ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

モデル=模型の時代。

(あ、はじめて「ですます」で書いちゃった)

どこから、どういうわけでそうなったのか、
ぼくは、ものごとを
「野球」に置きかえて考えるくせがあります。
いろんな状況を、
「これは野球で言えば、どういうことか?」
と、すぐに考えたがります。

なんででしょうねぇ、
思考の「野球モデル」というようなものが、
いつからか出来はじめて、
それが試され、磨かれ、育てられていって、
どんどん「世界まるごと」に似ていったのでしょう。

ぼくの場合は、いろんなケースで、
「野球モデル」を使うことが多いのですが、
これは、「野球モデル」を使うくせのある人間には、
とても通じやすいのです。
ただ、ぼく自身がオトナになってきたせいで、
やっとわかったことなのですが、
「野球モデル」を使った説明は、
「野球」を知らない人には、まったく通じません。

他に、よくあるのが、
「囲碁モデル」とか「将棋モデル」、
また「麻雀モデル」を使っている人たちです。

「野球モデル」の場合もそうですが、
「囲碁」でも「将棋」でも「麻雀」でも、
「世界」のいろいろに似せて
ルールや遊び方をつくってきたものでしょうから、
ゲームが世界に似ていくというのは、
思えば当たり前のことかもしれないです。

「野球モデル」の使えない場面で、
あんがい使えるのが「恋愛モデル」です。
理屈じゃないところが重要になるなんてことが、
わかりやすく言えるのは、「恋愛モデル」ですね。
「ああ、わかるわかる」というところで、
図でも模型でも想像してもらって、
「じゃ、この彼は、どう出るだろう」
なんて考えれば、いろんな話が通じやすかったりする。

「戦争モデル」を好む人もけっこういます。
奪い合い、つぶし合いの状況では、
この「戦争モデル」は、かなり説得力があります。
「ほら、ここにスキがあるから、ボッカーン!」
なんて説明は、なかなか身に沁みてきそうです。

「物語モデル」というのもあるかもしれません。
「寓話」だとか、定型的な「ドラマ」というのは、
もともとが世界を説明するために
考え出されたようなものなのですが、
その「物語モデル」を使ってものを考えるのです。
これについては、
「物語」の源流をどんどん遡っていって、
古代の「神話」のなかに、
ほとんどの「物語モデル」の「モデル」がある、
という考えなんかもあるみたいです。
そうかもしれない、そんな気がします。

「人物モデル」というのもありますね。
「坂本龍馬は、こういう場合にどうしたか」
というふうな思考は、けっこうよくありそうです。
ひとりの「モデル」になる人物の、
まるごとが「モデル」ですから、
極言すれば鼻くそのほじくり方さえも、
それにならえば、「モデル」に近づくと思う人もいます。
「英雄色を好むですからね」と言いたがる人に、
ぼくは何人も会ってきました。
その人たちは、あんまり英雄らしくはなかったけれど、
色を好むということについては、よく努力していました。

「宗教モデル」も、あります。
これは、その「宗教」に関わる先人たちが、
懸命に「世界のモデル」を完成させてきたのですから、
かなり魅力的で使い勝手のいい「モデル」です。

かつて、ある時代が、
「カタログ」の時代と言われました。
そしてその後、「マニュアルの時代」というやつが
やってきたような気がします。
そして、いつごろからか、
ぼくは「モデルの時代」になっているように思います。

「あのモデルが使っているサングラスがほしい」
というような流行も、
カタログでもマニュアルでもなく、
モデルによるものでしょう。
あちこち見渡すと、
そういうことがとても多くなってると思いませんか。

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