともチンパンジーはやらない。

これがね、わけわからない「パフォーマンス」なんだ。
ものすごい勢いで急に走りだしたり、
ジャンプして木の枝にぶらさがってゆさゆさ揺らしたり、
木の幹に体当たりして葉っぱを落としたり、
いちばんメインは、そこらへんの岩を
ぐわしっとつかみ次々に持ち上げ、
川面に向かってぼっかんぼっかん投げ入れる!
すごい速さ、憑かれたような真剣さ‥‥たしかに、
たしかに迫力はある。
水しぶきが大きく上がるほど、
「すごい」らしい。

周囲のチンパンジーは、もう、
憧れの目で見ちゃうわけ。
水しぶきがバッチャーンバッチャーン、
興奮してひたすらに岩を投げ入れるボス候補‥‥。
こういう感じで、みんなに認められるんだなぁ。

おもしろいと思った。
殴るだの蹴るだのっていうけんかじゃないんだ。
「すごい」ところを目に見えるようにする、
というようなことだと思うんだ。
いや、もちろんそのせいでボスになった後の、
地位にいるものとしての態度とか威厳とか、
さまざまな要素はあるんだろうと思うけれど、
ボスになる資格を得るのは、
「ゆさゆさ」だの「バッチャーン!」なのだ。

このドキュメンタリーを見たのが、
ふた昔も前のことだったので、
「チンパンジーって、おもしろいなぁ」
と思ってたのだけれど、
この頃では、人間とどこがちがうんだろうと感じる。

人間のボスって、どう決まるの?
武闘の強さでは決まってない。
パワーの圧縮された「金」の量というのは、
相当に強いけれど、それだけではないだろう。
見た目のよさ、というのも点数高そうだけれど、
これもそれだけじゃ足りない感じ。
頭のよさっていうのも、ボスの資格としては足りない。

じっくり考えていくと、
人間の社会でも、
ボスになる資格を得るのは、
「ゆさゆさ」だの「バッチャーン!」なのではなかろうか。
いや、象徴としての「ゆさゆさ」や「バッチャーン!」ね。

矢沢永吉のステージとか見てたらわかるよ。
あれは表現として完成されているけれど、
バッチャーンバッチャーンのゆーさゆさなんだ。
だから、ボスって言われてきたんだ、きっと。
静かに見えるボスっていうのもいるけれど、
おそらくそれは、
「ゆさゆさ」や「バッチャーン!」を隠し持ってることを
匂わせる静かさなんじゃないかなー。

男たちがさ、やたらにでかい声を出したり、
大げさなふるまいや自慢をしたり、
さまざまな虚勢を張ったりするのって、
彼らなりの「ボス立候補」なのかもしれない。
ほとんどの男のパフォーマンスってのは、
「ゆさゆさ」や「バッチャーン!」なんだよ、きっと。
でも、表現力の優劣ってものがあるんだろうな。
水しぶきの高さとか、量とかね。

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