ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

謎のメモから。

ぼくのメモフォルダのなかに、
いつかこの『ダーリンコラム』で
書いてみたいと思ったテーマや、
考え途中のことが記されています。
なかには、書きかけたのだけれどうまく展開できなくて
やめちゃった文章なんかも放りこんであります。

いま、そのメモと名札をつけられたフォルダを、
なんとなく開けて読みはじめていたら、
なんのために書きはじめたのか、
さらには、
これは自分で書いたものなのか、
それともどこかの誰かの文の引用なのかさえも
わからないものが見つかりました。

実際に、書いてある内容については、
ぼくの実際の体験ではないので、
ぼく自身の創作か、
他の人の書いたものか、どちらかなのです。
でも、しゃべりことばのテキストだから、
対談かなんかの引用かもしれないなぁ。
自分が書いたものだとしたら、メモを書くときでも、
1行を27字詰めのファイルを使うのだから、
それに合わせた改行をしていると思うのだけれど、
そこにあるメモは、その改行スタイルじゃないんだよな。
でも、大急ぎのメモをタイピングする場合には、
改行に気をつかわないこともよくあるしなぁ。

そう思いながら、もっとよく読んでいったら、
知識としてぼくの知らないはずの内容が含まれていた。

そうだ。インターネットからのコピーだったら、
その文の一部を検索エンジンに入れてみればいいんだ。
さっそくやってみた。
「メダカ」「一味唐芥子」という2語で
調べられる内容だと思ったので、そう入れた。
‥‥出てこない。
しかし、もう、何度も読んでいるうちに、
自分の文章ではないというほうに、
どんどん確信がわいてきてしまった。
養老孟司さんが言いそうなことのようにも思える。
養老さんの対談集かなんかの抜粋かなぁ。

もしかしたら、誰かがテレビで言ってたことを、
あわてて再現しようとタイプしたのかなぁ。

それともそれとも、「ほぼ日」に届いた
誰かのメールの一部分ということも考えられる。
あ、その可能性はあるなぁ。
でも、メールソフトを検索しても、見つからなかった。
届いたメールは、ある時間が経ったら捨てていくので、
よほど保存しておく必要のあるものでなければ、
なくなっているのは当然だった。

そうだ、ファイルには日付がついているはずだ。
あったあった、変更日ということでいいんだな、
「2008年5月25日23:40」だということがわかった。
5月の24日に、三浦岬のほうにアジ釣りに行って、
船酔いして帰ってきたのだった。
その翌日の日曜日の夜につくったメモなのかぁ。
‥‥ということは、月曜日に掲載する予定の
『ダーリンコラム』の原稿として書きはじめたか、
参考にしようとして記したメモだということになる。

自分で書いたという気がしないのだから、
もう、自分で書いたという考えは消してしまおう。
いくらなんでも、そこまで記憶がないということはない
‥‥と思う。
しかし、文章のなかに出てくる素材は、
いまのぼくの周辺にあるものばかりなのだ。
いまぼくが仕事をしているすぐ後ろの出窓のところに、
メダカの水槽があって、さらに、
そのメダカのエサは、一味唐芥子にそっくりなのだ。
しかも、ぼくは
「こりゃぁ、一味唐芥子だ」と思ったことがある。

しかし、自分で書いたものじゃないと思うし、
引用元も記せないので、
この『メダカと一味唐芥子』というメモの内容を、
ほとんど変えないで箇条書きにしてみます。
(ほんとうは、原文をそのまま貼り付けたいのですが、
 誰が書いたもののかも不明なまま、許可もないので、
 「あらすじ」っぽく箇条書きにしただけです)
・メダカのいる水槽に一味唐芥子をたっぷり入れた。
 
・このことは、驚かれそうだけれど大丈夫なことなのだ。
 
・メダカは、すぐに唐芥子を食べはじめ、
 あっという間に食べつくした。

・水という環境にとって危険な唐芥子を、
 メダカは食べてしまうことで無害化してしまった。
 
・メダカにとって唐芥子は、
 辛くもないただの植物性のエサなのだ。
 
その後、「なるほどなぁ、と妙に感心させられた。」
という感想があるので、やはりこれは、
ただのメモでなく、誰か、ぼくでない人の文章だと思う。

そして、この文は、オチのように、

・数分後、気になっていたのでのぞいたら、
 すべてのメダカが腹を上にして死んでいた。
 
という終わり方をする。
 
うーん。やっぱり、これは
想像の話じゃないような気がする。
事実として、こういう理科的な実験をして、
そのことを誇張も脚色もなく語ったのだろう。

で、ぼくは、この文章に、なにを感じたり、
なにを考えたりしたのだろうか、ということになる。
ここから、なにかを書き出そうとしたのか。
あ、結局書かないでやめたのだから、
書けなかったということなのか‥‥。

どちらにしても、この『メダカと一味唐芥子』という文、
どこかで思い当たる人がおられましたら、
ぜひ、教えてください。
それがはっきりわかったら、あらためて、
お礼を言うなり、
もうしわけございませんでしたと謝るなり、
させていただきます。

いやぁ、メモには日付と、引用の場合は引用元と、
それについての簡単な説明なり感想、くらいは、
書いておかないといけないなぁと、反省しました。

じつは、まだ他にも、
なにがなにやらわからないメモが、
いくつもあるんですよね。

たとえば、
「海水浴に行って、メタボリックなおじさまやら、
失敗した水着のおかあさんやら、まっぱだかのガキやら、
徹夜明けらしい表情のカップルやらに混じって、」
って、これだけ‥‥。
なにを、このあとに続けるつもりだったんだ!
 
たとえば、
「『手鍋下げても』ということばがある。
もともとが昔のことばだから、
実感をこめた意味は計りかねるのだけれど、
せんじつめて言えば、
『鍋ひとつしかないような貧しい暮らしでも』
あなたといっしょに生きていきたい、ということだろう」
あ、これはわかる。
このあとに続けて書きたかったことは、自分にはわかる。
いずれ、続きを書いてみようかとも思った。

こんなの探していると、大掃除のときに、
古新聞を読み込んでる人みたいになっちゃうので、
もう、このへんでやめておきます。

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