ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

むだ話。ふたつ。

ひとつめ。

じいさまは、言った。

「ほとんどの、人の考えというものには、
 ある特徴がある。
 ほとんどの、人の考えというものは、
 考えているじぶんの、
 生きている理由、
 ますます生きていたほうがいい理由を、
 もっと肯定するために生れてくる。

 じぶんが生きていくために、
 不都合な人や、
 不都合な考えについては、
 じぶんが生きるのに不都合になるから、
 無くしてしまいたいということになる。

 だいたいの人は、
 そういう考え方をしているもんだ。」
 
それは、そう言っているじいさまの考えも、
そうだということかい。

「そうだな。
 ほとんどが、そうだ。
 あんたが、わしの考えにうなずいてくれたら、
 わしは、ちょっとだけ、生きやすくなる。
 そして、わしがいることは、
 そう悪いことでもなかったかと、うれしくなる。」
 
でも、じぶんのためばかりじゃなく、
他人のためや、みんなのためになる考えだって、
あるはずだろう?

「他人のためになることや、
 みんなのためになることが、
 じぶんのためにもなるのでなかったら、
 それは考えとして語られないだろうな。
 ほんとうにいやなことは、したくないものだ。
 ほんとうにいやなことは、
 人間はしないようにできているからな。」
 
じぶんにとって、ほんとうにいやなことで、
みんなのためになること‥‥を、
人間はしないというのかい。

「しないだろうな。
 じぶんの心臓をとりだして差し出しても、
 おおぜいの人たちから辱めを受けても、
 じぶんからそれをしたのだったら、
 それは、ほんとうにいやなことじゃないよ。」
 
じいさまにとって、
ほんとうにいやなことって、どんなことだ。

「そんなことは、考えたことがないな。
 だいたいの人は、そんなことは考えたことがない。」
 
 
ふたつめ。

くまに襲われたら、死んだふりをしろって言うだろう。
あれは、はんぶんだけ、ほんとなんだ。

ただ、くまだって、ばかじゃない。
死んだふりをしているのか、
ほんとうに死んでいるのかくらいは、
試すのがふつうだ。

あんたが死んだふりをしているとき、
くまはあんたの顔色をみる。
そこは心配しなくていい。
くまは、人間の顔色についてくわしくないからな。
でも、そのあとで、
死んだふりをしているあんたの鼻と口のあたりに、
しずかに手のひらを近づけるんだ。
この手のひらは、とてもくさい場合がある。
くさいからって、びっくりしちゃいけない。
いや、そもそも、においをかいじゃだめだ。
あんたは、死んでいるんだから、
息を止めてなきゃいけないんだよ。
これ、気をつけよう。

ここまで、なんとかしたら、
くまは、あんたのことを死んでいると思いこむ。
そして、あんたから離れるだろう。

でも。

ここで安心するのは早いってことだ。
くまは、念のために最後に確かめるんだ。
死んでいるはずのあんたに、
ちょっと離れたところからね、クイズを出すんだ。
‥‥それが、とてもかんたんなクイズなんだよ。

たとえば、こんなだ。
 
 東京にあるタワーは、つぎのうちのどれでしょう。
 1番、東京タワー
 2番、エッフェル塔
 3番、とうちょうタワー
 
あんたは、あっけにとられるだろう。
答えが、あまりにもかんたんなんだ。
答えたくて答えたくて、うずうずしてくる。
くまは、クイズをもう一度くりかえす。

 東京にあるタワーは、つぎのうちのどれでしょう。
 1番、東京タワー
 2番、エッフェル塔
 3番、とうちょうタワー
 
そして、こうつけくわえるんだ

 わかりませんかぁ?
 
うまく死んだふりをしていたあんただった。
うっかりクイズに答えたりはしない。
だがしかし、
ついつい、こころのなかで思っちゃうんだ。
「東京タワーだろう、そりゃぁ」とね。
そのとき、死んでいるはずのあんたのからだが、
ちょっと生き生きしてしまうんだな。

それを、くまは見のがしゃぁしない。
にっこり笑いながら、もどってくるんだよ。

おしまい

関連コンテンツ

今日のおすすめコンテンツ

「ほぼ日刊イトイ新聞」をフォローする