東京カリ〜番長・水野仁輔さんが選ぶ カレーの思い出。
#その5

こんにちは。
つい最近、原宿にあるカレー店
「元GHEE(ギー)」に行ってきました。
「GHEE」は原宿で長いあいだ営業していた人気店。
その後、居所を転々と変え、
今年の初めまでは東銀座にあったのですが、
再び、原宿へ。
いつも急に居場所を変えて急にいなくなり移転する。
東銀座の最終日も、朝に店主から
ケータイに連絡をいただいていて、
出られないまま翌日お店に足を運んだら、
なくなってました‥‥。
その後、移転先を聞いて訪問。
いまの場所もランチタイムだけの間借り営業なので、
いつまでその場所にあるのかわかりません。
まるで鬼ごっこでもしているような気分。
これ、結構楽しくて、個人的には嫌いじゃないんです。
「GHEE」の店主には
ケータイに連絡をしてくれる優しさがありますが、
全く前触れもなく消え、音沙汰もなくなる店もあります。
たとえば、新宿の「T」という店。
西新宿から東新宿へ移転したときは
噂を聞いてかけつけたのですが、
その後、大久保に移転したときは
煙に巻かれた気持ちになりました。
手を尽くして探し出して、
初めてその店の扉を開けたとき、店主は僕の顔を見て、
「あ、ばれちゃった?」とひと言。
てへへ、みたいな顔をして
いたずらっ子のように笑いました。
意外と逃げる(?)ほうも楽しんでいるのかもしれません。
今はSNSが盛んだから、
僕の楽しみも半減してしまっています。
それがちょっとさびしいです。


026
ペンネームなし/女性

22歳まで、辛いものが苦手で、
甘口のカレーを食べても
耳の奥がぽわ~んとなっていた私が、
中国に留学して3ヶ月。
同級生の知り合いという
アフリカ出身の留学生の部屋にみんなで遊びに行きました。
まだ食事をしていなかったわたしに、
日本のレトルトカレーを出してくれた彼。
ほんとは食べたくなかったけど、
当時の中国では日本のレトルトカレーはとても高価で、
そんな大切な物を
初めて会ったわたしに出してくれた彼に申し訳なくて、
『具が多い』で有名になったレトルトカレーを
恐る恐る口にいれました。
すると。
3ヶ月の間、本物の中華で鍛えられていたわたしの舌は、
日本のカレーをすんなりどころか
大歓迎で受け入れたのです。
もう美味しくて美味しくて!
それからカレーは大好物になりました。
先日その彼が日本で結婚したということを
ニュースで知りました。
学生のころからの夢を叶え、立派になった彼の幸せを、
心から喜んで、その日は勿論カレーにしました。

いいですね。
カレの叶えた夢をカレーで祝福。
中国でアフリカ人から日本のレトルトカレーを
ごちそうしてもらうっていうのもすごい。
「具が多い」で有名なレトルトカレーっていうのは、
たぶん、「具が大きい」で有名になったアレですね。
でも、具が多いっていうのもなかなかいい。
日本のカレーは具の種類が多くておいしい。
お肉のほかににんじん、じゃがいも、たまねぎ。
これだけでもう4種類。
それに比べてインドのカレーは、
たいていの場合、具は1種類。
オクラのカレーはオクラだけ。
じゃがいものカレーはじゃがいもだけ。
チキンカレーは、チキンだけ。
その代り、具の量は多い。
たとえば、日本だとチキンカレーのレシピの場合、
4人前でチキンは多くても400g。
でも、インドのレシピ本を見ていると、
4人前で600gとか800gとかあるんです。
ところ変わればカレーの“具”事情も変わりますな。
それにしても、「耳の奥がぽわ~んとなる」って、
どんな感じなんだろ。

027
いくぞう/25歳/女性

カレーはカレーでもスープカレーの思い出です。
私が初めてスープカレーを食べた感想は
「ルーカレーの方がうまい」でしたが、
何回か食べてるうちにクセになってしまい、
初めてバイトしたのもそこのカレー屋さんでした。
そこのバイト先で知り合った男性も
全く興味のない上司だったのですが、
いつの間にか彼の笑顔がクセになり
大好きな人となってしまいました。
あれから8年になりますが
今でもスープカレーといえばあの店独特の甘めの味で、
大好きな人である現夫と思い出の味として食べに行きます。
当時はバイトと社員の禁じられた社内恋愛だったので
バレないように、でもお互いを思いながら働いてた
キュンキュンな気持ちを食べるたびに思い出します。

うらやまし~。
スパイシーなカレーの甘酸っぱい思い出。
スープカレーがクセになるように、
彼の笑顔もクセになる。
クセになり、大好きになり、結婚。
すごい。
あまり興味がなかったり、
あまり好きじゃなかったりしたものが
だんだんクセになっていつのまにか好きになるというのは、
すごく新鮮で嬉しい現象ですよね。
僕は身の回りのすべてのことにこの現象が起こったら、
毎日が24時間じゃ足りないくらい
楽しくなるんじゃないかと思います。
カレーの場合は、
特にスパイスの香りに常習性があるからか、
何度か食べているうちに
クセになるっていうケースは多いんです。
だから、最初の1回や2回で判断しないで、
何度か挑戦してみるっていうのは、結構だいじかなぁ。
“あの店”がどの店かわかりませんが、
たぶん、その店を越えるスープカレーは
現れないんでしょうね。


028
おカボ/39歳/女性

子供の頃、風邪か何かで39度くらいの高熱を出した時。
何も食べられずにグッタリしていた私を心配した母、
これなら食欲も湧くだろうと
大好物のカレーを作ってくれました。
食欲?
湧きましたよ! 湧きましたとも!
そこまで弱った子供に
カレーを作った母にもびっくりですが、
フラフラになりながら
嬉しい~おいしい~と食べた、
かつての自分にもびっくりです。
食後、さすがに胃が受け付けてくれずに
ウェ~(涙)となってしまいましたが、
苦しいよりも「もったいない!」という気持ちが
先立ったのを、30年ほど経った今でも覚えています‥‥。

39度の熱があるのに、カレーって‥‥。
よい子は絶対に真似をしないほうがいいですね。
でも、そのよい子にお母さんは
カレーを食べさせたわけですよね。
まあ、心配したんだろうなぁ。
そして食欲が湧いてしまったよい子。
食べて吐いてしまったよい子。
かわいそう。
カレーは体にいいと言うけれど、
「薬膳カレー」なんて言葉もあるけれど、
さすがに体調を崩してるときに僕はカレーは食べませんよ。
ただ、体調が戻り始めたときにカレーを食べると、
「ああ、カレーがおいしく食べられるほど
 快復してるんだなぁ」と実感。
僕にとってカレーとは、快調を証明してくれる食べ物です。


029
ねっこ/35歳/会社員

小学生の頃、マンションの一階に住んでいた友人が
庭でキャンプをすると誘ってくれました。
キャンプと言えばメニューはカレー!
友人のお母さんが作ってくれたカレーは
ワクワクの気持ちも手伝って
私の思い出のカレーの一つになりました♪
さらに、記憶から離れない理由がもうひとつ。
友人母が少し席を離れた隙に、
なんの悪気もない友人妹が
お母さんのカレーにマヨネーズを流し込んだのです‥‥。
戻って一瞬目が点だったおばさんも、食べて一口‥‥
「なかなか美味しいわよ(微笑)」
そのおおらかさに温かみを感じたのでした。
ちなみに私も試してみましたが、
しばらくはまりました(笑)。

お母さん、素晴らしい!
「なんてことするの!」とならないあたり、
本当に温かみと懐の深さを感じますね。
ソウイウモノニワタシモナリタイ。
これは忘れられない思い出になりますね。
ちなみに投稿してくれたねっこさんは、
しばらくはまったようですが、
カレーにマヨネーズ、どうなんでしょうね。
僕はまだ試したことがありません。
カリ~番長が
カレーにマヨネーズをかけたことがないなんて、
お恥ずかしい。
すぐに試してみることにします!

030
猫山慎吾/28歳/男性

とある常連で通っていたインド料理店。
店長兼シェフのAはとても気さくなやつだった。
カルカッタ出身で他では食べれない郷土料理も
食べれるお店だったのだけど、突然閉店。
Aもどこへいったのかわからなくなり、
連絡先だけでも聞いておけばよかったと後悔。
「ああ、もうあの味には出会えないのか」と落ち込み、
ならば自分でと、僕はインド料理・カレーの研究を
はじめることになった。
それから食べる歩きをしたりもしてしばらく、
まだ行ったことのない店があったので覗いてみたところ、
厨房にAを発見。嬉しさに奮いたったところだった。
以前店長をしていた店は理由あって
閉店せざるをえなくなり、
Aはいくつかの店を渡りあるいて
ここに辿りついたとのことだった。
しばらく思い出話に花を咲かせた。
しかし、悲しいことにAの味は昔のそれとは違っていた。
Aはとても低い給料で働かせられていることのグチを
僕に繰り返した。
「当時店長していたときが一番幸せだった」
と語るAの顔は疲れ果てていた。
Aの疲労が味にも影響していることは明らかだった。
なんとかしたい僕は
今の店を辞めたいと語るAの就職先まで
手伝ったりもしたが、狭い人脈で力になれず、
結局この店もすぐ閉店し
Aの電話番号も変わり連絡は断たれた。
元気にしているだろうかと気になっている。

好きだったカレーの味を食べられなくなって落ち込み、
それがキッカケでカレーの世界にはまっていく。
このストーリーは、
水野仁輔という人と全く同じであります。
僕にとっては、地元・浜松市にあった
「ボンベイ」というカレー専門店。
さんざん通った「ボンベイ」が大学時代に閉店したとき、
僕のカレー魂に火がつきました。
でも、カレーにハマって、カレーの世界を追求していくと、
「ボンベイだけがカレーなわけじゃないんだな」
と思うときがくる。
これはこれでさびしいのだけれど、
この瞬間に僕は大人の階段を登ったのであります。
登った先にたどり着いたのが「東京カリ~番長」なわけで。
そう考えるとよかったのか悪かったのか微妙ですが‥‥。
「ボンベイ」は卒業しましたが、
記憶に残るあの味は今も僕にとっては別格です。
すみません、いつの間にか、
自分の思い出話になってました。

いろんな思い出をありがとうございました。
では、また次回。
みなさんの“カレーの思い出”をお待ちしています!

2013-04-19-FRI
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