カレーライスの正体
第16回
会いに行けるアイドル、
ご当地カレーの世界
2017.5.21 更新
# よこすか海軍カレー

 いま、僕が最も期待している分野のひとつは、ご当地カレーである。ご当地カレーは、インドカレーやタイカレーに比べれば、「会いに行けるアイドル」である。日本国内で盛り上がっているわけだから。

 ご当地カレーは大きく3つにジャンル分けできる。

A.自治体・行政主導型
B.企業・専門店主導型
C.自然発生・主導者不在型

 Aの代表はなんといっても「よこすか海軍カレー」である。Bは、あまりに多すぎて例示しきれないほどだが、さきがけ的なものでいえば、広島かきカレー。Cは、後述するが、札幌スープカレーや大阪スパイスカレーである。そして、これらの目的がそれぞれ違うところが面白い。Aは地域活性や観光誘致、地方再生。Bはビジネス。Cは主導者不在により目的なし。圧倒的に数が多いのはBで、そこそこの数で盛り上げようと取り組んでいるのがA。まだ事例がほとんど存在しないのがCだ。

 よこすか海軍カレーは横須賀の街を活性化させるために横須賀市役所、商工会議所、海上自衛隊の三者が協力して立ち上げた肝煎りのプロジェクトである。「カレーで町おこし」というフレーズは1999年当時、もちろん誰も唱えていなかったし、日本全国がご当地グルメブームに沸くずっと前のことだから、ご当地グルメの世界でもトップランナーである。

 横須賀が目をつけたのは、日本のカレーがイギリス海軍から伝わったという史実である。当時のレシピは、1908年の『海軍割烹術参考書』という書物に残っている。いわゆる海軍カレーと呼ばれる最も古いレシピがそこにある。カレー粉と小麦粉を炒めてスープで伸ばし、肉や野菜の具と一緒に煮込むオーソドックスなカレーで、昔ながらの洋食屋が採用していたスタイルである。

 日本人が最も好きなカレーの姿、いわゆる王道の味わいなのだが、一方で、特徴が極めて弱い。なぜならこのレシピの延長に今のカレーの姿があるわけだから、海軍カレーを突き詰めて進化させても今のカレーに到達するだけで、オリジナリティあふれる味にはなりにくいのが弱点だ。だからなのか、サイドディッシュにサラダをつけるとか、牛乳を一緒にサーブするなどのルールが決められている。

 ただ王道の味というだけあって、よこすか海軍カレーは、広く愛され続けている。横須賀市内には条件を満たしたカレーを提供する店の前にのぼりがはためき、全国から人が集まるようになった。この成功事例は、ご当地グルメで町おこしをしようとする全国の自治体の目標となり、視察が絶えないほどの注目度だという。

# 真のご当地カレー・
札幌スープカレー

 ご当地カレーの3ジャンルの中でダントツに事例が少ないのが、Cの自然発生型のカレーである。博多とんこつラーメンに代表されるご当地ラーメンのあり方に従えば、真のご当地カレーとは、ある地域で自然発生的に生まれたカレーで、独自のスタイルを持ち、地元民に愛され、同様の店が増え続けてジャンルとして確立したカレーのことだと僕は考える。そして、その味が東京をはじめ、全国各地で食べられるようになるまで浸透すればご当地カレーとしては大成功といっていいだろう。

 この僕なりの厳しい視点に立ったときに、現在、日本国内に胸を張ってご当地カレーと呼べるものは、極めて少ない。代表格は札幌スープカレーである。

 大きなどんぶりになみなみと注がれたカレー風味の濃厚なスープ。そこに浮かぶ骨付き鶏肉をはじめ、おおぶりに切ったじゃがいも、にんじん。素揚げしたナスやピーマン。豪華でダイナミック、色鮮やかで美しい。ドロドロした茶色が支配していた従来のカレーの世界とは一線を画す料理だ。

 スープカレーには、その礎を作ったといわれている店がいくつか存在する。「アジャンタ」、「スリランカ狂我国」、「インドカリー木多郎」などの老舗カレー専門店がそうだが、名前から想像がつくように、どれもアジア各国の料理をベースとしている。

 元祖スープカレーと呼ばれる「アジャンタ」が誕生したのは、1975年。薬膳カリィという言葉でカレー専門店を出した故・辰尻宗男氏は、辰尻家に伝わる養生食のスープにスパイスを使ってアレンジを加え、カレーに仕上げた。その養生食は韓国の参鶏湯に似たものだったのではないか、といわれている。

 「インドカリー木多郎」はインドのカレーに、「スリランカ狂我国」はスリランカのカレーに魅せられた店主が、それぞれの国のカレーをベースにオリジナルのカレーを作り、店で提供した。そして、たまたまそれらのカレーが3つとも同じようなスープ状をしていたのである。これは日本カレー界の七不思議といっていい。

 スープカレーという言葉を初めて使ったのは、「マジックスパイス」だといわれている。店主の下村泰山さんが開業したカレー専門店で、提供したのは、スープ状のカレー。このカレーのルーツは、インドネシア料理のソトアヤムという鶏肉のスープ料理だった。このように“たまたま”アジア諸国の料理をベースにしたカレーが同じようなスープ状だったためにスープカレーという新しく生まれた言葉でひとつに括られ、カレーの1ジャンルとして昇華した。

 このスタイルが評判を呼ぶようになると、模倣する店が増えはじめる。やがて、スープカレー店で修業をして自身のスープカレー店を出店するような動きが出はじめると、彼らは第2世代、第3世代と呼ばれるようになり、裾野はどんどん広がっていった。だしのうま味が効いたスープは、油のパンチの効いた味わいとスパイスの刺激的な香りを抱き込んで、シャバシャバとしているのに食べ応えが十分にある。美しくておいしいのだからいうことはない。通常の1人前のカレーでは食べられない量の野菜を取れることにも大きな価値がある。

 僕は、昔からスープカレーが大好きなのだが、札幌から東京にこのカレーが上陸しはじめたころは、「これはカレーじゃない!」と憤慨する人の声をよく耳にした。そのたびに僕は、ニューヒーローの誕生にホクホクしたりゾクゾクしたりしたことを覚えている。そのうち、北海道出身ではない人が東京をはじめ関西や九州など縁もゆかりもない地域でスープカレー専門店を出すようになった。こうなると、ご当地カレーとしては未知の世界に突入したようなものだ。スープカレーは今やすっかり定着している。

# 大阪スパイスカレーの台頭

 最近、札幌スープカレーに次いで、自然発生型のご当地カレーとして、存在感を増しはじめたのは、大阪スパイスカレーである。すべてのカレーはスパイスで作られているわけだから、ことさらにスパイスを強調して、「スパイスカレー」といわれると違和感があるだろうか。「馬から落馬した」のような表現としての誤りを指摘されそうだが、今やひとつのジャンルとして確立されつつある。

 大阪スパイスカレーは、まだ歴史が浅い。カレールウやカレー粉を使わず、個別のスパイスを組み合わせて作る香り豊かで刺激的なカレーのことを指す。

 大阪スパイスカレーがブームの兆しを見せはじめる前から地元で人気だったいくつかの店があった。20年ほど前に生まれた「ルーデリー」、「カシミール」、「カルータラ」などである。「カルータラ」はスリランカ料理に魅せられた横田彰宏さんがはじめたスリランカカレーの店だから、ルーツは南アジアにあるが、「ルーデリー」、「カシミール」は日本のオリジナルカレーである。スパイシーでさらりとしたソースをご飯にかけて食べる。ただ、このスタイルは、もう50年以上前から東京には、「デリー」という超老舗人気店があったから、特異な存在というわけでもなかった。

 その後、スパイシーなカレーの影響を受けて生まれたいくつかの店は独創的なスタイルで大阪カレーシーンを継承する。「旧ヤム邸」、「コロンビア8」、「ゴヤクラ」などである。これらの店のスパイスカレーは、見た目も味もスパイスの香りも独特でキャッチーだった。共通点は、とにかくスパイスの香りや刺激が際立っていたこと。

 この個性は「人と一緒じゃつまらない」という潜在意識が強い大阪人にウケた。大阪スパイスカレーの実質的なパイオニアとして今も人気を誇っている。そんな風に芽が出はじめた大阪スパイスカレーにスター性を持たせ、加速度的に盛り上げたのは、実は、インド料理やスリランカ料理の台頭だ。

 大阪で局地的に盛り上がりはじめたインド料理のミールスという定食スタイルやスリランカ料理のワンプレートは、1皿に複数種類のカレーやスパイス料理、サラダなどを盛りつけるスタイルだ。見た目にキャッチーで色鮮やか。スマホを取り出し、お皿を真俯瞰で撮影するといわゆる“インスタ映え”するというおまけつき。味わいは、コクがたっぷりあるカレーというよりもさっぱりしていてスパイシー。盛りだくさんな印象があるのでお得感は高い。特に野菜の素材感が際立っていることと、カレールウを使わないという点でヘルシー志向の昨今にはウケがいい。大阪を中心に京都や神戸にもその流れは飛び火していて、スパイスカレーと括られる店は増える一方だ。

 現在は、まだ札幌スープカレーほど大きなブームにはなりきれていないが、カレー好きの間で話題になるというフェーズはもう卒業し、カレーに特別な思い入れを持たない一般のサラリーマンやOLがランチタイムに行列している姿は、このカレーがすでに定着しつつあることを示している。大阪スパイスカレーが浸透している理由のひとつに、スパイスに対する興味関心の増加、またスパイスを食べることへの苦手意識や使うことへのハードルの低下があるだろう。そういう意味ではこの動きはこれからもまだ続きそうだ。

# カツカレーが基本の金沢カレー

 もうひとつ、ご当地カレーとして昔から自然発生して存在していたが、ここ数年で存在感を増してきたのは、金沢カレーである。その特徴はいくつかあるが、最もわかりやすい点はカツカレーがメジャーだというところだ。ステンレスの器にご飯を盛り、茶褐色のどろっとしたカレーをかける。その上にカツを乗せ、上からソースをかける。脇に千切りキャベツを添えたものを先割れスプーンかフォークで食べる。これが一般的な金沢カレーの姿である。

 元祖を自称するのは、「カレーのチャンピオン」。火付け役を自称するのは、「ゴーゴーカレー」。その他に「カレーの市民アルバ」、「ターバンカレー」などの有名店がある。いずれにせよ、このスタイルのカレーが金沢では30年近く前から親しまれていたのだが、「金沢カレー」という言葉で括られるようになったのは2006年ころのこと。自然発生的に生まれたご当地カレーのひとつだ。

 札幌スープカレー、大阪スパイスカレー、金沢カレーに続く真のご当地カレーはどこに生まれるだろうか。自治体や観光協会などが中心となって盛り上げようとしているご当地カレーも全国にはたくさん存在する。よこすか海軍カレーのようにイベントをすれば何万人もの集客を見込めるようなものもある。そんな中から、新星が現れてほしいと思う。

……つづく。
2017-05-21-SUN