ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

うまく言えないなりに。

ほんとは、今回は、別のことを書こうと思っていた。
体調のせいもあるのだけれど、
うまく書けないのでやめることにした。
でも、うまくは書けないけれど、
もったいつけているわけではないので、
どんな内容なのかは、いちおう記しておく。

おおもとは、「マルコによる福音書」の作者が、
「人は自分のことは棚に上げて、
他人の欠点を責めるものである」と書いた部分を、
吉本隆明さんが、講演のなかで
「人間理解として、これだけ言えているのはすごい」
と語っているということだった。
特に、ぼくが感じたおもしろさは、
「人間のなかには、自分のことを棚に上げて
 他人の欠点を責める人間と、
 そうでない人間がいる、
 ということではなく、
 人間というのはすべてそういうものなのだ」
というところだった。
このことは、前にも「ほぼ日」で書いたおぼえがある。

そのことを、任天堂の岩田さんと
雑談しているときに話したら、
さらにふくらませてくれて、
「人は、たいてい、
 自分のいちばんいいところと、
 他人のいちばん悪いところを比べたがるんですよね」
と、またまた使い勝手のいい考え方を出してくれた。

さらに、
「そうやって、自分の優位性を出し合って、
競争してきた結果が、いまの人間
‥‥ということなんでしょうかね」
(ここの部分、岩田さんに本人に確かめないと怪しいので、
あとで修正するかもしれません)
これも、おもしろいなぁと思った。
つまり、この考えは、
「人間というのはすべてそういうものなのだ」という論と、
とてもよく合っている。

ここまでの話が、なんだかとてもおもしろくて、
今度は中沢新一さんと雑談しているときに、
「というようなことを話しててさ」と言ったら、
今度は、またまた、こんな内容が付け加えられた。
「精神分析のはじまりのところも、
 そういうことなんだよね」と。
「へーえ」と、無教養なぼくは身を乗り出すことになる。
「ジャック・ラカンの言ったことなんだけど、
 人間って、自分を見られないから、
 鏡にうつしてとらえるわけだよね。
 それで、鏡にうつる自分っていうのは、かっこいいのよ。
 だけど、現実っていうのは、かっこよくないわけで、
 他人はかっこわるいままの現実だし、
 それと比べる自分は
 鏡のなかのかっこいいやつなんだよね‥‥」
(ここの部分も、中沢さんが言ったみたいに
 ちゃんと言えないので、ごめんごめん)
 
何が言いたかったかと言うと、
最初に書きたかったのは、
大昔の「マルコによる福音書」の作者が持った
ひとつの重要な考え方が、
吉本さんによって語られて、
それがぼくという町の人の雑談に入りこんで、
これにまた、岩田さんという人が自分で考えてきたことに
交差してふくらまされて、
さらに、それが中沢さんによって
もういちど座標をあたえられ、転がり出した‥‥という、
そんなことがおもしろいなぁということだったのだけれど、
どうにも、ちゃんと書けない。
特に、録音していたわけでないので、
他の人がもっとちゃんと言っていて、
ぼくを感心させてくれたことを、
ちゃんと再現できないので、
今回はあきらめようと思ったのだった。

‥‥で、結局、
うまく言えないことは、言わないようにする。
というお話になってしまったのだった。
人が言ったことに、深くうなずいたり、
人が書いたものに感激したり大きく同意したりしても、
「じゃ、それをキミのことばで言ってください」
となると、ほんとに言えることって、
ずいぶん少なくなっちゃうんだよねー。

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