ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

諸行無料

なんだか、どうやら「無料」がおもしろくなっている。
「無料」というのは、タダってことだ。
英語ではFREE(おお、自由!)っていうらしいから、
「有料」は不自由ということになる。
そういえば、そうかもしれない。

あらゆるものに所有者が決まっていて、
あらゆるものに値段がついているなんてことが、
完成されちゃった世の中なんて、
人間には合ってないに決まってる。

毎日呼吸している空気は、無料だ。
青空やら雨空やら、空を見るのも無料だ。
海岸に土地の所有者はいるかもしれないけれど、
海を泳ぐのも、たぶん、だいたいは無料だと思う。

惜しいことに、水道から出てくる水は無料じゃない。
山に生える松茸は、山の所有者のもので、無料じゃない。
水が無料じゃないように、
水を下水に流すことも無料じゃない。
自分の足で歩くことは無料だけれど、
あらゆる道が無料というわけではない。

公園のベンチに腰をおろすことは無料だ。
山の紅葉を楽しむことも、まぁ無料だ。
街路樹として植えられた
イチョウの木が落とす銀杏も、無料らしい。
道端のタンポポを食べるなら、それも無料だ。

生きていくことじたいにも、税金というものがあるから、
それは無料と言えないかもしれない。

おかあさんが、赤ん坊に飲ませるおっぱいは無料だ。
おとうさんが、どこかで有料で買ってくる玩具は、
無料で子どもに渡される。
家のなかで食べる食事は、おそらくみんな無料だ。
そういえば、犬が食べるごはんも、無料だった。

誰かが誰かを大事に思う気持は、無料だ。
人々が愛と呼んでいるものは、たぶん、無料のはずだ。
有料の愛もあるのかもしれないけれど、
金額を超えて愛された分については、
無料だとも言えるだろうか。

もともと、星は無料だった。
もともと、生きものは無料だ。
人間も、もちろん無料でつくられた。
歴史も、無料の時代のほうがずっと長いはずだ。
ぼくらの肉体も、無料に慣れている。
だから、無料がけっこう気持いいのかもしれない。

これからは、無料が高くなっていくよー。
しかも、無料がどんどんおもしろくなるんだ。
これは当たろうが当たるまいが、ぼくの予言だ。

関連コンテンツ

今日のおすすめコンテンツ

「ほぼ日刊イトイ新聞」をフォローする