ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

呼吸が好き。

あのさ。
このごろ思ってることね。

「呼吸」というものが、とても大事だということは
うすうすわかっていたんだけどね。

ヨガの呼吸がどうだとか、丹田呼吸法だとか、
興味半分で知ろうとしたこともあったよ。

ぜんそくで苦しんでいるときにはさ、
呼吸を「意識的にする」ということが、
どれだけつらいことか身をもって知ったなぁ。
ふつう、呼吸っていうのは無意識にやってるんだよ。
吸って吐いてなんて、いちいち意識してたら、
他のことなんかできないよ。
なんつったって、眠っているときでも呼吸してるだろ。
マンガ読んでたってうんこしてたって、
呼吸なんてついでみたいにさ、
知らないうちにしているものだ。
それがね、ぜんそくの発作がでるときにはさ、
吸うぞって思って、吸う。
さぁ吐くぞと考えて、吐くんだ。
しかも、思った分量の息の半分にも足りないわけ。
苦しいよー、ぜんそくは。

そんなふうなじぶんの身体的な事情もあったのか、
ずっと呼吸のことは、気にしてきたんだよね。

で、このごろまた、
個人的に、呼吸について考える機会が
急に多くなっているようなんだ。

まず、犬を見てることが多いからさ。
しかもうちの犬、筋肉質で、短毛だから、
ボディのありようが、よくわかるんだよ。
だから、犬のからだを見ながら、
「へー」と思ったりすることもあるよ。
それで、やっぱり驚くのは、あばら骨の大きさなんだ。

いや、人体でもそうだとは思うんだ。
あばら骨というのはでかい。
でもね、ちょっととんでもなくでかいんだ、
うちの犬のあばら骨って。

それは、つまりは肺が大きいということだろう。
その他の内臓というのは、血液とかを媒介にして、
さまざまな成分というか、要素を運んでいるから、
もっとコンパクトなんだよね。
でも、肺ってのは、空気をとり入れてるんだ。
空気ってのは、体積ばかりだからね。
酸素をとり入れるのに、
ずいぶんたくさんの空気吸わなきゃならない。
しかも、活動の結果ゴミとして出てくる
二酸化炭素を捨てるためにも、
たくさんの空気を吐かなきゃならないんだよね。

これをひっきりなしにやらなきゃ生きられない。
たいへんだよ、生きものやってくのは、わはは。
どんだけでっかい臓器が必要なんだよ、呼吸のために。
いやいや、それほど重要なのが呼吸だということだ。
他の臓器が大事じゃないとは言いませんけどね、
呼吸のために、陸上の生きもののからだというのは、
相当なコストを払っているんだなぁ、と思ったんだ。
「人生のほとんどは、呼吸に費やしている」なんてさ、
名言めかして書いたら、ちょっとうけるよね。
意外なようで、ほんとだもん。

もうひとつ、犬の話になっちゃうけど、
悪いねぇ、がまんしてね。

最近、うちの犬がさ、でかい犬に脅かされたせいか、
それとも寒いせいなのか、
ときどきぶるぶると震えることがあったんだ。
そしたら、うちのカミさんがさ、
テレビで見たという人間の出産のときにする
「ラマーズ法」とかって呼吸法を思い出してね、
すうだのはぁだのって、
じぶんの呼吸と犬の呼吸とを、合わせるんだよ。
じぶんの呼吸と犬の呼吸とを合わせるなんて、
犬のほうは「そうしましょう」って言うわけじゃないから、
リクツでいえば、どうすりゃいいのかわからないけど、
どういうわけか、合うらしいんだよね。
で、震えが止まるんだっていうんだ。
ここでも、呼吸ってのはおもしろいなぁと思ったね。

その次は、また吉本隆明さんの『芸術言語論』について
考えていて思ったことなんだ。
この核になる
「言葉の幹と根は、沈黙である」という考えを、
いろんなことに当てはめては考えているんだ。

ここでも、呼吸に関係ずけて考えたくなるんだよね。
赤ん坊が、少しずつことばをしゃべれるようになるって、
もう奇跡的と思えるくらいすごいことだよね。
一音節ごとに、
口やのどの筋肉を、ものすごく微妙にあやつって、
しかも分節ごとに、
次の音節につながるようにしゃべるだろう。
コンピューターのあやつるしゃべりって、
音節と音節が、ちゃんとつながってないよね。
「み・ぎ・に・ま・が・り・ま・す」を、
なめらかふうに発してるだけだよね。
でも、人間の赤ん坊はちがうよ。
「ママ」だもん、「パパ」だもん。
「マ・マ」でも「パ・パ」でもなくね。

赤ん坊が、沈黙のままではなく、
ことばをしゃべりはじめるときの、
ものすごい「苦労」について想像していたら、
ま、みんながやってきたことなんだけどさ、
人類のことばの発達の歴史が、
決して短い時間じゃなかったんだろうなぁってね、
感心しちゃったよ。

や、で、さ、
ことばをしゃべるというのは、
じぶんからあえて呼吸を乱すということでもあるんだね。
沈黙のままであたら、呼吸は乱れないんだ。
でも、ことばをしゃべっているときってのは、
息を吐き続けたり、とんでもないタイミングで吸ったり、
ものすごく不規則な呼吸になっているはずだ。
これって、すっごい無理をしていることだろ?
そんな無理をしながら、人はことばを話している。
そして、そんな無理ができるような呼吸法を、
ほとんどの人間が、赤ん坊のうちから、
もう身につけちゃっているんだよなぁ。
すごいなぁ、と、ね。
しみじみしちゃったわけだ。

芝居のせりふで、人々が感動しちゃうのだとか、
歌を聴いて胸が震えちゃうのだとかについても、
これまで「発声」ということでしか
考えてこなかったんだけれど、
「発声」に「呼吸」を組み合わせた考え方でないと、
ちゃんととらえられないんじゃないかと、
いまさら気づきもしたよ。
これ、極端に言えばさ、
ことばとして意味をなさないただの音や、無音などでも、
呼吸だけで人を感動させられるかもしれない
ってことがあるんじゃないかってことなんだよね。
まさか、と思ってる人もいそうだなぁ。
じゃ、しょうがないから言うけどさ、
異性のエロティックな呼吸音を聴いて、
「意味がないから感情が揺さぶられない」って言えるか?
そこから想像したら、わかると思うんだよね。
呼吸だけで、人を感動させることは、たぶん可能だよ。

まだ、うまく言えないけれど、
呼吸について思ったり感じたりしていることは、
他にもいっぱいあるんだよね。

「速読」というやつは、
「黙読」という「無音の音読」にくらべて、
からだに感じさせる何かが足りないのでないかとかさ。
武田鉄矢さんが言ってた
「声のいい男はモテる」という法則だとかさ。
みんな呼吸と関係したことだと思うんだ。

人間って、食いものを断たれてもしばらく生きられる。
でも、呼吸を断たれたら、10分生きるのもむつかしい。
それほどたいへんなコストとリスクのかかった
「呼吸」というものについて、
「いや、無意識でだれでもできてるし」なんて言ってちゃ
もうしわけないような気がするんだよね。
これ、元ぜんそく患者だからこその考えなのかなぁ。
それにしても、
世の中の息苦しさとか、
空気が薄くなってるような感じとか、
精神的にも、呼吸の比喩で語られるようなことが、
ものすごくいっぱいあるよねぇ。

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