ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

ないのに、あることになってしまうものごと。

あるあると、みんなで何度も言ってるうちに、
ほんとはないのに、
あることになってしまうものがある。

わかりやすいものでいうと、
むし歯の「バイキン」というやつ。
黒くて長い尻尾があってツルハシを持ってて、
人の歯にカッキンコッキン穴を開けている
悪魔のようなあいつ。
ごぞんじのとおり、そいつはいない。

空のうえ、雲に乗ってるらしい雷さま。
太鼓をいくつもつないだ楽器をかついでいて、
妙に犬歯の発達したやつ。
人間のおへそが大好物なんだとかも聞く。
しかし、感づいていることだろうけれど、
そんなやつはいない。

いたほうが、何かと説明がつきやすいということで、
そういうものが発明されたわけで、
いないほうが何かと説明がつきやすい時代には、
その発明はなかったことにしたほうが都合がいい。

仏さまにしても神さまにしても、
会った人も見た人もいなくても
仏像というものがある。
仏像があるから、仏さまがいるような気になるけれど、
像があるから仏があるというわけではない。
でも、無数の仏像がつくられ拝まれ見られているうちに、
仏はどんどん実在のもののような気がしてくる。

そんなおそれおおい例をださなくても、
いくらでもあったなぁ、龍だとか麒麟だとかもね。
もう、人間たちは龍の画像やら彫刻やら物語やらを、
飽きるほど見てるからねぇ。
虎という実在の動物と対にしてイメージさせるし、
地名人名なんかにもどんどん使用しちゃうから、
「ないにはないけれど、あるような気がしてるもの」
くらいのところに、龍も位置づけられちゃってるだろう。
だけど、実は、いないよね。
そして、実はいないけれど、
「そいつがいる」ことを組み入れて
世界は成り立ったりしている。

雷だの龍だの、仏さまだの神さまだののことは、
図像で考えるので、
「ああ、そういえば、絵はあるけど会ったことないわ」
と、考え直すこともできるのだけれど、
ビジュアルにならない「ほんとはないもの」は、
もっと性質がよくないんだよね。

ぼくは、龍も雷も、仏も、オバケも、
否定したくてしょうがない人間じゃないのだけれど、
見えないものについては、
「あるに決まってる」と言われてたりするので、
龍や雷やむし歯をつくる悪魔のように、
「まず、実はいないのだけれど」というところまで、
ゆっくり戻ってから
考え直しましょうよ、と言いたいわけだ。

国というのは、どこにあって、どういうものか。
吉本隆明さんが『共同幻想論』を発表したのは、
それを一度考え直すためだったと思う。
あることになっていたり、
あるに決まってると思われているものが、
どんな歴史の過程でそうなってきたのか。
どこまでが、ほんとうにあるもので、
どこからかが疑わしいものなのか‥‥。
そういう考え方で、戦争中まで
じぶんが信じきっていた「国」というものを、
見直すことにしたのだと思う。
ぼくらみたいな、知性のない学生さんは、
「国なんてのは、ないに決まってる」だとか、
「国は権力の道具なんじゃないの」みたいなことを、
知識として絆創膏みたいに貼りつけて、
知ったつもりになっていたから、
『共同幻想論』を、かえって難しく感じていたのだろう。
いや、こっちの話を長くするとややこしい。

言いたいのは、
「あるあると、みんなで何度も言ってるうちに、
 ほんとはないのに、
 あることになってしまうものがある」ということだ。
 
「国」じゃなくても、ありとあらゆるものに、
ほんとにあるのかどうか、
ノックしてみることが大事だと思うのだ。
「大事? 大事ってなんだ?」と、
さっそく疑ってみてもいい。

明石家さんまさんとの対談で、
さんまさんは「愛」というやつが、
あやしいと思っていることがわかった。
そう。愛は、実にでかい相手だけれど、
疑われなれてない、ちゃんと考えてみたほうがいい。
それは、「愛」を憎んだり否定したりすることではなく、
「愛」があることで成立している世界と、
どうつきあっていくかと、じぶんの立場を考え直すことだ。

正義でも、夢でも、前向きでも、偉いでも、
積極的でも、努力でも、なんでもいい。
しっかり疑ってさしあげたほうが、
失礼がないだろうとも言える。

ここまで書いて終わりにしようと思ったのだけれど、
もうちょっと、書きたくなった。

ぼくは、いま個人的には、
「性欲」という龍に興味があって、
そんなに大きなイメージでとらえすぎては
いけないのではないかと、疑っている。
「性欲」が原因で起こったと思われる事件が、
しょっちゅう新聞に載っているのだけれど、
報道する側も、犯罪を犯した人も、
「性欲」という魔物を、(大きく考え過ぎて)
恐怖し過ぎているような気がするんだよなぁ。
「性欲」を大きく考えすぎているがゆえに、
それに抗うのが困難である、と、
世界が認めすぎてるんじゃないだろうか‥‥。
よからぬことを考え、
誰よりもスケベであると自認しているぼくが
わざわざ言うのだから、聞いたほうがいい。
「性欲」は、なかなかえらいもんだけれど、
思われているほどオソロシイ魔物じゃないと思うのだ。

それこそ、
すごいすごいと、みんなで何度も言ってるうちに、
ほんとはそれほどでもないのに、
すごいことになってしまうものが性、
なのではないだろうか。
ま、このあたりについては、さらに考えてみたい

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